第106話 サウダージ 前編

 西暦2×××年、日本時間9時44分。


 白衣をまとった龍人は、地下に建設されたトライアングルラボの中にいた。

 メインフロアの壁面にあるのは、碁盤の目になった巨大スクリーン。

 龍人は車輪付きのひじ掛け椅子で前のめりになると、組んだ両手の上に顎を乗せ、映し出されたニュースを凝視した。世界中で放送されている映像を集めたため、様々な言語が入り乱れて聞こえてくるが、龍人は全ての意味を理解している。


「上空で光がいくつも飛び交っているようです。姿は確認できませんが飛行機の音が聞こえてきます。国民の皆さま、避難所もしくは防空壕から外に出ないようにお願い致します。えー……爆撃の音は聞こえてきません。繰り返し申し上げます。爆撃の音は聞こえてはおりません。しかし、明らかに攻撃が開始されていると思われます」


「非常事態、非常事態! たった今、戦闘機が上空を飛んできました。爆撃が、爆撃が……危ない!」


「先日始まった戦争ですが、この後どんな展開が予想されるか、国内への影響があるかなど、専門家の意見を聞いてみたいと思います。本日お越しいただいたのは◯◯大学教授の……」


「大統領の演説が始まった模様です。映像を切り替えます。…………には、何度も警告してきました。しかし、平和的解決の道は全て拒否され、残された道は一つしかありません。これは人類の平和をかけ、世界中の支持を受けた聖戦なのです。被害が最小限になるよう……」


「悪魔が極悪な犯罪を開始した! 勝利するのは我々だ。裏切り者は地獄に落ちるだろう。何があろうと屈することはない。我々が正義なのだ!」


「今日は快晴となるでしょう。洗濯物がよく乾きそうですね!」


 ここ数ヶ月間、緊迫状態が続いていた国の間で、ついに開戦の火蓋が切って落とされた。

 温度差はあるものの、一部を除き、ほとんどの国が戦争のニュースを取り上げている。


 真面目な議論もあれば、面白半分に偏った情報で炎上させるマスコミ、よく理解しないで自論を展開する国民。国内だけでは使える情報が足りなすぎるので、正確に現状を把握するべく、龍人は世界中のニュースをチェックしていた。


 ニュースの要点を全て聞き分けた龍人が、イスの背もたれに寄りかかり腕を組む。そして背後にいる妹に向かって問いかけた。


「芽衣紗の掴んだ情報では、今日『世界初期化計画』のゴーサインが出る日だったよね。表面的には、世界中の爆弾が全部爆発しても大きな被害はないって話だけど、もちろんそれだけじゃないんでしょ?」


 足をぶらつかせながらカウンターに座り、スクリーンを遠巻きに見ている芽衣紗。ガムを噛みながら軽快な口調で質問に答える。


「うん。本当の情報を一般人に流すわけないからね。被害は予想の数万倍に膨れ上がるっぽいよ。その証拠に、本当のお偉いさんたちは地下深くで冬眠してるんだって、戦争が開始する前に。量子インターネットをハッキングされると思ってなかったみたいで、ちょっとつつけば重要な情報がゴロゴロ出てきたよ」


 スクリーンを見ている龍人が、小馬鹿にするように小さく笑った。


「ふふっ、冷凍保存か……。随分原始的だね」


 膨らませたガムを破裂させた芽衣紗が「よいしょ」とカウンターから飛び降り、龍人の隣の椅子にドサッと腰かけて勇ましく足を組む。


「私たちがそいつらを解凍したらどうなっちゃうかなぁ」

「ははっ。悪党に興味はないね。そんなことより僕は、新しい真理を見つける方がよっぽど……」


 龍人と芽衣紗が談笑していると、フラッシュのように明るく光った一部の映像が消え、波及するように他の映像も次々に砂嵐へと変わっていった。

 二人から穏やかな笑顔が消え、かわりに興奮の色が浮かぶ。


「地上の通信が死んだ。衛星に切り替えよう……ん? 地震か」

「ここが揺れるなんて珍しいね……」


 ニュース映像が途切れてしばらくあとに訪れた軽い揺れ。体感的には震度3と言ったところだ。しかし、トライアングルラボはどんな地震にも耐えうるように作られており、尚且つ揺れを大幅に緩和する構造になっている。なので、今まで揺れを感じた事はほぼないに等しい。

