第130話 ジュダムーアのケーキ

「じゃあ、約束通りジュダムーア様との朝食に行こうか」


 サミュエルの部屋を出た私を待っていた龍人が、にこやかに言った。

 婚約前に少しでも仲良くなると言う名目で、今日からジュダムーアと食事なのだ。

 残念ながら、仲良くなれる気は全くしないけど。


「……本当に一緒に食べるの? 大丈夫?」


 ジュダムーアにたれそうになった記憶がトラウマのようにフラッシュバックする。


「心配だったら僕も一緒にいようか?」

「ほんとっ? お願いだからそうして!」

「分かったよ。最初は緊張するもんね。慣れるまで一緒にいてあげる」

「ありがとう……龍人!」


 涙目で礼を言う私に、胸に手をあてた龍人が「どういたしまして」と礼儀正しくお辞儀した。


 すごく頼りになる!

 ……って、ひょっとして。

 これがアイザックが言っていた、龍人の計画だったりして。





 逃げ場の無い私は、騎士たちの視線を感じながら憂鬱な気持ちをひきずって最上階を目指す。

 エルディグタール城に来た日にも思ったが、護衛の騎士がいるのは一つ下の六階までで、やはり最上階にはいない。


 ……王の周りにこそ沢山いそうなのに。


 考えているうちに、私と龍人は華美な彫刻の大きい扉へたどり着いた。自然と増す緊張感。


「……食事って、ジュダムーアの部屋で食べるの?」

「うん。彼は仕事以外であまり部屋を出ないから」

「えっ、ジュダムーアって仕事してるの?」

「そうだよ。王様って結構忙しいんだ。それと、ここから先はジュダムーア様って呼んでね」


 ……意外。

 いばってるだけじゃなかったのか。


 私は消え入りそうな声で「はい」と答え、ジュダムーアの待つ広い部屋の中に入って行った。


「ご、ごきげんよう、ジュダムーア様」


 私はマナーの教室で習った通り、スカートをちょこんとつまんで会釈する。そして、そのまま龍人に促され、ジュダムーアの冷たい目線を感じながら朝食の席に着いた。


 孤児院の子たちが全員座れそうなほど大きなテーブルの端と端に、ポツンと座る私とジュダムーア。

 まもなく食事が運ばれるが、終始無言で威圧感たっぷりのジュダムーアの前では、パンもスープもチキンも全部砂のようだ。美味しいのに美味しくない。聞こえるのはカチャカチャという二人の食器の音と、給仕する侍女たちの足音だけ。

 こんなのでどうやって仲良くなれと言うのだろう。


 無理やり喉に押し込めた食事が終わるころ、見かねた龍人が声をかけてくる。


「今日は特別にデザートを用意してもらったんだ。シエラちゃんはきっと好きだと思うよ」

「本当? ありがとう龍人」


 すぐに、食後の紅茶と、それに合うシフォンケーキが運ばれてきた。

 スポンジ生地からただようバニラの香り、横に添えられた真っ白な生クリームと赤いイチゴジャム。装飾のように乗せられたミントの葉っぱがさらに彩を増して美味しそうだ。

 龍人の気づかいとシフォンケーキ、そして紅茶の香りが少しだけ私の心を和ませる。


 これなら美味しく食べれるかも。


 そう思いながらフォークを持った時。


「待ってください!」


 外から大きな声が聞こえたかと思うと、ガーネットの女性と二人の騎士が怒鳴りながら部屋に乱入してきた。


「すいませんジュダムーア様、すぐに退室させます」

「ジュダムーア様! 世界一の魔力をお持ちのジュダムーア様が、なぜガーネット以外の小娘とご婚約などするのですか。目をお覚ましください!」

「ハディージャ様! すぐにご退室を!」


 ハディージャと呼ばれる女性が杖を取り出した。止めようとして腕や服をつかむ騎士の顔に向けて、攻撃を仕掛ける。女性と言えど相手はガーネット。近距離からの攻撃に、よけきれなかった騎士たちが目を押さえて苦悶した。


「無礼な! 私を誰だと思っている。止めるでない!」


 興奮するハディージャの前に、私の後ろにいた龍人が進み出る。


「お前こそ、ここにおられる方をどなただと思っている。ジュダムーア様と未来の王妃様がお食事中だ」

「おのれ、下等種族。お前が元凶だな。ジュダムーア様をたぶらかしおって。私が排除してくれる!」


 龍人に杖を向けるハディージャ。

 そこに、血相を変えたガーネットの男性が慌てて入ってきて、ハディージャを魔力でぐるぐる巻きにつるし上げた。


「ハディージャやめなさい! すみません、ジュダムーア様……! お前、自分が何をしているのか分かっているのか⁉」

「止めないでくださいお兄様! 誰かがやらねば、ガーネットに汚らわしい血が混ざってしまうのです。私たちの両親は、ガーネット以外の人種は虫けらだと教えてくださったではないですか。生きているだけで感謝こそすれ、王と婚約など言語道断!」


