第108話 サウダージ 後編
トライアングルラボでの生活にすっかり慣れたソフィが、芽衣紗と仲睦まじく手をつなぎ、綺麗に咲いた花を摘みながらビオトープを散歩していた。
ショックに打ちひしがれていたソフィが元気を取り戻せたのは、明るい芽衣紗の献身的な支えがあったから。そんな二人はすぐに良い関係を築き、世界が終わった後に訪れた些細な平穏に幸せを感じていた。
すると突然、ソフィが右足を引きずり、痛みを訴えて足を止めた。
「いたっ」
「どうしたの? ソフィ」
「最近、ちょっと怪我したところが痛くって」
「どれ、見せてみて」
促されてソフィが右足を出すと、それを見た芽衣紗が驚きの声を上げた。
「ちょっとじゃないじゃん! なにこれ、真っ赤になってる! しかもあちこちあざだらけだし。どうして早く言わなかったの?」
「だって、そんなに深くない傷だったんだもの。ちょっと違和感があったけど、そのうち治ると思って」
ソフィがいたずらをした子どものようにちょこんと舌を出す。そこに、芽衣紗の声を聞きつけた龍人がやって来て、「あっ」と息を飲んで眉間にシワを寄せた。
「……もう一度採血してみよう」
診察台で肩を並べて結果を待つ芽衣紗とソフィ。細長い紙を真剣にながめがながら診察室に入ってきた龍人が、ちらりと二人を見て言葉を濁した。
「ソフィ。とても言いにくいんだけど……」
深刻そうな龍人の様子に、芽衣紗をチラリと見たソフィが次の言葉を促す。
「なに? 遠慮しないで言って」
注意深く見ないと分からないが、ソフィは手にも小さな点状のあざがあるようだ。それに気が付いた芽衣紗がソフィの顔を横目で見て、不安を拭うように優しく手を握った。
そして、二人と向き合うよう椅子に座った龍人が宣告する。
「君は白血病だ。右足は、その影響で壊死を始めた思われる」
「白血病? 治るんでしょ?」
龍人の言葉を聞いた芽衣紗が、ソフィよりも先に口を開いた。
しかし、問いかけられた龍人は返答しようとしない。
「ねえ龍人……お願いだから治るって言ってよ!」
鬼気迫る芽衣紗に再度促され、龍人が諦めたように首を小さく横に振って答えた。
「ここには白血病の治療薬がない。そしてこのまま壊死をほっとけば、敗血症を起こして確実に死期を早める。右足は切断するしかない」
「そんな……」
兄は変人だが、医者としての腕は確かだ。
それを知っている芽衣紗は、病名を宣告された本人よりもショックを受け、表情を失い肩を落とした。
良い解決方法を提示できなかった龍人が、頭をボリボリかきむしって奥歯を噛み締める。
「制御できないものを作ってしまった人間に、心底腹が立つ。もし僕が何かを生み出す時は、必ず対処もセットにしておくよ」
ソフィの病気は、戦争で使われた爆弾が原因だろう。
愚かな人間に対する怒りと同じくらい、自分の対処能力の低さに怒りを感じた龍人が悔しそうに顔を歪めた。
しかし、当のソフィはさほどショックを受けている様子でもなく、他人事のように穏やかに笑って見せる。
「しょうがないわ、神様のお導きなのよ。沢山人を殺めてきた私への当然の報い。正直、すごくホッとしてる」
「何言ってるの? ソフィは今、誰も殺してないじゃん。気持ちは分かるけど、いつまでも罪を背負って自分を責める必要はないよ」
元気になったと思っていたソフィの諦めの言葉に、諦めきれない芽衣紗が切なそうに眉を寄せた。
一方のソフィは、自分よりも深刻そうな芽衣紗の姿に嬉しく思う反面、自分の過去の行いに心を痛め、小さなこの幸せにすら罪悪感を感じていた。
「でも、今でも毎日思い浮かぶの。私が撃ち落としてきた敵の戦闘機の姿や数々の悲鳴。そして地球を終わらせたまばゆい光。私がいなかったら、こんな世界にはなっていなかったかもしれないって。私が生まれてきたのは間違いだったんじゃないかって」
