第109話 グッバイ、ブラザー

「はい、ユーリ君の分」

「あ、ありがと! ガイオンのお母さん」


 イルカーダの副騎士団長、ベルタとの稽古を終えて着替えたばかりのユーリは、ほかの人にならって休憩室の隅に座り、お母さんから特製の蒸しケーキを受け取った。甘い匂いのする黄色い蒸しケーキにかじりついたところで、いつもとの違いに気が付く。


 ……あれ? シエラはどこだ?


 いつも騒がしい妹がいない。

 朝、『稽古後に配られるおやつがある』と聞いたシエラは、二つに縛った髪の毛を揺らしながらぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいた。


 ————木の実の入った蒸しケーキ⁉ それは一人一個ですか!


 目を輝かせてガイオンのお母さんに詰め寄ったシエラは、あまりの勢いに二つもらう約束を取り付けていた。あれだけ楽しみにしていたのだから、人一倍早く待機することはあっても、遅れるなんてことは考えられない。

 不思議に思ったユーリはキョロキョロ周りを見渡し、着替えを済ませたばかりのサミュエルが更衣室から出てくるのを見つけた。まだ汗がひかないのか、タオルで額をぬぐいながらユーリの元へ歩いてくる。


「なあサミュエル。シエラのやつ遅くないか?」


 ユーリが声をかけると、タオルからチラリと目をのぞかせたサミュエルが、手を止めていぶかし気に眉を寄せた。


「む……、確かに。三時のおやつに遅れるなんておかしいな。朝からあれだけ楽しみにしていたのに」


 嫌な予感がした二人は、外の様子をうかがうように、開け広げられている休憩室の窓に目をやった。ちょうどそこに飛びこんできた一羽の鳥。見覚えのある白い小鳥は、シジミちゃんだ。

 サミュエルが右手を差し出すと、まっすぐに人差し指へ止まった。その直後、見せたことのないサミュエルの戸惑いの表情で、ユーリの胸に一抹の不安がよぎる。


「シジミちゃん、なんて?」

「……まずい! 気を許し過ぎた。ユーリ、ガイオン、急いで来い、話がある。今すぐだ」


 質問には答えず、別室での相談を希望するサミュエル。そして、焦りを隠しもしない様子に、ますます不安をあおられるユーリ。二人はきょとんとしているガイオンの巨体を引っ張って、すぐに寝室へ移動した。


 ガイオンが机の前の椅子に座り、ユーリがベッドに腰を掛けと、肩にシジミちゃんを乗せたサミュエルが寝室の扉を閉めた。そして、サミュエルが髪をかき上げるように片手で額を押さえて、右往左往しながら口を開く。


「……シエラが連れていかれた」

「はぁ? 連れてかれたって、今度は誰だよ。また小人か?」

「違う」

「まさかジュダムーアか⁉」

「それも違う」

「一体誰だよ、はっきり言ってくれ」


 泣きそうな顔のサミュエルが足を止めて呟いた。


「……龍人だ。イーヴォも一緒にいる」

「は? 龍人とイーヴォ⁉ どういうことだ?」


 訳の分からないユーリとガイオンが顔を合わせた。


「どういうことかは俺も知らん。シジミが見た景色しか分からないからな。シエラを馬車に無理やり乗せて、イルカーダを出た。あの方角は多分、エルディグタールに向かっている」

「エルディグタールに? 新しい作戦でも思いついたのかな」


 疑問に思ったユーリが思いつきを口にするが、サミュエルはかぶりを振って否定した。


「違う。もしそうだとしたら、俺たちに相談がないのはおかしい。あいつは自分が楽しければなんだってやる奴だ。嫌な予感がする。ここで話をしているより、本人に聞いた方が早いだろう」


 サミュエルの言葉に絶句するユーリ。

 悲しみと怒りを滲ませたサミュエルが低い声で龍人を呼ぶと、すぐに龍人のホログラムがあらわれた。片足を立てて座っている龍人の膝の上には、意識を失っているシエラが抱えられている。


