第126話 カウントダウン 7
「サミュエルにいじわるされた? シエラちゃんがこんなに献身的にしてるのに。もしそうなら僕がこらしめてきてあげる」
「……っ!」
軟禁部屋から出た私の目の前に、龍人が立ちふさがった。
軽い口調と人当たりの良い笑顔。警戒していなければうっかり気を許してしまっただろう。
しかし、今一番大事なのは、城に潜入しているであろうユーリのことだ。絶対に龍人に知られてはならない。
そう思ってはいるものの、無意識に私の足が前室の床に張り付き、適温であるはずの空気に寒気が走る。
……危ない。これでは私が動揺していることがバレてしまう。
そうだ、無だ。無になるんだ。
私は礼儀作法のレッスンで「余計なことを考えるのではありません」と注意されたのを思い出し、習った成果を発揮する。
表情を消した目、上品に見えるようちょびっとだけ上げた口角。思考を除去し、完璧な表情を張りつけた。
「大丈夫だよ、龍人。サミュエルが自分の右手を切り落そうとしてたから怒っただけなの」
「そう。やっぱりシエラちゃんは優しいね。人のことに本気で怒れるなんて」
龍人と私は見えない火花を散らしながら微笑みをかわす。
……見たか。
この完璧なポーカーフェイス。
私だって、ちょっとくらい成長しているんだから。
上手く動揺を隠せたことで自信を感じていると、なにもおかしいところはないはずなのに龍人がクスクス笑いだした。私は首をかしげる。
「くくくっ、ごめん、シエラちゃんの表情が面白くて」
「へっ……面白い?」
思ってもいない言葉に、私のポーカーフェイスが崩れてしまった。
「でも、そのコミカルな顔もすごく可愛いよ」
「コ、コミカル⁉」
……淑女をイメージした顔だったのに。
レッスンでは合格点をもらっていたのだが、きっと緊張で力が入りすぎてしまったせいだろう。私のポーカーフェイスはまだまだ修行が足りないらしい。
もっと力を抜いて、表情を柔らかくして……。
レッスンを思い出して表情を作り直そうと試みる。
すると、視界に突然なにかが飛び込んできた。
私の目と鼻の先にある龍人の傾げた首。体をくの字に曲げて瞬きすらせず顔をのぞき込んでくる。まるで、わずかな油断も見逃さないかのように。
そして低い囁き声が私の耳へ這うように届いた。
「ねぇ、僕に嘘、ついてない?」
蛇に睨まれた蛙のような私は、「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。持っているおぼんがカタカタ音を立てはじめ、必死で手の震えを押さえようとする。
感情のない無機質な笑顔、わずかに龍人から漂う消毒薬の匂い、凍り付く私の背筋。五感から忍び寄る龍人の圧迫感で、段々と恐怖がつのってくる。頭が真っ白になって返事ができない。
固まっている私を龍人が舐めるように見る。
そして沈黙のあと、全てを見透かすかのように目を細めた。
「うそうそ、冗談。ちょっとからかってみたかっただけ」
いたずらっぽく笑う龍人が興味を無くしたかのように私から離れ、背を向けて歩き出した。二人の間に距離ができる。
……こ、怖かった。龍人ってこんなに怖かったっけ。
緊張感から解き放たれたと言うのに、私はまだ生きた心地を取り戻せない。むしろ、止まりかけていた心臓が一気に暴走を始めたように騒ぎだしだ。一気に噴き出す冷や汗が背中を伝う。動揺を悟られないようにしたいのに、呼吸の制御ができない。吸う息が浅く、肩が小刻みに上下する。
今龍人に振り返られたらアウトだ。
……落ち着け、落ち着け私!