「そんなことない。ソフィは優しいから自分を責めてるんだよ。ソフィじゃなくても誰かがやるしかなかった。過去は過去、今は今。過去の過ちが許されないのなら、許される人間はこの世に誰一人いないよ」
芽衣紗の訴えに、龍人もうなずいて同意した。
「僕も芽衣紗に同感だね。過去は変えられない。でも縛られる必要もない。ソフィは過去じゃなくて現在僕たちと生きているんだ。もう十分苦しんだろ? そろそろその肩の重荷をおろしていい時期だよ」
「ありがとう、二人とも。あなたたちに会えて本当に幸運だったわ」
「そんな、過去形で言わないでよ。まだどうなるか分からないんだから。ソフィが良くなるまでなんでもしてあげる。それに、私がとびっきりかっこいい義足を作ってあげるよ。美人でおしゃれでかっこいいソフィにピッタリの、超ハイスペックのやつ! だから」
芽衣紗がソフィの柔らかい胸に飛び込む。
「ずっと一緒にいてくれないと嫌だ」
「芽衣紗……」
恋と言う感情を持たず気持ちが分からない龍人は、不思議な気持ちで抱き合う二人を見た。そして、邪魔にならないよう部屋を出て、そっと扉を閉めた。
それから数か月後。
ソフィの状態が急変した。
「輸液全開! 芽衣紗、アドレナリン持ってきて吸い上げて!」
「待って待って、どれがどれ⁉ ああん、もう! 看護師のアンドロイドを作っておけば良かった!」
大慌てで薬品棚をあさる芽衣紗が、たくさんの似たようなアンプルの中からアドレナリンの瓶を見つけ、ベッドサイドに駆け寄ってきた。
それを見ていたソフィが、途切れそうな意識の中で芽衣紗に手を伸ばす。
「なに? どうしたの、ソフィ。どこか痛いの?」
かすかな訴えさえも聞き漏らさないよう、芽衣紗がソフィの口に耳を寄せる。
「私は、芽衣紗と永遠に……一緒にいたい」
「もちろん、ずっとずっと一緒にいようね」
いつもと変わらずに想いを寄せてくれる芽衣紗に、ソフィが慈しむように目を細めた。
「私が死んだあと、お願いがあるの」
「死なない。ソフィは死なないよ」
「ふふ……そうね。終わりじゃなくてテイク・オフかも」
目に涙を浮かべる芽衣紗の頬に、ソフィが最後の力を振り絞って手を添えた。
その手の上から芽衣紗も手を添える。
「芽衣紗……私のアンドロイドを作って欲しいの。そして私が生まれ変わるまで、あなたと一緒にいさせて」
ソフィが穏やかに微笑んだ。
ソフィが息を引き取った後、芽衣紗は数カ月間部屋にこもって泣き続けた。そして、涙も声も枯れはて、やがて静かになった。
一日に一度か二度の食事と排泄で、最低限の生命活動だけが繰り返される。
たった一人の妹の憔悴しきった様子に心配する龍人だったが、研究にのめり込んでいる時の自分も似たような生活を送っていたので、必要以上に声をかけることは無かった。
それに、一人の人間のために数カ月も時間を無駄にする行為が理解できず、何と言っていいかも分からなかったのだ。
「やはり、恋愛感情など無駄以外の何物でもないな」
龍人は自分の妹を見てそう確信する。
生きていると分かっている妹はほっておき、龍人は自分の研究に精を出した。
次々と明らかになって行く真実。龍人にとっては、こっちの方が恋愛よりも何倍も楽しく、価値のある事だ。
そして百本の研究論文が完成した頃、突如芽衣紗が部屋から出てきた。
「ちょっとお兄ちゃん! 美容整形外科医なんだから、人の顔作るの得意でしょ? ちょっと手伝ってくれる?」
ちょうど研究に一区切りがついていた龍人は、言われるままに人の顔を造形していった。そして数ヶ月かけて全てのパーツが完成し、人の形が形成される。
あとは作動させるだけだ。
「良くここまで執着できるね。お前のしつこさには感心するよ」
