第154話 婚約前夜 11

「こりゃあやべぇな!」


 体が一回り大きいガイオンが青ざめて言った。バーデラックの顔が引きつる。

 床が獰猛なムカデのようにうねり、整列する長椅子が宙を舞い、衝撃波が陽炎となって私たちに迫ってきた。

 緊張したサミュエルの叫び声が渦巻く轟音に混ざる。


「来るぞ! アイザック!」

「氷瀑!」


 一瞬のうちにアイザックが氷の壁を作った。音が遮られわずかに静寂が戻る。

 しかしすぐに、アイザックが築いた壁にジュダムーアの攻撃が衝突し、分厚い氷をバラバラに吹き飛ばしてなおも私たちへ迫った。直後、ガイオンが全力の攻撃を繰り出す。それも、ジュダムーアが放った波に飲み込まれた。氷で冷やされた強風が氷の破片と共に頬をかすめた。耐えきれなくなったバーデラックの腕が弾き飛ばされる。

 桁違いの破壊力。歯が立たない!


「シエラ!」


 焦りを表情に出すサミュエルが、咄嗟に私の手を引っ張って覆いかぶさった。ほとんど勢いの弱まっていないジュダムーアの衝撃波がぶつかる。体が浮かび、弾丸のように全員が勢いよく吹き飛ばされた。


「きゃぁぁぁぁっ!」

「ぐわぁぁぁぁっ!」


 サミュエルの腕に抱かれたまま、私は壁にたたきつけられた。

 石の壁が陥没して体がめり込こむ。全身を強打して息が止まった。ひどい鈍痛。手も足も動かない。


 礼拝堂の壁という壁に亀裂が走り、窓という窓が全て割れ、天井からパラパラと小石が落ちてくる。


「ん? 手加減したつもりなんだが……」


 ジュダムーアが不思議そうに言った。

 私はうめき声をあげ、もうろうとする意識の中で薄く目を開けた。ほどけたサミュエルの髪が私の顔にかかっているのが分かる。ポタリとなにかが目に落ち、視界が赤く染まる。

 ……血だ。


「サミュエル!」


 私はハッとして顔を上げた。

 サミュエルは頭と口から血を流して意識を失っているようだ。

 どうやらこれでも、私はサミュエルの腕の中にいたおかげで被害が少なかったらしい。みんなの受けたダメージが計り知れない。


 私はすぐに、背中にしっかりまわされたサミュエルの両腕をゆるめ、痛みをこらえて自分の手を伸ばし、目の前にある頬にペタペタ触れた。


 息をしている。

 わずかな安堵感を得て横を見ると、ガイオン、アイザック、バーデラックも同じように意識を失っているようだった。


 ……早く回復させなきゃ!


 焦る私は、サミュエルの頬に触れたまま、回復を祈って魔力を流し始めた。

 直後、手元に落ちる影。なにかが月の光を遮った。

 振り向く間もなく、私は腕をつかまれ、乱暴に引っ張り上げられた。全身の痛みが電気のように走る。


「あぁぁっ……」

「悪くない能力だ。ボクの伴侶となることを認めてやろう」

「はな……して……痛い……」

「龍人」


 冷酷な目を私に向けながらジュダムーアが呼んだ。


「およびでしょうか」


 呼びかけに応じ、ひしゃげて半分外れかかった礼拝堂の扉から、白衣をまとった龍人が入ってきた。


「龍人⁉」


 龍人ならきっと、いつものようにこの状況を解決してくれる。

 希望を捨てきれない私は、心のどこかで淡い期待を抱いた。

 しかし龍人は嘘の笑顔を浮かべており、考えが全く読めない。


「計画通り、順調に進んだようですね。正確には、少々手ごたえが無さ過ぎた、という所でしょうか。カトリーナの魔石は思ったより効果がありましたね」

「龍人……助けて」


 絞り出された悲痛の声に、龍人はジュダムーアに腕をひねり上げられている私を見た。


「心配しないで、シエラちゃん」


 そして笑みを深める。


「これから僕たちで理想の世界を作ろうね。今日まで僕は、君のために最高の準備を整えてきたんだ。もうすぐ完成するはずだよ。さあ、ジュダムーア様、参りましょう」

「……さ……せるか」


 ジュダムーアが移動しようとすると、執念で立ち上がったサミュエルが剣を向けた。顎の先から落ちる血が床を染める。

 それを見た龍人が嬉しそうに目をぎらつかせた。


「シエラ、すぐに……助けてやるからな」

「はははははっ! さすが、シルバーの魔石とレムナント種のハイブリットだ。それに、義足が多少衝撃をやわらげたのかな? 僕の期待通り、君は立ち上がってくれたね。最悪のゲームらしくなってきた! ……あ、でも待って」


