第144話 開戦 ~ 婚約前夜 1

 ついに迎えた婚約前日。

 これから一足先に、私は重大任務を遂行する。


 城にいる騎士は、班ごとに時間をずらして休憩をかねた食事を取る決まりがある。

 それを利用して龍人を引き付けるのだ。


 ポッケを頭に乗せた私は、いつも通り夕食作りのために厨房へ。

 調理台の上に、湯気が立ち昇るスープが並んでいる。一番最初に休憩を取る班のものだ。


 私は何食わぬ顔で厨房のライオットたちに挨拶し、調理台に近づいた。そして一番手前のお皿にイーヴォからもらった錠剤を落とす。即効性のある強力な下剤だ。錠剤がスープの中で崩れ、すぐに溶けて消えて行く。

 どうやら誰にも気づかれずに役割を果たせたようだ。私は肩の力を抜く。


 ————これを飲めば、三十分くらいで強烈な腹痛が起きて、冷や汗と吐き気をもよおすはずだから、絶対龍人が呼ばれると思うよ。


 とても楽しそうに説明していたイーヴォを思い出す。

 私はいっそのこと、スープの鍋に混ぜたら数班分の戦力を削ぎ落せるんじゃないかと思った。

 しかし、大規模にやったらすぐに警戒される可能性があるし、料理が怪しまれたら調理場の下働きの命が危ない。やるならごく自然な体調不良に見せかけないとだめなのだ。……と、イーヴォが言っていた。


 ……上手くいきますように!


 私は作戦の成功を心の中で祈り、サミュエルに届けるパンとチキンのトマトスープをおぼんに乗せ、厨房の外で待っているイーヴォと共に軟禁部屋へと向かった。


 あと数十分もしたら革命が始まる。

 計画通りに行くだろうか。全員無事でいられるだろうか。龍人はなにをしようとしているのだろうか。

 歩いているうちにやたらと不安が込み上げてくる。


 ————僕が死んだら


 昨夜の龍人の言葉がよぎり、嫌な予感を振り払うように頭を横に振った。

 龍人が死ぬわけない。本人が言った通り、永遠の命があるのだから。そう自分に言い聞かせる。


 私の様子がおかしかったせいか、イーヴォが心配そうに声をかけてきた。


「緊張してるの? 大丈夫?」

「あ……ごめんね、つい色々考えちゃって」


 顔がこわばっている私を見て、イーヴォが安心させるように笑顔を浮かべる。


「そうだよね……。でも、いざとなったらみんなで逃げれるように、大量にお香を用意したから安心して! 城中煙でもっくもくにして、僕がみーんな眠らせてあげる。そしたら仲間もみんな眠っちゃうけど、刺激臭で起こして回るんだ。その後に鼻水を垂らすサミュエルが見れて激レアだよ!」


 私を笑わせようと、わざと目を釣り上げたイーヴォがサミュエルの真似をする。不機嫌そうな感じがそっくりだ。

 私がクスクス笑うと、イーヴォもホッとしたように笑った。


 ちょうど緊張がほぐれた時に到着したサミュエルの軟禁部屋。

 鍵を開けたイーヴォが、前室で手を振って私を見送る。


「シエラ!」

「サミュエル、お待たせ!」


 待機していたサミュエルは、ガイオンの実家で格闘技を習った時のように髪の毛を一つに束ねていた。しかもいつもより表情が明るい。見るからにやる気満々だ。


 サミュエルが私に歩み寄ると、「今日もありがとう」と言っていつも通り頭を軽く撫で、食事を受け取った。なぜかおとついからテーブルと椅子が無くなっているので、二人でベッドに腰を掛ける。