 異常を察した二人に緊張が走った。


 スクリーンの映像が切りかわって映し出された世界地図。その上に、各地の震度を現す数字が表示される。それを見た龍人は、想定し得る最悪の状態には至っていないと判断し、肩の力を抜いて安堵した。


「マグニチュードは8か。震源の深さ60km。巨大ではあるけどこの程度なら……」


 言い終わらないうちに、安堵していた龍人が目を見張った。

 一秒ごとに数字が上昇するだけでなく、震源を現す赤い点がねずみ算式に増え、世界中に広がっていく。


「マグニチュード……9.8、9.9、10……。こっちは10.3だと⁉︎ バカな。どんどん連鎖してる、まるでドミノ倒しだ!」

「有り得ない。こんな情報は無かった!」

「ははっ。誰かがパンドラの箱を開けたんじゃないか? 原因は分からないけど、目の前で起きている事実に変わりはない。超巨大な地殻変動が起きる!」


 いつも余裕に見える龍人も、地球滅亡の予感に笑顔をひきつらせて冷や汗を浮かべた。そしてものすごい勢いでコンピュータを操作し、貪るようにデータを集める。

 横にいる芽衣紗が、別のコンピュータで世界中をハッキングしながら疑問を口にした。


「地球が割れるのって確か」

「マグニチュード12だ。パワーは1増えるごとに32倍。2増えると単純に1000倍」

「トライアングルラボは、大丈夫だよね……」

「絶対とは言わないけどね。世界一強固なスーパーウォールで作った三角の構造。隕石の衝突にも耐えうるシェルターだ。これでダメならどっちにしても人類は滅亡だよ。冬眠中のお偉いさんたちを含めてね」


 トライアングルラボの電気が落ち暗闇が訪れた。瞬時に非常電源に切り替わる。

 震動する薄暗いフロアーで、二人は息を飲みながら成り行きを見守った。






 しばらくして、揺れの規模がだんだんと弱まっていった。しかし、世界は一瞬にして瓦礫の山と化し、ほとんどの陸地が海へ沈んだ。


「流石の人間様も、一つの星を割る事は出来なかったみたいだね。宇宙の偉大さに感謝するよ」


 そう言ってみたものの、これが気休めでしかないことを龍人は自覚していた。


 しばらく続く大きな余震。そして、気温が上昇したことで起こる天候異常。衛星から見た地球は、あちこちで大きな雲が渦を巻いていた。

 運良く生き残っていたとしても、インフラが死んだ中で吹き荒ぶ雨風、どうやって人間は生きていけるのだろう。


 誰も操作することのない衛星をハッキングした芽衣紗が世界中の様子を探るが、見慣れた地図はもう二度と使えそうにない。

 まるで、異物を感知した地球が人間を一掃してしまったような光景に、二人が震撼しんかんする。


 自分たちが最後の人類かもしれない。


 そんな予感がした時、トライアングルラボ上空に天使が舞い降りた。


「あれ、お兄ちゃん。人だ、人が降りてくる!」


 芽衣紗が指さしたスクリーンには、黒い人影がパラシュートで降りてくる様子が映っていた。

 映像だけでは生きているかどうかも定かではないが、自分たち以外にも生存者がいるかもしれない。そう思えたことが僅かな希望をもたらした。


「どうする? お兄ちゃん」


 芽衣紗が挑戦的に笑う。

 龍人もそれに応え、ニヤリと口角を上げた。


「もちろん、回収しに行くよ」

「線量は?」

「300ミリシーベルト」

「活動限界20分か」

「十分でしょ。防護服を着ろ、芽衣紗!」


 幸い暴風雨は止んでいる。

 推測される落下地点からギリギリ救助可能と判断した二人は、防護服に身を包み終末の世界へと足を踏み出した。

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