「シエラ⁉︎」

「龍人、きさまどういうつもりだ!」


 意識のないシエラを見て青ざめたユーリと拳を握ったサミュエルが、思わず同時に身を乗り出す。

 そんな二人に加えてガイオンの呆気にとられた顔を見渡した龍人が、満足そうな表情を浮かべた。


「気が付くのが早いね。その兄妹愛、とてもうらやましいよ」

「ふざけないで質問に答えろ。シエラをどうするつもりだ! 返答次第ではお前を殺しに行く」


 いつも以上に語気を荒げるサミュエルに、龍人が余裕の笑みを送る。


「ふふ。そんなに血相を変えないでよ。シエラちゃんはご両親に会いにトライアングルラボへ行くだけさ。僕が責任を持つから心配しないで」

「両親に会いにだと? なんのためだ。龍人はエルディグタール城にいたんじゃないのか?」


 龍人の説明にガイオンが首をかしげると、遠くからイーヴォの声が聞こえてきた。


「みんな騙されないで! 龍人はシエラちゃんとジュダムーアを結婚させるつもりだ!」

「なんだって? ジュダムーアと⁉︎」


 三人が仰天の声を上げると、わずかに目線を動かした龍人も口を開けて大げさに驚いてみせた。そして、これ見よがしに悲しそうな演技を始める。


「ああ、なんてことだ。内緒にしようと思ってたのに。本当にイーヴォは問題をややこしくする天才だね。今になって良心の呵責かしゃくってやつが芽生えたのかな?」


 そう言って楽しそうにクスクス笑いながらうつむいた龍人。やや長めの前髪で顔が隠れると、今度は隙間から挑戦的な目をギラつかせて見上げた。


「そうそう、なんで君たちがこの子を大切にするのか、僕も分かったんだ。だから、ジュダムーアにあげるのは辞めて、僕のお嫁さんにしちゃおうかな。そうなったら君たちは僕の義理の弟っていうことになるね。これからは僕がかわりにシエラちゃんを大切にしてあげるから安心してよ。あははははは!」


 ユーリは、まだ状況が飲み込めないでいた。

 つい先日まで同じ目的で協力し合っていた仲間が、手のひらを反すように自分達を出し抜き、あまつさえシエラを物のように扱おうとしている。


 一体何が起きて急にそうなったのか。

 にわかに信じられない思いで話を聞いていたユーリだが、何一つ笑えない状況で笑う龍人を見て、疑惑がだんだんと憎悪に姿を変えた。


「狂ってる……」


 正気とは思えない龍人の様子に、ユーリが小さく呟いた。

 いつもは穏やかなガイオンも、今は獰猛な野獣のように眼光を研ぎ澄まして睨んでいる。


 三人が体に殺気をまとうと、龍人が大げさに「あ、そうだ」と思いついたように言って、穏やかにニッコリ笑った。


「君たちに良いことを教えてあげるよ。この馬車の周り、そしてエルディグタールの周辺には、国の騎士団の約四分の一を配備している。シエラちゃんがいない君たちには到底太刀打ちできない数さ。だから、僕に全てをまかせて、君たちはもう少しゆっくりイルカーダ観光でもしていてよ」


