第153話 婚約前夜 10

 素早く剣を抜いたサミュエルが、語気を荒げて問いかける。


「……トワ、なにをしに来た。お前は、龍人はなにを企んでいる!」


 殺気立つサミュエルと逆に、場違いなほど楽しげなトワが、後ろで手を組み体をくねらせて答えた。


「うふふ! 相変わらずこわい顔っ。そんなにシワを寄せてると、早くおじいちゃんになっちゃうわよ。怒った顔も素敵だけど」

「ふざけるな!」


 サミュエルに怒鳴られ、「おーこわっ!」と肩をすくめたトワがクスクス笑った。


「詳しいことは言えないけど、これだけは言っておくわ。私が一番に優先するようインプットされているのは芽衣紗様よ。龍人様ではないわ」


 柔和なトワの目から光が消え、一変、無機質な笑顔を浮かべた。


「これがどういう意味かわかる?」


 はじめて見るトワの表情。私の背筋にゾクッと寒気が走る。

 しかし、瞬きをすると、トワはいつも通りの顔で「うふふ」と笑っていた。今のは私の錯覚だったのだろうか。


「私は、芽衣紗様が味方するあなた方の味方よ。さあ、ついてきて」


 きびすを返して六階の奥へ先導し始めるトワ。

 ジュダムーアの居室は最上階の七階。私たちはいつも通りそこにいると思ってしまっていた。だから、私たちが間違わずにジュダムーアと出会えるよう、あえてトワが迎えにきたと言うことだろうか。……龍人の指示で? それとも、私たちの味方と名乗るトワの意思で?


 どちらにせよ、この先にジュダムーアがいるのであれば、これが罠だとしてもトワについていかざるを得ないだろう。

 私が見上げると、サミュエルがうなずいた。


 廊下を進んでたどり着いたのは、昨日、龍人がピアノを弾いてくれた礼拝堂だった。

 横にしりぞいて私たちに道を開けたトワが、すらりとした腕を伸ばし、手のひらを向けて入口を指す。


 忍び寄るサミュエルが扉に耳を寄せ、中の様子をうかがった。私はできるだけ音をたてないように息をひそめる。ガイオンはクンクンと鼻を使って「罠はなさそうだ」とささやいた。匂いで分かるのか? と疑問に思ったが、きっと嗅覚を強化してなにかを感じ取ったのだろうと、私は自分を納得させた。


 サミュエルが剣を抜き、アイザック、私、ガイオン、バーデラックに目線を送った。そして、全員がうなずいたのを確認してから大きい扉に右手をかけ、慎重に肩で扉を押す。


 完全に静まり返った廊下に、蝶番ちょうつがいのきしむ音がやたらと大きく響いた。

 ガイオンはトワを監視し、アイザックは背中で私をかばうように立つ。バーデラックは、一番後ろでガイオンの影に隠れている。


 先頭に立つサミュエルが、警戒しつつ扉の隙間から中をのぞく。

 礼拝堂から流れ出てくる冷やりとした空気が頬をなぞり、一気に緊張が高まった。


「神様っていると思う?」


 静寂を破る冷たい声。

 私の心臓が痛いほどに跳ねあがった。

 この声はジュダムーアだ。ジュダムーアがいる。

 サミュエルが左手を後ろに伸ばし、私たちの動きを制した。


「そんなに怖がらなくていい。ボクに会いに来たんだろう? せっかくだから、少し話でもしようじゃないか」


 数秒様子をうかがったが、ジュダムーアが攻撃してくる気配はない。

 難しい顔のサミュエルが後ろを振り向き、みんながうなずいたのを確認してから扉を大きく開けた。サミュエル、アイザックに続いて私も礼拝堂に足を踏み入れる。


 扉をくぐったとき、奥に置かれているピアノが視界に入った。昨日のことを思い出し、ズキンと刺さる胸の痛みを無視する。

 後から入ってきたガイオン、バーデラックが私の横に並んだ。


 真正面には、祭壇に向かって祈りを捧げているジュダムーアがいた。高窓からさしこむ月明りで、純白の長い髪がキラキラと輝いている。

 背中を向けたままのジュダムーアが再び静寂を破った。


「もし、神様がいるとしたら、なぜボクたちはたった二十五年で死ななくてはならないんだろう」


 体の芯から冷えるような気迫が、床を這って足元に絡みついてきた。


「強大な魔力を持っていても、子を作っただけで命を終える。ガーネット以外は虫けら? 笑わせる。それは誰かが作った気休めに過ぎない。世継ぎを作って死ぬだけのボクらの方が、よっぽど虫けらじゃないか」