 私を汚らわしい血と呼んだハディージャが、ひどく憎悪を含ませる瞳で睨んだ。


「ガーネット以外の者は人間ですらない。すぐに小娘を殺してしジュダムーア様に目をお覚ましいただかなくては!」


 ガーネット以外は人間ですらない。


 その言葉で私の胸が痛んだ。

 部屋の隅に控える侍女たちが、ひっそりと息をひそめる。


 この城で働くライオットやレムナント、騎士たち。

 お世辞にも良いとは言えない環境で生活し、一生懸命、王のために身を粉にしていると言うのに。


 それに、孤児院にいる私のお母さん、血のつながったお父さん、ユーリ、サミュエル……。私の大事な人は、ガーネットだけじゃない。

 産まれた人種によって決まる人間の価値。そんな世界は間違っている。


 この国に潜む、根強い差別の意識に怒りと悲しみが込み上げてきたとき、龍人がハディージャを見下ろして言った。


「ハディージャ、思い違いも甚だしい。たまたま運命のいたずらでガーネットに生まれただけなのに、己が偉いと勘違いしている。お前のような浅はかな奴らが、自らガーネットを滅ぼすということも知らずに」


 ハディージャがさらに逆上した。


「ええい、知った風な口を! 誇り高いガーネットの血を守ることこそ国のため。下等種族などに分かるものか!」

「教育とは恐ろしいね。幼い頃から刷り込まれた虚偽の知識が真実となる。かつて、それで無意味な争いがどれほど起きたことか。だから君たちは中途半端なまま衰退していくんだよ。ジュダムーア様は、浅はかなお前らと違ってさらに先をご覧になっている。お前こそ口を慎め、ハディージャ」


 気にせずケーキを食べていたジュダムーアが、カランと乾いた音をたててフォークを皿に落とした。

 口を拭く所作は優雅だが、周りの光を全て飲み込むような威圧感を漂わせている。

 立ち上がる王に、この場にいる全員が硬直した。

 ハディージャと対峙していた龍人が道をあけ、私の後ろに戻ってくる。


 縛られているハディージャの前に、不機嫌そうなうつろな目でたたずむジュダムーア。その圧力に青ざめた兄が、ハディージャを縛り上げたまま「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。


「ジュダムーア様……私こそが、私こそがあなた様を心から崇拝し、愛しております。どうか私をお選びください」

「……お前の言う、愛とはなんだ」


 言葉を失うハディージャが、一瞬の沈黙の後に答える。


「私は、両親からガーネットの誇りを教えをもらいました。ガーネットとして気高く美しく生きることこそ、私たちの愛であり使命。他の人種とは尊さが違うのです。ですから……」

「そうか」


 ジュダムーアが胸元から杖を取り出し、ハディージャの眉間に当てた。

 すぐに龍人が私の前に立ちふさがり、視界をさえぎるように私の顔を体に押し付けて囁く。


「シエラちゃんは見ちゃだめ」


 ハディージャは、蚊の鳴くような声を残して沈黙した。冷たく「連れていけ」と言い放つジュダムーア。誰かの嗚咽と遠ざかる複数の足音。


 私は耳から入ってくる音で全てを察し、恐怖で龍人の白衣にしがみついた。

 席に着いたジュダムーアが残っていたケーキを食べはじめる。


「殺したの?」


 問いかける私の声が震えている。


「ボクの望む答えではなかった」

「それだけで⁉ 殺す必要までないじゃない! まるであ……」


 悪魔。

 そう言いかけた時、龍人が「シエラちゃん」といさめるように名前を読んだ。

 しがみついたまま息を震わせて龍人を見上げると「僕が側にいるから、落ち着いて」と微笑む。

 龍人にうなずき、一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、椅子に座り直してもう一度聞いた。


「あなたの望む答えってなに?」

「そんなものは知らない」

「じゃあ答えようがないじゃない」

「ボクが満足する答えを用意するのがお前たちの仕事だろう」


 ジュダムーアに、駄々をこねる子どものような幼稚さが滲む。


「そんな理由で殺し続けたら、誰もいなくなっちゃう……ますよ」

「何か問題でも? どうせガーネットは二十五歳で死んでいく。それが少し早くなっただけだ。……そう言うお前は、愛について答えを持っているのか?」

「わ、私は……」


 もし望む答えでなければ、私も殺されてしまうのだろうか。

 言葉に詰まっていると、再びジュダムーアが言った。


「なんだ、お前も愛されたことがないのか」


「はい」と言えば済む話かもしれない。

 しかし、私は今まで沢山愛情をもらってきた。だから、どうしても「愛されたことがない」とは言えなかった。私を大切にしてくれた、みんなに嘘をつくような気がしたから。


「私の知っている愛は、言葉にできるものじゃありません」


 殺される覚悟で、私はアイビーのネックレスを握りしめて言った。


「……ふーん、そう。じゃあ、これから言葉以外でボクがわかるように教えて。できなかったら、ハディージャと同じにするから」

「教えるって、どうやって?」

「それはお前が考えることだろう」


 そう言って、ケーキを食べ終えたジュダムーアが席を立った。

 途方に暮れて見送る私は、フォークを持つジュダムーアの手がわずかに震えていたことに気が付かなかった。



作者:田中龍人

https://kakuyomu.jp/works/16816452219517599517/episodes/16816452219983655171

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