 怒りで顔を紅潮させたサミュエルが何かを言おうとすると、嘲笑する龍人がぴたっと笑うのをやめ、目を見開いて手をかざした。


「グッバイ、マイブラザーズ」


 龍人は薄気味の悪い笑みを残して、一方的に通信を切り姿を消した。


 このままではシエラがひどい目にあってしまう。

 思ってもいない危険な展開に、血相を変えたユーリが消えたホログラムに向かって訴えかける。


「おい、待てよ龍人! シエラを返せ!」

「くそっ! イーヴォ共々、俺が龍人の息の根を止めてやる!」


 唸るように吐き捨てるサミュエルが、寝室の窓に突進して手をかけた。そして、乱暴に開け放って指笛を吹くと、窓枠に足をかけて身を乗り出す。


 まさか、一人で飛び出して行こうというのか。そう感づいたガイオンが、いつもは冷静なサミュエルの突発的な行動に慌てながら、なんとか制止しようと肩をつかんだ。


「おい、サミュエル。一人で行くつもりか? まずはどうするかちゃんと考えるべきだ!」

「邪魔をするな」


 以前から龍人に不信感を抱いていたサミュエルは、シエラの身を案じるあまり聞く耳を持たず、ガイオンの手を振り払って窓の外へと飛び降りた。その直後、羽を広げた大きな鳥が舞い降り、サミュエルを背中に乗せて大きく羽ばたく。推進力で生まれた風が勢いよく吹き付け、思わずガイオンが目を細めた。


「サミュエルお前、自分が城を襲撃したお尋ね者だって分かってるか? それに、龍人の言葉を聞いていただろう。無鉄砲にイルカーダを出て行けばすぐ蜂の巣になるぞ。シエラを助けるどころじゃなくなる。おい、聞いているのか⁉」


 必死に呼びかけるガイオンに、サミュエルがギロリと氷のように冷たい目を向けた。


「とうの昔に朽ちていた命。みすみすシエラを奪われるくらいなら、俺にとって死んでるも同じだ」


 サミュエルは、ガイオンに向けた視線を今度はユーリにうつす。


「俺が戻らなかったら、次は頼む」


 それだけを言い残すと、サミュエルは長い黒髪と黒い外套がいとうを風になびかせ、そのまま馬車の向かった方角へと飛んで行った。それを見送るしかないガイオンは、行きどころのない気持ちを全て窓枠にぶつけた。


「くそっ!」


 ガイオンの心の中に、絶望が満ちていく。

 戦いの最前線で騎士団長を務めていたので、龍人が言わんとしていたことが手に取るように分かったのだ。

 騎士団は戦闘に特化した訓練を積んでいる。そんなシルバーに束になって攻められれば、無策の自分達に勝ち目はない。命を捨てるようなものだ。


 ガイオンは、それを分かっていながらサミュエルを止められなかった自分に腹を立てて、今度は思い切り壁を殴った。大きな衝突音を立てた拳が、家を小さく揺らしながらめり込む。


「俺たちもすぐに行かなきゃ」


 ガイオンの様子からサミュエルの危険を察したユーリに、盗賊と戦った時の記憶が押し寄せた。


 敵の攻撃で次々に倒れていく仲間、何もできず地べたに這いつくばる自分。死ぬ以上の恐怖を感じたあの光景。

 もう二度とあんな思いをしないために、血のにじむような努力をしてきたのだ。

 シエラだけじゃなくサミュエルも失うかもしれない。そう感じたユーリは、部屋を飛び出そうと立ち上がった。しかしすぐにガイオンに腕をつかまれる。


「アホ、お前まで死ぬ気か! エルディグタールの騎士四分の一ってことは千人だぞ? どうやってそんな量を相手にするんだ。勢いだけじゃシエラもサミュエルも助けられないぞ!」


 ガイオンも、できることならすぐにサミュエルを追って自分も飛び出したい。心配なのはユーリと同じだ。


 ガイオンの顔から痛いほどその気持ちが伝わり、悔しさで噛み締めたユーリの唇が白くなった。


「どうしたらいいんだ……」


 どちらからも答えは出ず、重たい空気が二人を包む。

 何か問題がある時、いつも龍人かサミュエルが解決策を考えていた。しかし、今はそのどちらもおらず、いい策が思い浮かばない。


 二人が焦りを募らせていると、バンッと勢いよく部屋の扉が開いた。


「話は聞かせてもらった!」


 驚いて飛び上がった二人が一斉に戸口を見る。


「と、父ちゃん……⁉」


 そこに立っていたのは、まだ汗が光るガイオンの父。大股で勇ましく部屋に入ってくると、真剣な面持ちで指を立てた。


「俺に一つ提案がある!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る