第137話 服従

「お呼びでしょうか、ジュダムーア様」


 昨日、私は痛恨のミスを犯した。

 そのせいで、シルビアに姿を変えたイーヴォに魔石の生前贈与を受けたばかり。


 今度こそ失敗しないぞ。


 丁寧に挨拶をし、促されるまま無駄に長いテーブルの、いつもの席につく。テーブルの端と端に座っているのに、私を恨んでいるような赤い視線が刺さる。

 ポッケがいてくれて本当に良かった。もし一人だったら、ジュダムーアと二人っきりの空間で生きた心地がしなかっただろう。


「魔石を持っているな。見せろ」


 ……来た!


 静寂を破るジュダムーアの声に、私の心臓が緊張で跳ねた。動揺を悟られないよう手の震えを必死に押さえる。そしてネックレスをひっぱり魔石を取り出して言った。


「今朝起きたら魔石の色が変わっていました」


 ジュダムーアが片方の眉毛を上げた。

 文句を言われる前に私が先手を打つ。


「沢山の生前贈与を受けたジュダムーア様にお聞きしようと思っておりました。騎士団長に相談したところ、ガーネットの魔石に私の青い魔力が合わさって赤紫色になったのではないかと言うことでした。ロードライトガーネットという宝石に似ているそうです。良く分からないのですが、持つ人間によって魔石の色が変わるということはあるのでしょうか?」


 寿命に執着しているジュダムーアは、きっと寿命を延ばす魔石にも執着を見せる。そう予測していたイーヴォが、考えてくれた言い訳だ。


 ————魔石の生前贈与なんて、同じ人種でもめったにするものじゃないからね。異人種間での生前贈与が魔石に及ぼす影響は誰も知らない。ジュダムーアは沢山の魔石を譲り受けたけど、全て自身の魔石に融合していたから知らないと見て間違いないよ。


 イーヴォの入れ知恵で私に問いかけられたジュダムーアは、「ふーん」と言って私の髪の毛を見たが、それ以上質問してくる様子はない。


 ……やった! イーヴォ、上手くいったよ!


 イーヴォと十回練習した成果が発揮されホッとする。しかし、いつものように顔に出すような失態は犯さない。……これもイーヴォと特訓済だ。

 あとは、また失敗する前に早くここから出るだけだ。


「用事と言うのはこれだけでしょうか。もし他になければ……」

「まだだ」


 椅子から立ち上がったジュダムーアが、禍々しい赤い目で私を捉える。そして、ゆっくりと近づいてきた。一歩踏み出すごとに足元から浸食してくる恐怖と不快感。

 テーブルの角を挟んで私の隣に座ると、三十センチの距離まで顔を寄せ、まっすぐ私の目を見てきた。初めて間近に見るジュダムーアは、とても残酷で、とても美しい顔をしていた。目を逸らしたいのに、金縛りにあったように体が言うことを聞かない。冷や汗が額を流れる。


「ボクはこのままだと死ぬらしい。巨大な力を手にし、国の頂点……いや、世界の頂点に立ったというのに、肉体の限界を迎え虫けらのように死んでいく。お前にわかるか、この気持ちが。でも、ボクはまだ死ぬべきではない」

「ひぐっ」


 ジュダムーアが私の顎を乱暴に掴んだ。

 どす黒い血のような目が、私を恐怖で満たしていく。そして、次第に視界にもやがかかって意識が遠のいていった。







「やーい、枯れ木のシエラ!」


 突然聞こえてきた声に振り向く。背後に立っていたのは、いつも私をいじめてくる村の子どもたち。

 私は孤児院の裏山にいることを疑問にも思わず、ニヤニヤ見てくる子どもたちに不愉快を感じた。


「気持ち悪いからお前なんかどっか行っちゃえー!」


 ……どうして私だけみんなと違う色なの? 私は生まれてこなければ良かったの?


