第125話 〇サ
ユーリが来た。
その可能性があるということだけで、希望が差し込む。
しかし、サミュエルは私と違って訝し気な顔だ。
「……絵の雰囲気がユーリと違うんじゃないか?」
サミュエルの言葉に、私はもう一度紙を見る。
前に見たユーリのシジミちゃんはなめらかな線で描かれていた。しかし、この絵は線がよたよたしている。それに、顔のバランスが崩れており、ユーリよりも絵に慣れていない人が描いているようだ。
「確かに……。じゃあ、トワが描いたのかな」
あの絵を知ってるのは、私、サミュエル、ユーリ、トワの四人だけ。ユーリじゃないとしたらトワの仕業になるけど、トワはもっと絵が上手かった気がする。
「いや、待てよ」
サミュエルが口元に手を持って行って思案顔をする。
「トワだったらもっと正確に再現するはずだ。記憶の機能が人間と違うからな。だから、これはトワでもない」
「トワでもユーリでもないとしたら、誰が?」
「さあな。だが、ユーリが絡んでることは間違いないだろう」
サミュエルの言葉に、私は思わず胸の前で手を合わせて喜んだ。
「本当に来てくれたんだ! ……でも、なんで直接渡すんじゃなくて、こんな回りくどいやり方で伝えてきたんだろう」
「それは、お前が龍人とイーヴォの前でそう言う顔をするからだろう。思ったことがすぐに表情に出るからな」
「んぁっ!」
図星を言い当てられて間抜けな声が出た。そして「さすがユーリだね」と苦笑いして顔を赤らめる。
そこまで私のことを理解してるなら、やっぱりユーリが関係していると考えて間違いなさそうだ。
「それにしても、前と違ってあちこち騎士団だらけなのによく潜入できたね」
「うむ。きっと向こうもなにか策を練って来たんだろう。ユーリが近くにいるなら心強い! これならちょっとくらい無理をしてもシエラを……」
目に力を宿したサミュエルが、ブレスレットの光る右手に視線を落とした。
嫌な予感がする。
……これは、見過ごしたらまた大変なことになりそう。
察しの良い私は、慌ててサミュエルのブレスレットに手を添える。
「ちょっとサミュエル。また変なこと考えてたでしょ」
「……変?」
「今、また右手を切り落とすことを考えてたんじゃない?」
ここまで言っても私が何を言いたいのか全然分かっていない顔をしているサミュエル。
こっちは心配しているのに、本当に自覚がないらしい。もどかしさが私の胸に込み上げてくる。
「ああ。良く分かったな。でもちゃんとお前に危険が及ばないようにしてから…」
「やっぱり。この前、自分を傷つけないって約束したのに!」
語気を荒げる私に、わけが分かっていないサミュエルが目を瞬かせる。
「そ……そうだが、お前が助かるなら話は別だ。ユーリが来たならいつまでもお前がこんな所にいる必要ないだろ。俺が騒ぎを起こしている間にユーリに……」
「もぉぉっ!」
ちっとも私の気持ちを理解してくれないサミュエルに、声を潜めるのも忘れて思わず立ち上がった。驚いたサミュエルが私の膨れっ面を見上げる。
「それじゃだめなのっ。サミュエルは私が傷ついてもなんとも思わないわけっ⁉」
「なんでそうなるんだ? そんなわけないだろ。お前を大事に想ってるから俺は……」
「私だって同じ気持ちだよ!」
興奮してサミュエルの言葉を遮った私は、なんとか理解して欲しい一心でそのまま言葉を続けた。
「サミュエルが犠牲になったら私は、私が犠牲になったときにサミュエルが感じるのと同じ気持ちになるんだよ。なんで分かってくれないの?」
「同じ気持ち?」
「そうだよ。私はサミュエルのこと、孤児院のみんなと同じくらい大切な家族だって想ってるのに」
サミュエルがハッと息を飲む。
「シエラ……」
「私にもう一回家族を失うような辛い思いをさせないで。ここを出る時は一緒じゃないと嫌だよ」
サミュエルがしゅんとして申し訳なさそうな顔をした。
サミュエルは、私の存在意義とも言える孤児院が盗賊に襲われて、不安定になったことを知っている。同じくらい大切だと言われたことで、自分の犠牲がどれだけ私にショックを与えるのか分かったのだろう。
それに、実際に家族を失っているサミュエルには、私以上に思うことがあったのかもしれない。
そして、私も自分の投げた言葉のブーメランが刺さって沈黙する。