しかし、龍人はもう私の方を見ない。
背中を向けたまま声をかけてくる。
「そうそう、一つ伝えなきゃいけないことがあるんだ」
「……」
未だに整わない呼吸とのどの渇きで、うまく返事ができない。
そんな私にはお構いなしに、龍人が前室の扉を開け、厨房へと向かって歩きだした。龍人の革靴のコツコツという音の後に、私の小さな足音が追いかける。
羽を広げたジャウロンの国旗が並ぶ、天井の高い廊下。壁と天井を彩るステンドグラスの隙間から月明りが降り注ぐ。廊下の端にたたずむ騎士たちの影が不気味に伸びている。
「明日から毎日、シエラちゃんの食事はジュダムーア様と一緒に取ってもらうことにしたよ。これから夫婦になるんだから、仲良くなっておかないとね」
「ジュダムーアと食事……」
龍人を追いながら、やっとのことで声が漏れた。
私の脳裏に、ここに来た日に見た光景がよみがえる。ベッドの上に投げ捨てられて転がった子ども、私を打とうとした冷酷な赤い目、私を庇って口から血を流す龍人。
これから毎日あんな人と食事だなんて……。
嫌悪感を抱かせる話で胃がムカムカしてきたが、これはまだ序の口に過ぎなかった。龍人の次の言葉でさらに絶望感が増す。
「あ、そうそう、それともう一つ。シエラちゃんの婚約の日取りが決まったよ」
「……婚約?」
「うん。シエラちゃんは王族になるからね。結婚式には他の国の王族も招待しなきゃいけないから、婚約は早めに済ませて失礼のないように招待状を送る必要がある。それに、ジュダムーア様ももうすぐ二十一歳になるからね。できるだけ急いで魔石の交換がしたいと思ってるんだと思うよ。シエラちゃんが最近レッスンを頑張ってるから、先生たちがそろそろ良いんじゃないかって後押しをしてくれたんだ」
……そういえば。
私がここに連れてこられた理由を思い出す。
ジュダムーアの妹の魔石を私に贈与させ、それを使ってジュダムーアと魔石の交換をすると寿命が延びる。龍人が私を拉致した馬車の中でそんなことを言っていた。
しかし、婚約したとしても、あとで破棄したり無視すれば良いだけのこと。
ジュダムーアと結婚する気のない私が適当に返事をすると、龍人がさらに言う。
「それに、婚約しちゃったらもう後戻りはできないからね。結婚を確定させて安心したいのかも」
寿命が近いジュダムーアが早く魔石の交換をしたい理由はわかるけど、後戻りできないという意味が分からない。
私は目の前を悠然と歩く龍人の背中に問いかける。
「……後戻りはできないって、どういうこと?」
「えっとね、婚約するっていうことは、他の国の人にも認知されるっていうことでしょ。つまり、婚約を破棄するということは一度決めたことをくつがえすことになるから、この国の評判に関わるんだ。他の国の人も、結婚式に合わせて予定を調整してくれるしね。だから、どんな手を使ってでも結婚まで持って行くような仕組みがあるのさ。破棄しようなんて誰も思わないように」
どんな手でも。
残虐非道のジュダムーアなら、なにをするか分かったもんじゃない。
しかし、知っておけば少なくとも対処は考えられるはず。
そう思った私はおそるおそる聞いてみた。
「例えばどんな……」
「そうだな。今のサミュエルのような感じで家族を捉えたり、婚約者を幽閉したり……あと一番簡単なのは、婚約者が病死したことにすることかな。この方法が一番手っ取り早いだろうね」
「えっ……私、殺されるってこと?」
「ああ、心配しなくても良いよ。シエラちゃんはそうならないように、ジュダムーア様と結婚すれば良いだけの話だから。たとえユーリ君たちが来ても邪魔できないよう、ここではなく手の届かない安全な場所にシエラちゃんを移してあげるからね。婚約したらサミュエルを解放しても良いって許しももらったし、何も心配することはない」
龍人の説明に、私は言葉を失った。
まずい。
婚約すれば、破棄した時に孤児院のみんなに危険が及ぶかもしれない。その前に、ユーリやサミュエルから完全に切り離されてしまえば、なにもできなくなってしまう。
婚約の前になんとかしないと。
廊下にいる警備の騎士たちの横顔を、月明かりが照らす。その青白い光がとても冷たく感じ、私を追い詰めるように不安が襲い掛かった。騎士たちの蔑むような目が、私を追っている気がする。
「……婚約って、いつ?」
「一週間後」
「い、一週間後⁉」
私の驚く声に、騎士たちの顔が一斉にこちらを向いた。ギョロッとした視線を集めてビクつく私とは違い、龍人は騎士たちが存在しないかのように平然と歩き続ける。
「大丈夫。婚約の儀は身内だけだから緊張しなくていいよ。儀式を行ったという事実さえあれば他の国の王たちも納得する。だから、ちょっと段取りを間違っても形式が違っても、百パーセント、全く問題ない。たとえ……」
前を歩いていた龍人がいきなり立ち止まり、くるりと振り返る。
そして私に一歩歩み寄り、耳元に口を寄せて誰にも聞こえないほど小さな声で囁いた。
「このエルディグタール城が崩壊していたとしてもね」
「城が……崩壊?」
……なぜ城が崩壊するんだろう。
いつにもまして意味が分からない。
不可解な龍人に、もはや私は戸惑いを隠すことも忘れ、眉間に大きなシワを寄せていた。
しかし、龍人は狼狽する私に一切触れてこない。まるで、私の反応が分かっていたかのように。
「さあ、カウントダウンを開始しようじゃないか」
体を起こした龍人が私を見下ろし、踵を返して厨房へと歩き出す。
静かな廊下に、底知れぬ不安と、龍人のクスクス笑う声だけが広がっていった。
ここからは龍人の日記が同じ時間軸で進行していきます。
興味がある方はリンク先をどうぞ。(作者:田中龍人)
https://kakuyomu.jp/works/16816452219517599517/episodes/16816452219694112893
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