第152話 婚約前夜 9

 緊張の糸を張りつめたまま、私はサミュエルと並んで階段をのぼり始めた。


 カトリーナとの戦いが終わった私たちを待ち受けるのは、最大の敵ジュダムーア。

 階段を照らす灯花とうかが枯れかけているのだろうか。心の奥に蓋をした気持ちを見透かすように、チリチリと不気味に点滅している。


 気持ちが落ち着かない私は、後ろからついてきているアイザックをチラリと振り返った。


「アイザック、体は大丈夫?」


 アイザックがはにかみながら返事をする。


「あ……あぁ、情けないところを見せてしまったな。現役の頃と同じように動いてたら、ちょっとだけ力の配分を間違ってしまったみたいだ。でも、イーヴォが用意していた回復薬が効いてきたからもう大丈夫だ」


 戦いの最中、ものすごい勢いで騎士を倒していたので気が付くのが遅れてしまったが、本当ならもっと早くに私がアイザックの力をサポートしなくてはならなかった。

 今回はバーデラックのおかげで事なきを得たが、ジュダムーアの前で絶対に同じ失敗はできない。私は心の中で猛反省する。

 深刻な顔をしていると、ガイオンが近寄ってきて耳打ちをしてきた。


「シエラたちに会う前、アイザックはイオラに老人扱いされてな、それを気にして頑張り過ぎたんだと思うぞ」


 ニシシ、と笑うガイオンに、アイザックが「聞こえてるぞ」と一言告げる。

 前はアイザックを憧れるような目で見ていたガイオンだが、しばらく見ない間に随分と仲良くなったようで、今ではすっかり良いコンビだ。

 二人の掛け合いのおかげで、張りつめていた気持ちがわずかに和んだ。


 話しているうちに、階段は三階に差し掛かる。

 一階へ降りる時の私たちが、騎士と戦った場所だ。


 大きくあいた穴や無秩序にえぐれた壁の隙間から、月の青い光が様々な方向に差し込み、気絶している数名の騎士を照らしている。

 さらに上を目指し、ごろごろ床に転がっている壁石と騎士を飛び越えたところで、アイザックが話しはじめた。


「先ほどのカトリーナを見て確信した。事前に受けたイオラの密通通り、肉体の限界が近いジュダムーアに魔力を使わせて、力が尽きた所でとどめを刺せばなんとかなりそうだ。三日前、シエラへ数発の攻撃をしただけで倒れたということは、カトリーナの方が厄介だった可能性すらある。油断はできんがな」

「こう言っちゃ悪いが、カトリーナは良い予行演習になった。……もしかして、龍人の仕業だったりしてな」


 神妙な面持ちのガイオンがポツリと呟く。

 龍人、という言葉に、サミュエルの目がつり上がった。


「カトリーナは『龍人に助けられた』と言っていたな。あいつのことだ、俺たちをはめようとしているかもしれん。なにか裏工作があると思った方が良い」


 サミュエルにみんなが同意する中、私はピアノを弾いたときに見せた龍人の素顔を思い出した。

 龍人は、私たちをおとしいれることは無い。もし龍人の仕業なら、カトリーナの生前贈与も私たちのためだ。そう思って反論した。


「龍人は味方だよ。きっと、私たちのためになにか考えてくれてるんだと思う。だから、龍人とは戦わないようにしよう」


 願望を含む私の言葉の後に沈黙が生まれた。ピリッと空気が張りつめる。みんなは龍人を信用していないことが嫌でも伝わってきた。

 隣のサミュエルを見上げてみるが、言葉が見つからないのか、困った顔でチラリと私を見るだけだ。


「バーデラックも、そう思うでしょ?」


 龍人を崇拝していたバーデラックなら分かってくれるはず。

 淡い期待を抱いて聞いたが、しどろもどろに「わ、私も多分、そうだと思いますよ」と歯切れの悪い返答が返ってきた。

 その後に、サミュエルが私を見てきっぱりと言い切る。


「シエラ。お前の気持ちも分かるが、今までのことを考慮しても龍人は信用できない。殺すことも覚悟しておいてくれ」

「そんな……!」


 アイザックもサミュエルの意見を後押しした。


「一瞬の躊躇が勝負を左右する。そこは今のうちに統一しておいた方が良いだろう」


 二人の意見にガイオンも続く。


「俺も同感だ。ジュダムーアもそうだが、龍人ならわずかな隙をついて俺たちを全滅させるかもしれないぜ。……分からんけどな」


 みんなの意見は一致している。

 しかし、私はどうしても龍人が裏切ったと思えない。諦めきれずに食い下がったが、全てを言い終わる前にサミュエルに言葉を遮られてしまった。


「ま、待ってよ! 本当に龍人は……」

「シエラ。俺たちを……お前をここまで追い込んだのは龍人だぞ。そこを忘れるな。あいつは言葉巧みにお前の心をあやつっているだけだ。この機会を逃して婚約が成立してしまったら手の打ちようがなくなる。もし婚約を破棄すれば、お前も、孤児院のみんなの命も危険にさらされることになるんだぞ。だから、龍人なんかのためにこの機会を棒に振っては絶対にだめだ。いいな」


 サミュエルの意思は固い。

 それに、私に対して立場をはっきりさせなかった龍人も、こうなることを望んでいるんじゃないかと薄々感じていた。


 龍人との対立が避けられないと悟り、胸が張り裂けそうになりながら、私は「うん」と言うしかなかった。


 ……あぁ……龍人!

 本当にあなたと戦わなくてはならなくなってしまった!


「……辛かったら俺たちだけで行くぞ」


 サミュエルが心配そうに言った。

 しかし、私は龍人だけでなく、みんなも失いたくない。だから、ジュダムーアと戦う前に抜けるわけにはいかない。


「……絶対私も行く」


 私が返事をすると、ガイオンのつぶやきが聞こえた。


「しかし、こんなにすんなりジュダムーアにたどり着くなんてな」


 この時私たちは、敵の妨害に合わないまま最上階の一つ下である、六階が見える位置まで来ていた。

 確かに、ジュダムーアが一階に集まった騎士団を信用しきっているとは思えない。

 ガイオンのつぶやきで違和感を覚えたとき、一段上がるごとに徐々に見えてくる六階の踊り場で、ゆらりと人影が揺れた。

 新たな敵の出現で私の全身に戦慄がはしる。


「誰かいる!」

「全員止まれ!」


 私が叫ぶのとサミュエルが指示するのはほとんど同時だった。

 すぐさまサミュエルとアイザックが剣を抜き、ガイオンも攻撃の姿勢を取る。私もジャウロンの飾りがついたポッケの杖を握りしめて警戒した。

 そこに聞こえてくる聞きなれた声。


「いらっしゃい、シエラちゃん。ジュダムーアはこっちよ」


 踊り場から私たちに呼びかける人物が、階段を見下ろすように顔をのぞかせた。


「トワ⁉」


 いつも通りニコニコしているトワが私を手招きした。

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