「手伝っておいて今さら何よ。頑張ったんだから喜んでくれてもいいでしょ」
龍人と芽衣紗の前には、等身大のソフィのアンドロイドが目を閉じて立っていた。
生きている人間をそのままコピーしたような見た目からは、ただソフィが眠っているだけとしか思えない。
「おめでとう芽衣紗。ソフィの完成を祝ってあげるよ」
「チッチッチ。甘いな、龍人。ソフィはソフィ。ソフィはこのあと生まれかわってくるの。この子とは別」
妹の意味不明な言葉に、おどけて肩を竦める龍人。
そんな兄を無視して、芽衣紗がアンドロイドの動力を作動させる。そしてフォンッという小さな動作音が一度だけ鳴ると、全身の筋肉に信号が走っていった。
「おはよう、起きる時間だよ。私の
名前を呼ばれたトワが、パチリと大きな目を開けた。
イルカーダを後にし、馬車の荷台で揺られている龍人は、自分よりも年下の少女の肩に額を寄せて小さく笑った。
あの時の芽衣紗の気持ちは全く理解できなかったし、それから一万年をかけても何一つ分からなかった。それがなぜか、今は面白く感じたのだ。
「龍人、どうしたの?」
普段と違う様子に心配したシエラが、そっと龍人の背中をさすった。
今まで突き放してきた人たちは、簡単に龍人から離れていった。それを特に何とも思わなかったし、むしろ都合が良かった。
しかし、目の前にいる不思議な少女は、突き放そうとすればするほど歩み寄ってきて、周りを、自分を変化させていく。
いたって普通な少女のどこに、そんな力があるのだろう。
ゆっくりと顔を上げてシエラの目を見た龍人。少女のガラス玉のような青い目に見つめられると、込み上げてきた気持ちが自然と口をついて出た。
「僕と、ベニクラゲにならない?」
聞き慣れない言葉に、きょとんと目を丸くするシエラ。そのひょうきんな顔が龍人の心をくすぐる。
「ベ、ベニクラゲ?」
「……そう」
初めて経験する自分の気持ちに驚いた龍人だったが、それすら楽しむようにシエラの頬に手を添えると、再び湧き上がってきた言葉をそのまま解放した。
「僕が
さらに驚いたシエラが口を大きく開け、龍人がクスクス笑った。
「シエラちゃんは本当に純粋だなぁ」
「え? もしかして、また私だまされた……の……龍……じ……」
全てを言い終わる前に、シエラのまぶたが下がっていき、意識を失って龍人に体をあずけた。龍人がシエラの頭を撫でて寝たことを確認すると、手に持っているお香を踏みつけて止めていた息を再開した。
「本当にイーヴォの薬品の効果はすごいなぁ。どうなってるの、このお香?」
いつも通りあっけらかんとした龍人に、荷台の外からイーヴォが言葉をかける。
「……龍人。やめるなら今のうちだよ。どうせほっといたってあと数年でジュダムーアは死ぬんだ。このままシエラちゃんを連れてどこかに行こう」
「だめだ」
「なんで? さっきの龍人の言葉、本心なんじゃないの?」
「僕の気持ちを分かったつもり? 面白くないなぁ。イーヴォの命は僕次第なんだよ。その気になればそのブレスレットをいつだって爆発させられる。木っ端微塵になりたいわけ? 自分の命だけが大切なイーヴォ君は、そんな危険犯せないよねぇ」
おちょくるように龍人に脅され、イーヴォが不満げに答える。
「……もう知らないよ」
「ふん。それでいい」
イーヴォから満足のいく答えを聞いた龍人は、鼻を鳴らして宙を睨んだ。
そして、今まで見せたことのない重々しい表情浮かべると、自分に身をゆだねる少女の頭を撫でて、納得させるようにもう一度言う。
「それでいいんだよ」
深い眠りに落ちたシエラを乗せ、馬車は一路エルディグタールへと向かった。
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