第140話 カウントダウン 2 鏡花水月

 明日の婚約前夜、私たちは革命を起こす。


 昨日、今日と、サミュエルがずっとピリピリしているのはそのせいかと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。言いたくないみたいだったので詳しくは聞いてない。

 ただ、サミュエルのところに訪れるのは私か龍人くらいだから、きっと龍人と何かあったんだと思う。ジュダムーアより先に龍人を殺しかねない雰囲気だった。


 私としてはイーヴォのおかげでシルビアは無事だったし、行動の意図が分からないにしても、やはり龍人が敵だとは思えない。


 正直な所、本当にジュダムーアの仲間になってしまったのではと言う不安はある。しかし、過去の良い思い出が龍人と敵対することを拒んでいるのだ。


 だから革命を起こす前に、もう一度だけ龍人と話がしたい。


 シルビアの生前贈与の後から、龍人は私を避けているようだ。だから、私はイオラにお願いした。

 手遅れになってしまう前に、私が確認しなくては。





「どうぞ」

「……シエラちゃん、呼んだ?」


 ……さっきイオラにお願いしたばっかりなのに、もう来てくれた。


 就寝前、私の部屋を遠慮がちにノックした龍人が、恐る恐る扉から顔をのぞかせる。心なしか息が上がっているようだ。もしかして急いで来てくれたのだろうか。


「うん。急に呼んでごめんね。中に入って」


 私に促された龍人は一度扉の後ろに顔をひっこめると、にこやかな笑みを張りつけて入室してきた。あれは、ジュダムーアの部屋に入るときの顔だ。


 ……龍人ってこんなに分かりやすかったっけ?

 それとも、私が龍人のことを分かってきたのかな。


 わざと顔を取り繕ったのが伝わり、必死に呼吸を整えたのかと思うと笑いが込み上げてきた。


「ぷはっ! 龍人ってば、ちょっと会わない間に嘘が下手になっちゃったの? その顔、怪しすぎるよ」


 ケラケラ笑う私に、龍人のポーカーフェイスが崩れる。


「あー、焦って失敗しちゃったよ。僕は誰よりも感情をコントロールするのが得意だったはずなのに、大好きな天使の前では通用しないね。本当、シエラちゃんには敵わないなぁ……」


 私が天蓋付きのベッドから椅子へ移動すると、テーブルを挟んで龍人も腰を下ろした。


 今日が最後のチャンス。

 ここで、龍人が私たちの仲間であることを確認しなくては。

 私は心の中で「よし」と気合を入れ、身を乗り出して話を切り出す。


「私、龍人がなにを考えているか分かっちゃった」

「へぇ。わざわざ教えてくれるなんて優しいね」


 龍人の声が弾む。


「ジュダムーアって、サミュエルに似てるところがあるでしょ。一人ぼっちで孤独な所とか。もしかして龍人、ジュダムーアの心を開かせようとして私をここに連れてきたんじゃない? 私がサミュエルにしたのと同じように」


 私の言葉を聞いて、ちょっとだけ口角を上げた龍人がクスクス笑う。

 あれ、絶対そうだと思ったのに、なにか違ったのかな。


「素晴らしい推測だ。確かにジュダムーアと以前のサミュエルは似ているところがあるね。そこに気が付いたのはさすがだよ。でも、残念ながら二人には根本的な違いがあるんだ」

「根本的な違い?」

「そう。サミュエルは六歳で両親を亡くすまで、愛情をたっぷり注がれていたでしょ? 六歳って言うのはちょうど罪悪感を感じる歳でね。だから目の前で両親を失ったサミュエルは、その原因が自分にあると思って罪悪感を感じていたんだ。彼がひねくれた大きな原因の一つだと思うよ。でも、ジュダムーアは違う。産まれてから愛情を一切知らないんだ」


 ジュダムーアが愛されていなかったのは、母親に抱きしめられたことがないという言葉でなんとなく感じていた。

 しかし分かるのはそれだけ。言わんとしている意味が理解できない私は、眉間に皺を寄せて首をひねった。龍人が話を続ける。


「人間って、赤ちゃんのときに誰かから愛情を受けることで『自分が愛される価値のある人間だ』って無意識の中に埋め込まれるんだよ。そして、愛された子は他の人にも愛情を伝搬していく。赤ちゃんのときにそういう経験ができなくても、成長する中で経験できれば修正が可能ではある。でも、ジュダムーアは愛情でのコミュニケーションを知る前に、力でコミュニケーションをとる方法を覚えてしまった。だから、彼には愛情の受け皿自体が存在しない。いくらシエラちゃんでも、ジュダムーアの寿命が尽きるまでにそれを修正するのは難しいんじゃないかなぁ」


 愛情の受け皿が存在しない?