 サミュエルは特に緊張していないのか、普段と特に変わりなくパンをちぎって食べた。


「お前は食べたのか?」

「食べ物がのどを通らなくて……。サミュエルは良く食べれるね」

「腹が減っては戦ができんからな」


 もぐもぐしながら言うサミュエルの言葉に、なつかしさを感じる。


「ふふっ。それ、前も言ってたよね」

「戦の基本だ。ま、お前のことだから一口食べてみたら食べれるだろ。ほれ」


 サミュエルがちぎったパンを私の口に放り込んだ。

 しかし案の定、緊張で口がカラカラになっていて上手く咀嚼できない。


「あぐっ、ひょ……ひょっと、私はくひがかわひてて」

「あ? なんだ、スープも欲しいのか」


 そう言ってサミュエルが体を寄せた。髪の毛を縛っているせいで、端正な顔立ちがいつもよりはっきり見える。


 ……う……わ……、近い。美人。


 私は普段と違う雰囲気に戸惑うが、サミュエルは気にせず涼しい顔で私の口にスプーンを運ぶ。味も分からずやっとのことでパンを飲み込むと、美人なサミュエルが「美味いだろ?」と言ってにっこり笑った。


 ……すごい。サミュエル、本当に緊張してないんだ。


 自分たちの勝利を知っているかのように落ち着き払う姿に頼もしさを感じる。そして最近良く笑うようになった美しい顔に釘付けとなり、かろうじて生返事を返した。

 見惚れてボーっと見つめる私に、サミュエルが不思議そうに首をかしげる。

 私は何か言わなきゃ、と思ってとっさに思いついたことを口にした。


「サミュエルって、ちょっとだけアイザックに似てるね」


 サミュエルの方がかっこいいけど、と心の中で付け加えると、サミュエルが心底嫌そうな顔で「似てないだろ」と言った。

 あまりのしかめっ面に私が笑った時だった。


「うわぁっ!」


 横に大きく揺れる足元。

 合図だ。

 芽衣紗が城を破壊し始めたのだ。


「よし、行くぞ。俺たち全員の幸せのために」


 サミュエルが立ちあがり、私に手を差し伸べた。


 そうだ。

 私はもう、人の命が物のように扱われるのは見たくない。

 魔力があったって無くたって、髪の色が何色だっていい。

 そんな些細なことで人の価値を決められる時代を終わらせるんだ。


 サミュエルの手を取った私は、決意を新たに力強くうなずく。

 サミュエルもうなずき返し、守るように私を左手で抱きよせる。そして右手を前に出すと、勢いよく炎を噴射して扉を吹っ飛ばした。熱風が髪の毛を巻き上げる。


「うひぃ……、すごいねサミュエル」

「一週間以上も閉じ込められてたからな。まだまだこんなもんじゃ済まないぞ」


 ……ほ、本当に頼もしい。


 部屋から出ると、前室で本を読んでいたイーヴォが吹き飛んだ扉を見て固まっていた。サミュエルにギロリと睨まれ、「ひぃぃ」と言って体をこわばらせる。その横には見慣れた剣。視線に気付いたイーヴォが説明する。


「あ、これ、さっき龍人が置いて行ったんだ……そろそろ必要だろうって」

「龍人が?」


 眉間に皺を寄せたサミュエルが剣を受け取る。


「特に変わった所はなさそうだが……」

「もしかして、私たちのすることを分かった上で誘ってる?」

「だろうな。面白い。望むところだ」


 サミュエルの前にかざされた剣が緑色の光を帯びた。







 そのころ城の外では。


「いやぁぁぁぁあおぉぉぉぉぉぅっ!」


 芽衣紗の叫び声が闇夜に響いた。

 頭のない馬のような、四本足がついた箱に乗り込んでいる。月の光を反射して黒光する外見、人間と逆に曲がる足が昆虫を彷彿させる。箱の横から伸びる腕を振りかぶり、二度、三度と城の壁を突き破った。


「ひゃっほぉぉぉぅ! さぁぁぁぁいっこぉぉぉぉう! 一回やってみたかったんだよねぇぇぇぇぇ!」


 凄まじい威力で城壁が薄氷のように崩れ落ちる。

 興奮で顔を紅潮させる芽衣紗。目の前の壁が無くなると再び絶叫した。


「芽衣紗様が解き放ってしんぜよう! 出でよ、世界最強の怪物!」


 芽衣紗が床を突き破った。

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