第128話 恩返し

 シチューに舌鼓をうった私、龍人、イーヴォは、食器を厨房に下げて地下へと向かった。まもなく、以前イーヴォに抱えられて通った、狭くて薄暗い階段にたどりつく。


 先を歩いていた龍人が、鉄で縁取られた木の扉を開け私を振り返った。それを「どうぞ」と言う意味に捉えた私は階段へと進む。


 ……前にここを通った時は、まさかジュダムーアと結婚させられそうになるとは思ってもいなかったな。


 そんなことを思いながら、ドレスの裾につまづいてしまわないよう、スカートをちょこんと持ち上げた。そして、下を見ようとして「あ」と小さく声を漏らす。


 暗いのは分かっていたが、それに加えてコルセットのせいで上半身の動きが制限され、きちんと足元が見えない。これは気をつけてりないと階段を踏み外しそうだ。


 そう思ったのもつかの間、扉を開けて待っていた龍人がにっこり笑い、間髪入れずに右手を差し出してきた。


 ……これって、マナーのレッスンで習ったやつ?


 私は自信なさげに左手を出し、龍人の手のひらに乗せてみる。すると、私の手を軽く握った龍人が、気遣いながら階段を下りてくれた。

 困っているところに手を差し伸べられ、女性として扱われることに胸がキュンとする。


 ……こら、私の心臓! こんな時になにときめいてるの!


 不謹慎な自分をいさめる。

 でも、何度も顔を合わせていたはずなのに、ちょっとした行動で龍人が別の人のように……紳士に見えてくるから不思議だ。


 胸を落ち着かせつつ、後ろから反響してくるイーヴォの足音を聞きながらゆっくり下って行く。

 地上の温かい空気から、一歩下がるごとに日の当たらない地下独特の冷たい空気へとかわっていった。

 しかし、なぜか以前来た時のようなかび臭さが感じられない。


「あれ、なんか前来た時と匂いが違う」

「良く気付いたね。空気のよどみや環境の汚れは、人間を病気にするんだ。だから、僕が来てからは定期的に換気したり、きちんと掃除をするプログラムを取り入れたんだよ。でも改善点はまだまだあるから、これからも変えていくつもり」

「へぇー! そうなんだ。龍人ってちゃんとお医者さんなんだね。かっこいい」


 普段は変な人だけど、人のためになにかができる龍人は素直にすごいと思う。

 私にほめられ、「まあね」と言って階段を下る、紳士龍人の足取りが軽い。


 階段を下りきると、龍人が白衣を脱いで私の肩にかけてくれた。

 ひんやりする空気の中、消毒薬の清潔な匂いと暖かい温もりにふんわり包まれる。


「あ、ありがとう……」

「どういたしまして、お姫様」


 地上だったら、頬を染めているのがばれてしまっただろう。

 お姫様と呼ばれて照れた私がうつむく。

 一方の龍人は、慣れた足取りで一直線に歩いて行った。


 さて、ここからが勝負だ。

 龍人が診察を終えるまでの間に、怪しまれずユーリを見つけなくてはならない。どこかにいるユーリの気配を探しながら龍人についていく。

 程なくしてたどり着いた部屋にいたのは、ベッドに横になっている男の人。医師の到着で嬉しそうな顔をしたのが暗闇の中でうっすら見えた。


「あ、龍人先生! わざわざ来ていただいてすいません」


 天使のように優しそうな顔を張りつけた龍人が部屋に入って行き、胸ポケットからペンライトを出して患者の観察を始めた。私はその様子を後ろから見守り、気づかれないようユーリを探す。


 ……ユーリ、どこにいるんだろう。


 前には龍人、横にはイーヴォ。おおっぴらに探すこともできず、横目だけでキョロキョロする。しかし、せいぜい見えて真横まで。範囲が狭過ぎて全然見つけられる気がしない。


 ……あぁぁ、どうしよう。ここに来るチャンスがもう無いかもしれないのに!


 平然を装いながらも内心焦っていると、目の端に人影が動いた気がした。

 わずかな可能性にすがりつくよう、さりげなく半歩だけ後ろに下がる。

 もしユーリなら、私の行動に気が付いて合図を送ってくれるは……


「どうしたの? シエラちゃん」

「えぁっ⁉」

「寒くなってきた?」


 私の横にいるイーヴォが、遮るように視界へ入ってきた。

 他人を完璧にコピーする観察眼は、私のわずかな行動も見逃さないらしい。


「そ、そう! 寒くなっておトイレに行きたくなっちゃった!」


 龍人がかけてくれた白衣を抱きしめるようにして、私はとっさに寒さをアピールする。


「それは大変だ。ねえ、龍人。僕が一緒について行ってもいい?」


 イーヴォに話しかけられた龍人が、患者さんと向き合いながら許可を出した。


「す、すぐそこのトイレに行くから、一人で行っちゃだめ?」

「……ごめんね」


 イーヴォが困った顔をした。

 やっぱりだめか。


 イーヴォに連れられて地下のトイレへ向かう途中、曲がり角に一人の子どもの影が見えた。

 一瞬ユーリかと思ってハッとしたが、ユーリよりも背が小さいのですぐに別人だと察し落胆する。


 しかし、いつまでも私を見ている目線を感じ、違和感を感じた私はもう一度子どもの方を見た。

 そして過去の記憶を思い出す。

 見覚えのある、あのツンツン頭は……


 カイトだ!