 そういえばジュダムーアに愛を教えろと言われた時、私が抱きしめたらあからさまに不機嫌になった。あれのことだろうか。

 それに、ジュダムーアの寿命が尽きるまでって、やはり体の状態が良くないのだろうか。


「ジュダムーアって、やっぱり調子良くないの?」


 龍人が困った顔になり、頬杖をついて私を見つめた。


「あまり良いとは言えない」


 じゃあ、遅かれ早かれジュダムーアは死んでしまう。誰からの愛情も受け取れないまま。

 私の脳裏に、幼い頃の悲し気なジュダムーアの姿がこびりつく。


「ジュダムーア、かわいそう……」

「彼に対してもシエラちゃんはそう思うんだね。だから、シエラちゃんには婚約してもらわなくちゃいけないんだ」


 龍人の言葉には沢山のヒントが隠れている気がする。

 でもなにを暗示しているのか、最後の答えが分からない。私の中で次々と疑問が浮かび上がってくる。


「ジュダムーアの寿命と私の婚約が関係あるの? それって、私を王にするため? ジュダムーアに愛情を分らせるため? でも、私がジュダムーアと婚約したら、もうみんなには会えなくなっちゃうんでしょ? 龍人は私の側にいてくれるの? 龍人はやっぱり私たちの味方なんでしょ?」


 私の質問攻めに、龍人は嬉しそうに笑った。


「シエラちゃんは賢いね。良い質問が沢山だ。でも、今の僕が答えれるのは、シエラちゃんはシエラちゃんらしくいてくれたら良いって言うことだけ。そうすれば、自然と一番良い答えを導き出せるよ」


 私が答えを導き出す?

 そんなことができるだろうか。もう時間がないし、もし間違ったら。


 様々な不安が私を襲う。


「……難しくて分からないよ。せめてもう少しだけヒントをちょうだい」

「大丈夫。シエラちゃんはそのままでいてくれるだけで良いんだよ」


 話し終えた龍人が立ちあがり、私の頭を優しく撫でた。

 結局、龍人は私たちの味方だという確信が得られなかった。このままでは龍人と戦うことになってしまう。でも私は龍人と傷つけ合いたくない。

 どうしたら良いんだろう。


「そんな顔をしないで」


 龍人が私に手を差し出した。


「前にした約束を覚えてる? 今からシエラちゃんのためにピアノを弾くね。……本当は僕、ずっとピアノから逃げてきたんだ。でも一度くらい、勇気を出して向き合ってみるよ。だから、もし良かったら……僕のことを見ててくれる?」


 私を励まそうとしてくれているのだろう。

 そう思った私は、素直に龍人の冷たい手を取った。





 龍人の案内で礼拝堂に初めて入る。


「こんな場所があったなんて知らなかった!」


 高い天井にある高窓から幾筋もの月明りがさし込み、規則的に並ぶ椅子、そして黒くて光沢のあるピアノを照らしている。

 その光景は、今しがたあらわれた奏者に、準備ができていることをピアノ自身が告げているようだ。


 私は神聖な雰囲気に息を飲み、はじめて聞くピアノの音色に期待を募らせる。


「下手くそだから、あんまり期待しちゃ、ダメだよ」


 振り返る龍人が苦笑し、静かにピアノの前に座った。わずかに手が震えている。龍人でも緊張することがあるのか。私は呑気にそんなことを思っていた。


 暗闇の中、月明りを背中に浴びる龍人が、何かを確かめるように、一つだけピアノの鍵盤を叩く。


 高くて澄んだ音色。

 とても優しくて、きれいな音だ。


「なんていう曲を弾くの?」

「……主よ、人の望みの喜びよ。シエラちゃんにぴったりの曲だよ」


 私の胸の高鳴りに応えるように、龍人の演奏が始まった。




作者:田中龍人

https://kakuyomu.jp/works/16816452219517599517/episodes/16816452220305013636

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