 手首にはめた時計のような物を見た龍人が、わざとらしく顔をしかめ、大げさな口調で言う。


「バイタルサイン値が思ったより乱れてるなぁ。ほら、これに義足からデータが随時送信されてくるんだ。君がいつ怒り、驚き、そしてときめいたのか。僕には手に取るように全部分かる。それと……うーん、サチュレーションが低下しているぞ。もしかしてサミュエル」


 龍人が手首に顔を向けたまま目線だけをサミュエルに向け、ニヤリと怪し気に口角を上げた。


「肋骨が肺に刺さってるんじゃない? 本当はもう、動けないでしょ?」


 龍人の言葉の後、苦しそうに咳き込んだサミュエルの口から泡まつ状に血が噴き出した。横顔に射す月の光が、余計にサミュエルの顔を青白く見せる。

 ゲームを楽しむ龍人が「ビンゴ」と言って両手をあげた。


「サミュエル!」


 私は体をよじってジュダムーアの手を振り解こうとした。

 しかし、溶けたロウソクのような杖を握るジュダムーアが、細い蛇のような魔力を噴き出して私の体をギリギリと締め上げた。

 私の口から洩れた苦痛の声に反応し、サミュエルが私の名を呼ぼうとして再び咳き込んだ。肩で息をするサミュエルの顎が真っ赤に染まる。


「あぁ、かわいそうなサミュエル。もうそんな顔をしなくていいんだよ」


 龍人が悲し気な顔をする。


「君の代わりに、ちゃーんと僕とジュダムーア様がシエラちゃんを大切にする。……うーん、ちょっと違うな。正確には君以上に、だ。だからサミュエルは心置きなく死んでくれ。じゃあ、最後の仕上げだ。あはははははっ!」

「もうやめて、龍人!」


 信頼していた龍人が仲間を傷つけることが信じられない。張り裂けそうな思いが悲鳴になる。しかし、私の訴えも虚しく、狂気をにじませる龍人がパチンと指を鳴らすと、一人のガーネットの男があらわれた。

 男は怯えるような目で礼拝堂に入ってきて、恐る恐るジュダムーアの前でひざまずく。

 ジュダムーアのとげとげしい声が耳元で聞こえた。


「お前に、無能な妻の、しりぬぐいの機会を与えよう」

「妻って……?」


 ジュダムーアがギロリと私を見た。


「カトリーナだ」


 ジュダムーアが、怯える男の眉間に杖を向ける。

 すると、男は恐怖で震えていた体の力を抜き、表情を徐々に変化させ、死人のように目の光を消した。

 そしてサミュエルを振り返る。


「ジュダムーア……あなた一体、なんの魔法を使ったの」


 私が聞くと、ポツリと答えが返ってきた。


「服従の、魔法」


 カトリーナの夫が杖を構えた。

 ジュダムーアに操られ、サミュエルと戦う気だ。

 満身創痍のサミュエルは、きっとガーネットの攻撃を受けきれないだろう。

 助けなくては、加勢しなくては。


 とうに落ち着きを失っている私は、体を縛り付ける縄をほどこうと必死にもがく。しかし、ジュダムーアの力が強すぎてびくともしない。


 私の目の前でカトリーナの夫が閃光を放ち、バリバリという音と共にまばゆい光が礼拝堂を埋め尽くした。口から血を流すサミュエルに向かって大きな稲妻が走っていく。

 私は力任せに身をよじった。噛み締めた唇が切れ、骨がきしみ、肩が擦り切れ血が流れはじめた。

 稲妻の光がサミュエルの姿を隠す。


「だめぇぇぇぇっ!」


 私の声は、稲妻の音でかき消された。

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