……これは、自分に対しても言える言葉だ。私は、みんなのためにジュダムーアと結婚すれば良いって思っていたし、自分が犠牲になってもサミュエルが助かれば良いって思ってた。
でも、もし本当にジュダムーアと結婚なんてしたら、サミュエルもユーリも、きっと今の私みたいに辛い思いをしてしまうだろう。
良かれと思っての考えだったが、それが自分だけの思い上がりだったことを知り、心が締め付けられ握りしめる手に力がこもる。
私が反省してうつむいていると、気を使ったサミュエルが立ち上がり、私の肩にそっと手を置いた。
「悪かった。シエラを悲しませるつもりはなかったんだ。俺はお前のことを想っているつもりで、自分のことしか考えていなかったんだな」
そう言ってサミュエルが私の顔を不安げに覗き込む。
冷静になった私は、悪気が無かったサミュエルの気持ちがよく分かる。そして、私のことを本当に大切に思ってくれていることも。
こんな窮屈な状況でも優しいサミュエルに、感情のまま気持ちをぶつけてしまったことを申し訳なく感じる。
「……私こそ本当にごめん。サミュエルの気持ちをちゃんと考えずに言いすぎちゃった。それに、言ってて気づいたの、私もおんなじことを考えてたんだって。私も自分が犠牲になってジュダムーアと結婚すれば良いって思ってた。でもそれじゃダメなんだよね」
何かを犠牲にする方法ばかり探してたけど、それでは本当の意味で解決したとは言えない。どれも失わず、全員が幸せになれる方法が必ずあるはずだ。無かったら作ればいい。
自分自身の気持ちに気が付いた私は、決意を新たにサミュエルを見る。
「私、絶対ジュダムーアと結婚しない。やっと分かったよ。なにがなんでも結婚をぶち壊して、ジュダムーアを倒してやる。私を大切にしてくれるみんなのためにも、自分のためにも」
「シエラ……」
「だから私を手伝って。サミュエル。みんなで幸せになるために」
表情を引き締めた私はサミュエルに手を差し出した。
サミュエルが微笑んでその手を取る。
「もちろんだ。俺も戦い方を間違っていたな。自分たちに犠牲を払うのではなく、相手を負かすことに力を注ごう」
「うん! 私もそうするから、サミュエルも絶対自分を傷つけちゃだめだよ」
「わ……分かった。今度こそ約束しよう」
「何があっても、絶対、絶対だよ。自分のためにも、私のためにも!」
私に釘を刺されたサミュエルが何度もうなずく。
今度は大丈夫そうな気がする。
そう確信すると、私の気持ちが前を向いた。
「よぉし! なんだかできる気がしてきた。とにかく次は、ユーリに会ってどうするか話がしたい」
「そうだな。味方は多い方が上手く行く確率は上がるだろう。それに、向こうも接触のタイミングを伺ってるはずだ。俺たちがこのメッセージに気が付いたことを伝えればユーリも安心するし、次の行動を起こしやすくなるだろう」
「じゃあ、監視があって会話は難しいから、何か印をつけて返さなきゃ。なにか書くものは……」
私は部屋を見渡すが、ここに先のとがったペンなんて危ないものは置いてあるわけがない。
私がどうしようか悩んでいると、サミュエルが義足の足をベッドの上に放り投げた。そして側面に手をのばす。
「これで良いんじゃないのか?」
サミュエルは芽衣紗が仕込んだ口紅を取り出した。
ユーリが気に入って遊んでいたやつだ。それを見た私は、ことあるごとにユーリが口紅を取り出していた様子を思い出す。
「ははっ! それだ!」
サミュエルが真っ赤な口紅で「サ」と書き文字を丸で囲むと、再びお皿の下に紙を潜ませた。
よし。
本当はジャウロンの絵を描きたかったが、とりあえずこれで良い。
あとは、厨房のおばさんにこのお膳を渡せば、きっと伝えてくれるはず。
次の目標が定まった私は、希望を胸にサミュエルのいる部屋を出た。
「シエラちゃん」
扉を閉めてすぐ、誰かが声をかけてきた。
振り返った私が顔を上げると、すぐ目の前に立ち塞がる白衣。
私の心臓がドキッと跳ねる。
「随分大きな声だったけど、何の話をしていたの?」
「龍人……」
顔を上げて見えたのは、自分に向けられる龍人の穏やかな微笑み。
普段ならなにも感じないだろう。しかし、ついさっきまでユーリと接触する計画を立てていた私には、龍人の穏やかな笑顔さえ恐怖に映った。
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