 いつもの悪意にさらされ泣きそうになった時、誰かが私の髪を一束掴んだ。そしてツンツンと引っ張る刺激に気を取られ、運よく現実世界に意識を浮上させられる。

 パッと目を開けると、馬車に酔ったみたいな吐き気が込み上げ、思わず口を押えた。


「うっ……なに、今の⁉」

「ボクに抗うとは、やはり母親の魔石の力が強力なのか」


 ジュダムーアが不機嫌に目を細め、私を一瞥する。

 魔石の効果かどうかは分からないが、私の髪を心配そうにギュッと掴む感覚に、助けてくれたのはポッケだと察した。


 ……ありがとう、ポッケ。


 唾液を飲み込んだ私は、負けじとジュダムーアを睨む。


「あなた、今私になにかしたでしょ?」

「そう。お前はボクに服従するんだ」


 ジュダムーアが杖を取り出し私に向けた。

 嫌な予感がした私は距離を取ろうと手を突き出し、横に体をそらせる。


「やめて……!」


 今度は先ほどに比べ物にならない強い眩暈が襲う。抵抗虚しく、すぐに意識が遠のいていった。






「お前を拾ったせいでユリミエラが辛い思いをしているんだぞ。分かっているのか、ゴミが!」


 私に石を投げる村の子どもたちの横に、今度は親があらわれた。実物より大きな男の手が、邪魔者を排除しようと迫ってくる。私は全速力で走って逃げた。


 ……怖いよ、ユーリ!


 体を覆いつくす敵意にのまれそうになりながら、心の中でユーリに呼び掛ける。

 すると、必死に逃れる私の前に、求めていた人の後ろ姿が見えてきた。


「ユーリ! 聞いてよ。村の人たちが、また私のこと枯れ木って呼ぶの」

「それがどうした?」


 振り返ったユーリは、軽蔑するように私を見下ろす。


「どうしたって……」

「だって、正しいじゃないか。お前は誰にも必要とされていない、枯れ木のシエラだろ」

「そんな……」


 予想もしていない言葉にショックで頭が真っ白になると、今度は椅子に座って編み物をしているユリミエラがあらわれた。


「お母さん……ユーリが変なの」

「ユーリが変? 変なのはあなたでしょ。枯れ木のシエラ」


 ユリミエラの冷たい視線に後ずさりをすると、背中になにかがぶつかった。


「サミュ……エル……⁉」

「お前さえ生まれなければ、俺は苦しまなくて済んだのに」


 トワ、龍人、シルビア、アイザック、ガイオン……。

 私が迷惑をかけた人が次々と具現化していき、口々に私を責め立てた。


「ごめんなさい……ごめんなさい!」


 悲しみが限界を超え、絶望感が心を支配し、苦しみに抗う意欲さえなくなっていく。痛み止めが聞いたように感覚が無くなると、麻痺して楽になった頭がある結論を見出す。


 そうだ。

 私がいなければ、誰も辛い思いをしなかったんだ。


 生きることをあきらめようとした時、暗闇の中にポツンと立ち尽くす一人の子どもが見えた。あれが誰か、聞かなくても分かる。子どもの意識が勝手に私の心に流れ込み、なにを思っているのか手に取るように感じるからだ。


 きっとあれは私だ。


 感覚を共有していることで、疑いもなくそう理解した。


 なぜ生まれてきたのだろう。

 なぜ孤独なんだろう。

 なぜ無能なんだろう。


 なぜ愛されないのだろう。


 穴の開いたバケツが全てをこぼしていくように、欲しいものがボロボロこぼれていく。諦めて目を閉じると、私と感覚を共有している子どもの声が頭に響いた。


「どうして誰も本当のボクを見てくれないの」

「えっ?」


 少年の悲しそうな目が私を見た。


 ……あれ、男の子?


 あの子どもは自分ではない。

 そう気が付いた時、私は再び意識が現実に戻ってきた。





 目を開けて見えたのは、床から勢いよく成長する巨大な豆の木。軋みながら絡み合い、太さを増し、まるでわたしを護る用に何重にも重なっていく。


「お前は一体なにをした!」


 ジュダムーアの怒りに満ちた声、そして豆の木を破壊しようとする衝撃音と振動が次々と体に届いた。すごい威力で木がゆがみ始める。


「ひぃぃぃぃぃっ!」


 烈火の如く怒り狂うジュダムーアの怒号。衝撃が襲うたびに頭の上のポッケが「ぴっ!」とか弱く鳴いた。


 この豆の木は、ポッケが私を守ろうとしてくれたものなんだ。


 私もポッケを守らなきゃ。そう思って私も魔法で対抗しようとするが、行動に移す前に、衝撃に耐えかねた豆の木が爆発音と共に砕け散った。風が私の髪の毛を逆立てる。


「キャァァァァッ!」


 開けた視界で、狂気に満ちたジュダムーアが私を見下ろす。

 そして、豆の木を木っ端みじんにした杖を私の頭に向けた。


「お前はなにを


 私は死を覚悟した。

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