第156話 婚約前夜 13

 一万年を無に還す。

 つまり、「現代が始まってからの全てを無いものにする」と、龍人が言った。


 物騒な意味にそぐわず、穏やかな笑顔を向けられた私が困惑する。


「わ……私の幸せはみんなと一緒に生きることだよ。だからみんなを助けて」

「そう、分かった! じゃあ、ジュダムーアとカトリーナの夫は殺してもいいね。あの時のハディージャのように」

「……ハディージャ?」


 その名前に、何度となく思い返した、忘れ難い場面が再び浮かび上がる。


 バディージャの眉間に杖を向けるジュダムーア。

 か細く漏れ聞こえた末期の声、誰かの嗚咽。


 私の胸に、ハディージャが死んだ時の恐怖がよみがえり、ギュッと目をつぶる。

 死を語る龍人が、プレゼントを選んでいる子どものように声を弾ませた。


「それに、シエラちゃんが王になるのを邪魔する他のガーネットも皆殺しにしなきゃ。あと、シエラブルーを狙って攻めてくる外国のやつらも。安心して。僕がいつも必ず勝利をプレゼントするから。あぁ、ますます楽しくなるぞ!」

「そんな……そこまでしなきゃだめなの? 皆殺しだなんて……」


 龍人が私の言葉に驚いた。


「あれ、ダメだった? 完全なる幸せをプレゼントするには良い案だと思ったんだけど。じゃあジュダムーアだけ殺す? 方法はいくらでもあるよ、そうだな、パッと考えて83通りくらい! でもそれだと問題は解決しないんだよなぁ……。あ、分かった」


 早口に話した後、わずかに考え込んだ龍人がパッと表情を明るくし、いまだに戸惑っている私の頬に手を添えた。

 狂気に満ちた笑顔から目をそらせない。

 興奮気味の龍人が、私の目を見つめ返す。


「とりあえず今は、ジュダムーアの命だけこの世に不要って意味だね? いいよ、シエラちゃんがそう願うなら、僕はその通りにする。手始めにあいつを殺して幸せを手に入れよう。他のことは後でいくらでも対処できる。その方がゲームを長く楽しめるもんね」

「この世に……不要……?」

「そうだよ。僕たちに不要な人間だから殺すんだよ」


 龍人の言ったことが、幼いころから私の居場所を無くしてきた、村人の言葉と重なる。


 一人だけ色が違い、気味が悪いから捨てられた。

 村に必要ない、枯れ木のシエラ。


 私は、悪意を向け続けた村人と、同じことをしようとしているのだろうか。


 孤児院を、みんなを守りたい、そのために強さを得たい。

 ……その願いは、誰かを力で征服するということだったのだろうか。


「どうしたの? そんなに悲しそうな顔をして。それがシエラちゃんの願いじゃないの?」


 激しい衝突音が聞こえてきた。

 いつの間にかジュダムーアとの戦いに戻っていたバーデラックが、吹っ飛ばされて瓦礫に突っ込んでいた。四方八方に石のかけらが飛び散る。


 こうしてジュダムーアは、私たちを理解しようともせず傷つける。

 だから迷う必要なんてない。

 早く、龍人に言わなくては。


「あの……」


 傷だらけのガイオンとアイザックが、ジュダムーアの衝撃波をかろうじて受け流した。

 表情をゆがめた二人の後ろの壁が砕け散り、天井が崩れ落ちる。

 連鎖するように、壁と天井の崩壊が広がっていく。瓦礫と一緒に、最上階の部屋から椅子やテーブルなどの調度品、割れたガラスが雪崩のように落ちてきた。


 しばらく続いた音が止み、雪崩が止まった。

 と思ったが、一拍置いてガラスの破片が私たちに降ってくる。


「きゃっ!」


 龍人が、身動きの取れない私の頭を胸に引き寄せ、両腕でしっかり包んだ。


 音が静まる。

 恐る恐る目を開けると、目の前にある龍人の額から血が流れていた。落ちてきた瓦礫で頭を打ってしまったようだ。


「大丈夫? 龍人……」

「僕は大丈夫。シエラちゃんが無事なら」


 壁と天井にぽっかり穴があいたが、崩壊はもう起きないようだ。

 上を見上げたとき、雲のないいつも通りの夜空が見えた。月が高い。


「さあシエラちゃん、話の続きを」


 何事もなかったかのように、龍人の目が私をとらえ、答えを急かす。


「ジュダムーアを…」


 小刻みに震える私の言葉を、しっかり聞き取ろうと龍人が顔を近づけた。


「ジュダムーアを、なに?」


 芽衣紗をどこかに避難させたらしいトワが横目に入った。稲妻の豹に追いかけられ、ボロボロになった床や壁を猛スピードで縦横無尽に走っている。

 壁を蹴り、カトリーナの夫の背後を取った。強烈な蹴りで夫が勢いよく前に倒れ、稲妻の豹が消える。

 目だけを向けて戦況を確認した龍人が言う。


「軍人のゲノムをもとに作っただけあって、戦いのセンスが良い。残るはジュダムーアだけだね。シエラちゃん、どうするか決まった? 早くしないと彼らが危ないかも」


 ジュダムーアの攻撃をもろにくらったアイザックが瓦礫に突っ込んだ。

 残ったガイオンも苦しそうに肩で息をしていて、次の攻撃を出せないでいる。


 早く決断しなくては。

 他に選択の余地はない。


「ジュダムーアを……殺……」


 殺す。

 答えを出そうとした瞬間、服従の魔法をかけられた時に見た、小さい頃のジュダムーアが話しかけてきた。


「どうして誰も本当のボクを見てくれないの?」


 なぜ生まれてきたのだろう。

 なぜ愛されないのだろう。

 あの時、ジュダムーアと共有した感覚も押し寄せる。


 あれは、ユーリたちが受け入れてくれなかったら、私が体験していたかもしれない孤独。


 本当に、ジュダムーアを殺すしか方法が無いのだろうか。

 私を排除したがった、村人たちのように。


「ほら、シエラちゃんが迷ってる間に、ガイオンが死んじゃうよ」


 槍のような鋭い赤い光が、ジュダムーアからガイオンに向かって飛んで行った。

 真正面から受けとめようと、素早い動きで槍の柄を掴んだ。ガイオンの体に血管が浮かび上がる。しかし槍の威力は弱まらない。ズリズリと後ろに押されていく。

 ガイオンに注目していると、ジュダムーアの姿が消えていた。


 ……あれっ? ジュダムーアはどこに⁉︎


「まずはお前からだ」


 ほとんど動かずに戦っていたジュダムーアが高い瓦礫の上に移動し、足を組んでガイオンの頭上から狙いを定めていた。

 構えた杖に不吉な赤い光が灯る。


「やめて! ジュダムーアァァァァっ!」


 私の悲鳴は届かない。

 ジュダムーアが身動きの取れないガイオンに狙いを定める。


 最悪の事態。

 瞬時に私の頭から血が失せ、氷のように冷たくなる。


 その時、バサバサと鳥の羽音が聞こえてきた。

 大きな鳥がジュダムーアの上にいた。


 鳥の背中から、なにかが回転しながら落ちてくる。

 キラリと月明りを返したのは、見覚えのある双剣。


「やあぁぁぁぁぁっ!」


 双剣がオレンジ色の光をおびる。


「ユーリ!」


 不意を突かれたジュダムーアが振り返った。









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