第107話 サウダージ 中編

 パラシュートで落下してきた人物は、宇宙服のようなユニフォームに身を包み、フルフェイスのヘルメットを装着していた。地上に降り立ってそのまま地面に崩れた様子から、「はたして生きているのだろうか」という疑問が龍人と芽衣紗の頭をよぎる。


 しかし、確認している暇はない。

 二人はひとまずトライアングルラボに移動し、診察室の診察台の上にその人を寝かせた。ヘルメットを外してあらわれたのは、胸まで届く栗色の髪に縁どられた、やや彫りの深い美女。芽衣紗が歓喜の声を上げる。


「うひょーっ、めっちゃくちゃ美人! アリアナ・サキトワみたい」

「うーん、とりあえず生きてそうだね」


 脈を取るために、龍人が海外女優に似た美女の首元に手を伸ばすと、芽衣紗がギロリと睨んだ。


「お兄ちゃん、美人だからって変な気を起こさないでよ」

「僕は女性にも男性にも性的な興味は一切ないって知ってるでしょ。女性が恋愛対象の芽衣紗の方がよっぽど不適切な目をしてるよ」

「お兄ちゃんの恋人は研究だもんね」

「オフコース」


 無駄口をたたきながら、二人で女性を患者衣に着替えさせた。

 胸部に心電図モニターの電極を付けると、龍人がてきぱきと全身状態をチェックしていく。そして鮮やかな手つきで血管に針を挿入させ、無駄のない手際であっという間に十本の暗褐色の血液を採取した。それを受け取った芽衣紗が別室の分析装置へ持って行く。


 龍人が腕時計を見ながら輸液の滴下速度を調節していると、空から舞降りた女性が目をうっすらあけた。


「Where……」


 声に気が付いた龍人が、点滴のしずくから女性へと視線を移す。


「気が付いた? 英語圏の人なのかな。Hi,I am」

「日本語? ここは日本なの?」

「あれ、日本語も話せるんだね。ここは……」


 龍人が説明を始めようとすると、体を起こそうとした女性が拘束されていることに気が付き、驚きで目を見開いた。そして龍人をにらみ、噛み付くように言う。


「私を捕虜にするつもり⁉」


 焦る女性とは対照的に、穏やかな顔の龍人は女性を安心させようと両手を上げた。


「落ち着いて。驚かせてごめん。君を捕虜にするつもりはない。万が一せん妄が起きた時に備えて、危険がないように拘束しただけだよ。意識が清明ならすぐにはずすから。それと、どこの国が君の敵なのか分からないけど、その国はもう存在していない。だから捕虜も必要ない。ま、存在してないのは君の国もだろうけどね」

「……どういうこと?」


 疑問に目を細めた女性は、警戒したまま龍人の動きに注目する。わざと無防備に背中を向けて身をかがめた龍人は、話しながら女性の拘束を外していった。


「何が原因かまだ分からないけど、地球上のほどんどは崩壊したよ。どれだけの人が生きているのかもわからない。見てごらん、これが今の世界だ」


 不安げに体を起こして手首をさする女性が、診察台に近づけられた16インチの小型モニターの映像を見て動きを止める。

 そこに移っていたのは、衛星から見た青くて丸い地球。しかし、海の上に見えるはずの大地が失われ、その代わり不気味に渦を巻く巨大な円盤型の雲が無数に発生し、地球を覆っている。

 自分が知っている地球とは程遠い姿に不快感を覚え、口を押えて言葉を失った。

 そんな女性の様子に肩を竦めた龍人が、少し間を置いて手を差し出した。


「僕は龍人。日本人の医者だ」


 自己紹介を受けた女性は、思考が停止したまま呆然と龍人の手を握る。


「私はソフィ」

「ソフィ、もしかしたら僕らは最後の人類かもしれない。状況を把握しようにも、世界中のデータは破壊されていてデータの収集に限界がある。差し支えなければ、君の知ってることを教えてくれるかい?」


 ソフィの手を握ったままの龍人は、診察台の上に座り、あいている手をそっと肩に回して優しく語りかけ続けた。

 人の温もりを感じたソフィは緊張の糸が緩み、目をつぶって悲しみに眉を寄せ、最後にクシャっと表情を崩した。ゆっくり現実を受け止めて表情を変えていくソフィが、龍人の胸へ顔をうずめて静かに涙を流す。ソフィの気持ちを落ち着かせるために、龍人は無言で震える背中をさすった。

