第160話 婚約前夜 17

 不意をつかれたジュダムーアが分厚い氷に包まれ、怒りの表情のまま氷の彫刻と化した。


「一人で背負おうとするな、か。良い言葉だ」


 私がいる瓦礫の上から下を見ると、剣を振り抜いたアイザックが立っていた。やはり万全とはいかないようで、肩で息をしている。そして、銀色の髪が血で赤く染まっている。


「アイザック! ……だ、大丈夫⁉」

「ああ、十分休憩になった」


 私はアイザックの姿に驚き、ピョンと瓦礫から飛び降りて駆け寄った。

 さっきのジュダムーアの攻撃のせいだろう。顔の右半分が傷つき、血が流れ、目も開いていない。とても痛々しい姿に、私は息をのんだ。


「そうじゃなく、顔が……」

「これか……? 因果応報いんがおうほうだよ。問題ない」

「因果……応報……?」


 左目を細めたアイザックが自戒の意味を込めて苦笑した。

 私はサミュエルの翡翠ひすい色の右目を思い出す。


 きっとアイザックは、自分が若い頃に傷をつけてしまったサミュエルのこと、サミュエルの両親のことを言っているのだろう。

 傷が痛いはずなのに、どこか嬉しそうに見える。傷の痛みが、心の痛みを和らげているかのように。


「もう、なにを言ってるの? そんなものは、もうないよ。昔のことを気にしてるのかもしれないけど、サミュエルはアイザックを恨んだりしてないって、私は思う」


 私が見たサミュエルの記憶の中に、アイザックはいなかった。

 サミュエルが恨んでいたのは、自分自身だけだった。そして今は、もうなにも恨んではいない。

 だから、アイザックも……


「もう傷つかなくて良いんだよ」

「シエラ……」


 アイザックは小さく息を吸い込んで、何かを思い出すように宙を仰ぎ見た。そして言葉を噛み締めるように、ゆっくりため息をつく。


「治してあげるから、ちょっとしゃがんで」


 私は身をかがめてくれたアイザックに手をかざす。

 とりあえず、応急処置だけでも済ませなくては。


「ありがとう、シエラ」


 二人で微笑みを交わした時、野太い声が聞こえてきた。


「ったくよぉ!」


 アイザックの隣に、肩を組んだ傷だらけのガイオンとバーデラックが並んだ。

 バーデラックはガイオンの腕の重みで猫背になっているし、バーデラックは背が高いガイオンの背中までしか手が届いてないので、肩を組んでいると言えるのか疑問ではあるが。


「ちょっと登場が早かったんじゃねぇか? 俺はまだまだイケたぜ、ユーリ!」


 走って戻ってきたユーリに、ガイオンが言う。


「さっきまでへばってたくせに良く言うよ。これでも、早く駆けつけたい気持ちをおさえて、かなり我慢したんだぞ。ずっとヒヤヒヤしてたこっちの身にもなれって」

「がはは! 冗談だ、冗談。……助かったぜ、ユーリ!」


 ガイオンの大きな手を、ユーリの豆だらけの手がパチンと打った。そしてガイオンを通りすぎ、私の側に来る。


「シエラ、怪我はないか?」

「うん、大丈夫。ユーリは?」

「俺も大丈夫」


 肩を並べたユーリは、表情が変わっただけでなく、背も肩幅もひとまわり大きくなっていた。責任感が強く、人一倍努力家だから、きっとものすごい努力をしたのだろう。言葉にしなくても、ユーリの姿を見るだけで、なぜだかそんな確信が持てる。


 私は頼もしく成長したユーリの顔を、久しぶりにまじまじと見つめる。

 再び会えた喜びと、尊敬の気持ちを込めて笑顔を送ると、ユーリも無言で笑顔を返してくれた。

 それだけで私の心が落ち着きを取り戻していく。


「おい、油断するな。そろそろまた来るぞ」


 ユーリと反対側に、サミュエルが立っていた。


「サミュエル、動いて大丈夫?」


 苦しそうに脇腹に手を添えていたので、私は答えを聞く前にそっと脇腹に手をかざし、回復を願って魔力を流した。サミュエルはすぐに気がつき、私に向かって微笑む。

 そして「ありがとう」と言ったとき、ジュダムーアを覆っている分厚い氷からピシッと音がし、大きなひびが入った。


「氷が割れてきた! 出てきそう!」


 私はサミュエルを治しながら言った。

 治癒魔法は魔力を大量に使う。カトリーナの魔石で魔力が上がったとはいえ、無限に使えるわけではない。

 この時私は、全身の魔力の流れが緩やかになっていることに気づき、限界が近いことを悟った。


 恐る恐る様子を伺っていたイーヴォだったが、いち早く異変に気づいてピアノの影から飛び出し、私たちのもとへ向かってきている。その後ろから、ひょっこり顔を出した芽衣紗、そして一緒にいたらしいトワ。

 トワが芽衣紗だけを抱えて猛スピードでイーヴォを追い越し、私たちの横に並んだ。取り残されたイーヴォが「ひぃぃぃ、待ってぇぇっ」と言って一目散に駆け寄る。


「みんな、まだ動けるか?」


 サミュエルの言葉に、みんなが頷く。


「がははは! ばけもんか、あいつは。普通のガーネットならとっくにくたばってるぜ!」

 ごきげんのガイオンが爛々と目を輝かせ、両方の拳をぶつけた。


「次で終わらせてやろう」

 片目のアイザックが剣を向ける。


「ほっほっほ、私はジュダムーアの魔力を吸いつくしましょう」

「よし、頑張れバーデラック! 僕の分まで!」

 不気味な笑みを浮かべて手のひらを前にかざすバーデラック。

 その後ろに隠れるイーヴォ。


「イーヴォはこの中で一番元気なんだから、もっと頑張れっつーの!」

「その通りです、芽衣紗様」

 イーヴォにゲンコツをする芽衣紗、それに拍手を送るトワ。


「…………お前ら、遊びじゃないんだぞ」

 呆れるサミュエルの剣が、緑色の光を帯びる。


 みんながジュダムーアに身構える中、ユーリだけが心配そうに私を見た。


「なあ、シエラ。さっき言ってたこと……」


 ユーリの声は、みんなのときの声でかき消された。


「出て来るぞ!」

「おらぁぁぁっ、やってやらぁぁぁっ!」

「ひぃぃぃぃぃぃっ! 僕はもう終わりだぁぁっ!」

「だから、終わらないように頑張れっつーの!」


 全員が注目する中、分厚い氷の塊が爆発音とともに砕け散った。

 中から出てきたジュダムーアの赤い目が、ギョロリと私たちをとらえる。


「今すぐに全員殺してやる!」


 炎のような気で身を包むジュダムーアが、私たちに杖を向ける。

 その先から、全てを飲み込むような、ひと際大きい赤い閃光が放たれた。

 横一列に並ぶ仲間が、攻撃を迎え撃つように前に出る。


 ユーリは私を見ていた。

 無視してはいけない気がした。

 でも、迷ってる時間はない。私がやらなきゃ、みんなが飲み込まれてしまう。

 そう思った私は、何か言いたげなユーリから目をそらした。


 ポッケの杖で狙いを定め、残っている魔力を全て集めて叫ぶ。


主一しゅいつ……無適むてきっ!」


 呪文と共に、青い閃光が飛び出した。

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