 カイトが来ていたんだ!


 思わず声を上げそうになってしまった私は、慌てて息を飲み込んだ。

 しかし相手はイーヴォ。

 ほんのわずかな息づかいの乱れに気づき、すぐ見つかってしまった。私が見ていた視線の先をイーヴォが追う。

 万事休す。


 カイトを射るイーヴォの冷たい視線が、次に私へと向けられる。


「シエラちゃん……」


 私のせいでカイトが見つかってしまった。せっかくここまで来てくれたのに。婚約前の最後のチャンスが私のせいで台無しだ。せめてカイトの安全だけは守らなくては。

 でも、なんて言い訳したら良いんだろう。


 自分の失敗を責めながら、上手い抜け道が思い浮かばず唇をかみしめる。

 そんな私を見ていたイーヴォが、硬い石造の床に膝をついて私の手を取った。

 問い詰められる。そう思った私の体が硬直する。


「シエラちゃん、僕を見て」


 声をかけられて顔を上げると、予想外にイーヴォが穏やかな顔で私を見ていた。


「今さら僕がこんなことを言っても信用できないと思うけど、僕はシエラちゃんの味方だよ。だから、彼が誰かは聞かないでおく」

「イーヴォ……」

「こんな生き方をしているから自業自得なんだけど、僕、信用してもらったことってあんまりないんだよね。でも、何回騙されてもシエラちゃんは僕を見捨てなかった。そんな人今までいなかったからすごく嬉しかった。それに、僕の夢を聞いてくれたのってシエラちゃんが初めてだったんだ」


 可愛らしく笑うイーヴォが私の姿に変身した。

 陰からカイトの驚く声がする。


「五分。五分経ったら戻ってきて」


 イーヴォが助けてくれた。

 窮地に追い詰められていた私は、ほっとするような、嬉しいような、感謝するような、たくさんの気持ちが込み上げてきて、この場に合う言葉が見つけられずイーヴォの手を握ることしかできなかった。


 でも、それだけで十分だった。

 私の姿になったイーヴォは、私の表情から全てを察し、手の甲にキスを落として龍人の元へと戻って行った。

 部屋の中から「あれ? イーヴォは?」と聞く龍人の声と、「風邪薬を取りに行った」という私の声が聞こえてくる。


 イーヴォがせっかくくれたチャンスを活かさなくては。


 私はカイトの元へと急いだ。


「カイト! カイト! カイト! どうやって来たの⁉」

「シエラ、会えて良かった! ガイオンの紹介ってことにして、下働きとして買われたんだ。最初はユーリが行くって言ったんだけど、顔がバレてるから危ないだろうって。それに」


 カイトが親指で鼻をはじく。


「俺は元盗賊だからなっ! こんなの朝飯前だ!」


 ひひっと頼もしく笑うカイトに、私は思わず抱きついた。


「うわわっ」

「ありがとうカイト! こんな危険までおかしてくれて」

「いいって。俺たちに屋根と飯と家族を与えてくれたシエラの役に立てるなら、なんだってするさ。おかげであいつら、孤児院で幸せそうにしてるぞ。シエラこそ大変だったな。今まで良く頑張った」


 カイトのねぎらいの言葉に、胸がジーンと熱くなる。

 ずっと必死だったせいで気づかなかったが、どうやら私は頑張っていたらしい。それを認めてもらったことで、心の安定と余裕が戻ってくるのを感じた。


「カイトォォ…」

「泣くなよ。時間が無いからとにかく急いで要件だけ言うぞ」


 私は出てきそうな涙を我慢してカイトと向き合った。


「芽衣紗からこれを預かってきた。どこか見つからない場所に隠せ」

「なにこれ?」


 受け取ったのは、ソラマメを小さくしたような二つの粒だった。


「映像はないけど、これを耳につけたら話ができるらしい。ただし、ジュウデンってのができないから、三十分だけしか使えない。だから、全員が時間を合わせてここのスイッチを押す必要がある」

「三十分? どうやって合わせたらいいんだろう」

「芽衣紗たちは全員ラボにいるから合わせるのは簡単だ。問題はシエラだ。絶対にサミュエルと一緒の時にしろ」

「サミュエルと一緒の時? なんで?」

「お前ひとりだったらすぐバレるからだよ。ユーリが口を酸っぱくして言ってた」

「へっ! なにそれ!」


 サミュエルが言っていたのとまったく同じことをカイトに言われてしまった。

 私の脳裏に、呆れ顔でカイトに指示を出すユーリの姿が容易に思い浮かぶ。


「とにかく、明日の朝食、シエラがサミュエルの所に行った時でいいか? もしそれで良ければ、ナースのエマが遠くからずっとこっちを見ているはずだから、分かるように暗号を送っておく」

「うん、分かった! 明日の朝食の時にしよう!」

「よし! もう時間だ、行け!」


 私とカイトが力強く頷き合った。

 二つのソラマメをドレスの胸元に押し込み、私はイーヴォが扮するシエラのもとへと忍び足で戻って行った。






同時更新

作者:田中龍人 日記

https://kakuyomu.jp/works/16816452219517599517/episodes/16816452219740165813

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