 そこに戻ってきた芽衣紗が嫉妬で頬っぺたを膨らませたが、龍人は気が付かないふりをしてやりすごした。




 ソフィの気持ちが落ち着いてから「気分転換に」と、さらに下層にある植物園へ場所を移動した。

 無機質な扉を開けると、植物が茂る森のようなにおいが漂ってくる。兄妹の後に続いて部屋へと入って行ったソフィは、広いビオトープを見渡すと驚いて目を丸くした。

 地下だと言うのにまるで青空が広がっているかのような明るい天井。ふかふかの地面。そして、吹き抜ける初夏の風。


「あ……どういう技術⁉ 地下なのにまるで晴天ね! 太陽のように光が温かい」

「これに近い技術は外でも開発されていたけどね、それを妹の芽衣紗がさらに改良したんだ」

「本物みたいでしょ? ここで野菜も栽培しているんだ。ほら、ここに座って。今美味しい紅茶を入れてくるから」


 芽衣紗が木製のベンチを指さすと、ソフィはそれに従ってガーデンテーブルの前に座った。どこからともなく吹く爽やかな風に、気持ちよさそうに目を細めるソフィ。

 芽衣紗が戻ってくると、差し出された果物の香りのする温かいお茶をすすり、重たい口を開いた。





 ソフィは優秀な戦闘機のパイロットで、激戦地で戦闘機を操っていた。

 それも、搭乗していたのは世界最速の戦闘機。真っ黒な機体から名付けられた愛称は「レイバン」。

 世界最速を誇るがゆえに操縦が難しく、その上凄まじい重力への耐久性も求められるため、扱えるパイロットはほぼいない。搭乗を唯一許されたのは、天賦てんぷの才を持つソフィだけ。


「こちらレイバン。敵方戦闘機一機、目標をロックした」


 そう言うや否や、敵地上空のソフィは間一髪、右翼から五センチのところでレーザーの直撃を免れた。当たっていたらコントロールを失って墜落だ。

 しかしソフィにとってレイバンは自分の体のようなもの。ギリギリ避けたように見えたレーザーも、ソフィにしてみれば確信を持って操縦桿を操っただけにしかすぎない。雨のように降る無数のレーザーを軽々とかいくぐり、次々と敵の戦闘機を追い詰めていた。


 敵機は残りわずか。

 勝利が目前に見えた時、突如戦闘機内に上官の怒鳴り声が聞こえてきた。


「今すぐ限界まで上昇しろ!」


 あと少しなのに、なぜ敵に塩を送るようなことをするのか。

 他のパイロットは、不可解な指示を理解するまでに一瞬の間があった。

 しかし、ソフィは迷うことなく瞬時にレイバンを上昇させた。出撃直前、個人的に聞いた上官の忠告に胸騒ぎを覚えながら。


 ————今回の戦争、裏で別の計画が動いていそうだ。


 レイバンに続き、他の戦闘機も上昇を始めた。しかしその時、すぐにマッハに到達するレイバンは、すでに音速の壁を突き抜けて遥か彼方。マッハ3、4、5、6……。上限を知らずどんどん加速を続けて行く。

 全機が敵地から離れたようとした時、ソフィの視界が白い光で埋め尽くされた。地上を覆う、マグネシウムが発火したような激しい閃光が、はるか上空まで届いていたのだ。

 異変を感じたソフィだが、振り返ることなく重力と機体の発する熱に耐えて速度を上げていく。ソフィ自身は気が付いていなかったが、そのかいあって後ろから追ってきた衝撃波に追い付かれることなく飛び続けることができた。


 厳しい訓練をパーフェクトにクリアしたにもかかわらず、限界速度まで到達したレイバンの中で時々意識を失いそうになるソフィ。体にのしかかる経験したことのない重力。ギリギリ意識を保って一心不乱に飛び続けると、宇宙空間の濃紺の世界が迫り、成層圏に突入したことを視覚から感じとる。急激な気圧の変化できしむ機体。


 これ以上の上昇は無理だ。

 そう感じたソフィは機体を旋回させ、初めて後ろを振り返った。


「……何が起きたの?」


 目に映った地球は、大量の煙に包まれていた。しかも、誰も後を追ってくる様子はない。異変に気がつき急いで管理棟へ通信を試みるが、いつまで待っても雑音だけが続く。

 ソフィは、誰よりも宇宙に近い場所で、たった一人になったことを知った。


 誰からも返答のない無線に何度も話しかけながら、相棒のレイバンと二人、やや高度を下げて地上の様子を探る。

 地球を覆う白煙の隙間から見える地上は、山が崩れ海が荒れ、目に映る建物は全て破壊され燃えていた。


「上官が言っていた、別の計画ってこれのこと……?」


 美しい地球の無残な姿に呆然とするソフィ。

 正義だと思って自分が加担していた戦争は、一体何をしでかしたのだろう。国のために自分が努力してきたことは、なんの意味があったのだろう。


 なす術がなくしばらく飛んでいると、燃料切れのアラートが鳴った。

 しかし、燃料を補給しようにも、機体を着陸させようにも、どこにもそんな場所も人もいない。地獄絵図の世界に一人取り残された孤独なソフィは、絶望しかなかった。


「……レイバン。ここであなたと人生の幕を下ろすのもいいわね」


 操縦を辞めたソフィは、終末の世界を眺めながらレイバンの赴くままに体を任せた。そして死を覚悟した時、ソフィは一つだけ崩れていない小さな建造物を見つけた。


「何かしら」


 導かれるようにその建造物に向かって行くレイバン。

 最後まであきらめるな。

 ソフィはレイバンからそう言われたように感じ、わずかな希望と絶望の間で心臓の鼓動を速めた。


「あそこに行けって言うこと? でもあなたと別れるのはとても辛いわ」


 自分しか乗せない忠実な戦闘機との別れに、ソフィは操縦席で流れるままに涙を流した。思い出すのは今まで共に過ごした訓練の日々。苦楽を共にした相棒に、感謝を込めて短い別れをする。

 そして建造物の上空に到達した時。


「バイバイ、私のレイバン」


 ソフィはレイバンを脱出し、パラシュートを開いた。

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