第162話 婚約前夜 19
トワが血に染まる手を引き抜くと、すでに意識を無くしている龍人が私の体に全体重を預けた。重みを支えきれず、ふらつきながらその場にしゃがみ込む。
「龍人! 龍人!」
私はすぐに龍人の背中に手を回し、急いで回復を祈った。しかし、なんとか血は止まったものの、胸にあいた穴が埋まらない。
「だめだめだめ、お願いだから治って!」
焦って全身から力をかき集めたが、もうどこにも魔力が残っていない。抱きしめた龍人の呼吸が止まっている。私は、これ以上なにもできないことを悟った。
「やだよぉ……龍人、死んじゃやだぁ……。昨日、永遠の命を持ってるって、言ったのに……」
途方に暮れる私へ、寄り添うように芽衣紗がしゃがむ。芽衣紗が「お兄ちゃん」と呼んだが、もちろん返事はない。
もう龍人はこの世にいない、そう知った私は声の限り泣いた。芽衣紗が龍人ごと私を抱き寄せる。
もう動かない龍人を芽衣紗と抱きしめながら、私は思いをめぐらせた。
……ジュダムーアを排除すれば、平和と言えたのだろうか。
自分が正義だと思っていたことは、正義だったんだろうか。
考えの違う者、色の違う者、個性の違う者。
違うものを排除して、同じ者しか残らない世界。
それは平和と言えるのだろうか。
私がやろうとしていたことは、きっとどこか間違っていた。
暴力は暴力を生む。
暴力が問題を解決することなど、あり得ないんだ。
他の方法を取るべきだった。
そうすれば、誰も傷付かなかったのに。
……龍人が死ぬことはなかったのに。
悲しみに暮れる私の耳に、せせら笑うジュダムーアの声が聞こえてきた。
「はははは。天才が随分と呆気なく死んだもんだな。心配ない。他の奴らも道連れにしてやる!」
ジュダムーアが、しぶとく私たちを服従させようと手を向けたが、自身の腕の重みを支えることができず、だらりと体の横に垂れた。赤い瞳が全てを諦めたことを語っている。
とどめを刺そうとユーリとサミュエルが走り、ジュダムーアに剣を向けた。
そして、二人が曇った顔で私を見る。
「……シエラ、そこをどけ」
気がつくと、私はジュダムーアの前で手を広げていた。
「だめ」
困った顔のユーリが双剣を下ろしたが、サミュエルは剣を下ろそうとしない。
「こいつが今までどんなことをしてきたか分かっているのか?」
「うん……。ジュダムーアがしてきたことは許されないことだと思う。だから、ジュダムーアがいなくなれば丸く収まると思ってた。でも、やっぱりそれは違った。死んでいい命なんてひとつもない。今、龍人に気づかせてもらったの」
「シエラ……」
サミュエルが困ったように目を細めた。
動けない他のみんなは、静かに私の言葉に耳を傾けている。
「今日私は、みんなが傷つくのを見るのが辛かった。死を覚悟しているのが怖かった。ジュダムーアのことも、本当は殺したくないって、心のどこかで思っていたの。それに、私たちは戦う前にもっとやらなくてはいけないことがあった。戦いの前に、もっと相手の気持ちを理解しようとするべきだったんだよ。……だから、お願いだからもうやめよう」
私はジュダムーアの体を支えるように横にしゃがんだ。
驚いたジュダムーアが、まっすぐな瞳で私を見つめる。
私も、はじめて恐れのない素直な気持ちで、ジュダムーアの宝石のような綺麗な赤い目を見つめた。
「あなたを傷つけようとしてごめんなさい。理解しようとしなくてごめんなさい。一人にしてごめんなさい。もし、まだ遅くないのなら、私はあなたと婚約する。……だから、残された時間は一緒に、穏やかに過ごそう。私は、これからあなたを沢山愛してあげる」
「ね?」と言って微笑むと、私の目尻から涙が伝い落ちた。
ここまで来ておいて、みんなを巻き込んでおいて、すごくわがままだ。きっと、みんなに怒られるだろう。
でも、私はどうしてもこのままジュダムーアを孤独のまま死なせることはできない。私は、ジュダムーアと同じ気持ちを知っているから。
背後で、カチャリとサミュエルが剣を下ろす音が聞こえた。
そして、
「シエラちゃんは天使のように優しいなぁ」
龍人の声が聞こえた。
生きていたのか?
そう期待しながら振り返ったが、龍人の体は先ほどと変わらず、ぐったりと芽衣紗に抱かれたまま動かない。
気のせいだろうか。そう思った瞬間、先ほどと同じ衝撃がジュダムーアを通して伝わってきた。
「ご……ボ……」
ジュダムーアの口から血が噴き出る。
ジュダムーアの胸をトワが貫いていた。
「トワ⁉」
私は驚いて手の中で崩れ落ちるジュダムーアを見つめる。何人かが息を呑む音が聞こえた。
そこに、聞こえてくる元気な龍人の声。
「ご苦労、諸君!」
確かに龍人の声がした。
しかし、龍人は死んでいる。
私の腕には、血を流して体重を預けるジュダムーア。
ショックで理解が追いつかない。
死んだはずの龍人の声とトワの行動に、私を含め、みんなが戸惑いを隠せないでいる。
すると、表情を消したトワが、目を光らせてホログラムを浮かび上がらせた。
血で染まっていない等身大の龍人が、満足気に手を叩いている。
「これを見ているということは、決着がついたということで間違いない。あー、ちなみに、この映像は結末に合わせて2000通り、いや、一つ増えて2001通り用意している。僕が推測した2001通りの結末、つまり、一番最悪なものから理想の結末まであるんだけど、喜んでくれたまえ。この映像は、僕の中でパーフェクトに計画を達成した時に流れるものだからだ。全ての人の幸せが約束されている。はははっ! 考えただけでゾクゾクするよ」
「龍人のやつ、なにを言っているんだ……」
「サミュエルは今、僕がなにを言っているのかって思っただろ? 慌てないで、これからちゃんと説明するからね」
図星を言い当てられたサミュエルが片方の眉毛を上げる。
「ちなみに僕は死んでいると思うんだけど、気に留めることはない。これは僕が望んだことだから」
「龍人……」
龍人は、最初から死ぬつもりだったんだ。
「望んだこと」という言葉に、私は龍人がピアノを弾いてくれた時のことを思い出す。
あの時龍人は、一度くらい、もう一度だけ、一回くらい、僕が死んだら。何度も死を予感させる言葉を使っていた。
残された時間がないと知っているから、ピアノを弾いてくれたんだ。
こんなにヒントがあったのに、薄々気づいていたのに、どうして私は龍人を止めることができなかったんだろう!
「きっと、優しいシエラちゃんは、僕が死んだことで胸を痛めてくれているだろう。でも悲しまないで。星の数ほど人を見送ってきた僕は、看取られる側になってみたかった。ずっと、ずっと前からね。やっとその願いが叶った。それも、一万年生きた僕が唯一、心から愛した人に看取られて。この機会じゃないと叶えられない願いだったんだ。この死は、僕にとってこの上ない、最高の幸せだなんだよ!」
ホログラムの龍人は、私がそこにいることを知っているかのように、穏やかな顔で私を見つめた。
「さあ、僕の門出を祝っておくれ」
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