 独り言のような言葉の後、首だけで振り向いたジュダムーアが、この世を呪う目で私を見た。とても話し合いの雰囲気ではない。


 ジュダムーアから滲みでる怨念のような魔力が忍び寄り、徐々に息苦しさが増して体が重たくなってきた。

 でも私たちは、それが長く続かないことを知っている。

 このまま魔力を使わせるように誘導して、弱った隙をつかなくては。


「ボクが生きていたいと思うのは罪なのか?」

「ジュダムーア、あなたが生きたいと思うことを罪だとは思わない。でも、人の命を奪い続けたり、魔力の弱い人たちを虐げていい理由にはならない!」


 私の言葉のせいか、それともガーネットの運命を思ってのことなのか、ジュダムーアが怒りでくしゃっと顔をゆがめた。


「他のガーネットと同じように、僕も死なねばならないのか」

「一気に行くぞ」


 サミュエルの言葉に全員が応答し、構えた。


「否! ボクだけはガーネットの呪縛から解放されるんだ!」

「シエラ!」


 サミュエルが私の名を呼ぶ。


「アマテラス!」


 ジュダムーアが振り向くと同時に、私は呪文を唱えた。


 カトリーナとイーヴォの魔石から力が溢れ、しびれるほど大量な魔力が胸から全身に駆け巡る。足元から渦がおきて髪の毛が逆立った。指先へ向かう魔力が滝のような激流となる。それらが全てポッケの杖に向かい、まばゆい光を放った。


 私は目の前の出来事が信じられず、目を丸くして驚いた。


 大量の光が噴出してすべてが金色に染まる。カトリーナと戦ったときよりずっとずっと量が多い。

 目がくらんで見えないが、みんなの魔力が爆発的に跳ねあがったのをビリビリと肌で感じる。


 ……カトリーナの魔石、本当にすごい。やっぱり龍人は私たちのためを思ってくれていたんだ。

 これならジュダムーアに勝てるかも!


 龍人への信頼が確信へと変わり、それとともにやってきた勝利の予感で私の不安が打ち消された。

 みんなが一歩前に出て、横一列に並ぶ。燃えさかる気の炎をまとった頼もしい戦士の後ろ姿に、私から自然と笑顔が漏れた。


 部屋を埋め尽くしていた大量の光が、ふわふわと舞い落ちて徐々に消えて行った。少しずつ視界が元に戻ってくると、最後に残った一粒の光が、祭壇の方へ流れていくのが見えた。

 そしてそのまま消えて行く。


 そう思ったのは私の間違いだった。

 光がジュダムーアの頭上に落ちていく。


 悪魔のような笑みを浮かべるジュダムーアが、自分の手を愛し気にながめるのを、私は不思議な気持ちで見ていた。


 私たちの魔力が高まったことはジュダムーアも分かっているはず。ピンチなのに、なぜ機嫌が良いのだろう。


「……これがシエラの力か。確かに龍人の言う通り、ボクにふさわしい」

「どういうことだ⁉」


 最初に異変に気付いたガイオンが、額から汗を流した。

 直後、ジュダムーアがその瞳と同じ深紅の炎をまとった。爆弾が爆発したような音とともに空気が揺れ、視界がゆがみ、体が押しつぶされる。

 前に立つみんなが盾となってくれたおかげで直接衝撃は受けなかったが、思わず私の口から悲鳴が漏れた。


「くっ……まさか、ジュダムーアもシエラの恩恵を受けている……のか?」

「わ、私の……恩恵? 私はなにも……」


 アイザック以上に、私の声に動揺が滲んでいる。意味が理解できない。

 サミュエルがギリギリと歯を食いしばった。


「シエラをここで生活させたのはそう言う訳だったのか、龍人!」

「ほほほっ。龍人さん……あなたって人は!」

「私が生活した訳……? そんな、まさか!」


 徐々に、ジュダムーアに何が起きたのか、龍人が何を考えていたのか、私は理解し始める。


 手をかざしたバーデラックがジュダムーアの魔力を吸収し、ほんのわずかに呼吸が楽になった。辛そうに顔を歪めるバーデラックに対し、ジュダムーアは余裕の笑みを浮かべ、本来の自分の力を味わうように、うっとりと目を閉じた。


 そして、喜びに満ちた顔を私たちに向ける。


「ボクの邪魔をするやつは全員死ねぇぇぇぇぇぇっ!」


 アマテラスの力を受け取ったジュダムーアが、倍増した魔力を解放した。

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