第104話 演武の裏で
「師範とご子息が演武を披露するらしいぞ!」
ざわめく道場。
百はいるだろうか。白い道着に身を包み正座をする門下生が、所せましと取り囲んでいる。ポッケを頭に乗せた私、そしてユーリとサミュエルも、借りた道着に身を包み、みんなと気持ちを同じくして演武の開始を待った。ちなみにサミュエルは、邪魔にならないよう長い髪の毛を一つに束ねている。
武を重んじる国、イルカーダ一の道場の師範とその息子の演武。滅多に見れない貴重な機会に、小声にもかかわらず全員の興奮が伝わってくる。
その中にいたのは、イルカーダに入った時に見た肌の黒い女性。あの時は兜で良く見えなかったが、細かいパーマのように波を描く黒い髪が、顔の小ささを際立たせていた。隣にいるシルバーらしき女性と嬉しそうに話をしている。
————あ、あの素敵な女性、ここのお弟子さんだったんだ。
私がじっと見ていると、それに気がついた女性と目が合ってしまった。見惚れていたことがバレた私は、恥ずかしさに頬を赤らめてうつむく。めざといユーリが、「どうしたんだよ」と言ってちょっかいを出してきた。
そんな私とユーリに、静かにするようサミュエルが注意してまもなく、道場の扉が開いた。
逆光で浮かび上がるシルエット。
ガイオンのお父さん、そしてガイオンが入ってくると、場が糸を張り詰めたような緊迫に包まれ、水を打ったような静寂が訪れた。
全員の視線を集めた二人は、もともとお坊さんが着ていたと言い伝えがある正装に身を包んでおり、白い道着の上に墨染めの法衣を重ねている。胴に巻かれたしめ縄のような帯は、これから神へ演武を奉納することを示す。
いつも以上に迫力のある出で立ちに、全員が息を殺した。
二人が歩くことで発せられる、微かな衣擦れの音だけが支配する道場の中心で、向かい合う親子が片方の手でもう片方の拳を包み、一礼をした。
腹の底から発せられた二人の気合い。
ビュッと空気を切る音を発して構えに入る。
一瞬の鋭い睨み合い、それに続く電光石火のような見事な演武。見てる人の心を捉え、十分ほどの時間が一瞬で過ぎた。
「ふぃーっ。久しぶりだったからちょっと忘れてたなぁ」
私は、法衣から道着に着替えて道場に戻ってきたガイオンに、冷たいお茶を渡した。他の門下生は、目の前で見た芸術ともいえる演武に興奮が冷めやらず、すでに激しい稽古を始めている。
「ガイオン、超かっこよかったよぉぉ! 早すぎて何をやってるか全然分からなかったけど、とにかくかっこよかった!」
「がははは! そうだろう。惚れ直したか?」
「たわけ! なにを調子に乗っておる。型を忘れるとは修業が足りん、修業が!」
同じく道着に着替えてきたガイオンのお父さんにもお茶を渡すと、ガイオンに向けていた厳しい顔から一変、ニコニコ優しい表情になった。
「君たちも稽古してみるかい?」
「やる! 教えてください、ガイオンのお父……師範!」
前のめりなユーリの返答に、満足したお父さんが門下生の一人に声をかけた。
「よかろう。おい、ベルタ!」
ガイオンのお父さんに名前を呼ばれて駆けつけたのは、私が見惚れていた肌の黒い女性だった。近くで見ると、長いまつげで縁取られた大きな目に吸い込まれそうになり、慌てて自制心を取り戻す。
「ユーリの相手をしてやれ」
「え? 女の人?」
意表を突かれたようなユーリを見て、ガイオンのお父さんが豪快に笑う。
「がははは。あなどるな、ユーリ。ベルタはガイオンの次に強い。油断しているとすぐに泣きを見るぞ」
「ガ、ガイオンの次?」
「そうだ。イルカーダでは武力がものを言う。ベルタは魔力を持たないライオットだが、魔力の差をものともしない身体能力の高さで、騎士団の副団長の座をもぎ取ったんだぞ」
「ライオットで副団長……」
ユーリが言葉を噛み締めるように復唱する。そして背筋を正し、ベルタに向かって頭を下げた。
「ベルタさん、僕もライオットです。どうぞ手ほどきよろしくお願いします!」
ユーリはベルタと、サミュエルはガイオンとそれぞれ手合わせをしている。
みんな本気だ。
たまによけきれなかったベルタの蹴りが、ユーリのお腹を直撃する。しばらく咳き込むものの、それにめげずに再び立ち向かっていく。そしてユーリが段々と動きに慣れてきたのか、なかなか攻撃の決まらないベルタの額にも汗が滲み始めた。
ユーリはちょっと前まで私より足が遅かったし、戦った事なんて一回もなかったのに、今では見違えるほど体の動きが洗練されている。サミュエルとガイオンは言わずもがなだ。
すごい、みんなカッコいいなぁ。
私も見様見真似でやってみるが、立派なのは掛け声だけだ。どうやらこういうのは苦手らしい。
上手くパンチすらできない自分の両手を見つめていると、タオルで額をぬぐうサミュエルが近づき、私の頭の上にポンと手を置いた。
「一生懸命だな」
「やだ、もしかして見てたの? 恥ずかしい。私、みんなみたいにはできないみたい」
「人には得意不得意があるからな。シエラはコントロールが良いから、体を使って戦うよりも物を使った方が合ってるのかもしれないぞ」
優しくフォローしてくれるサミュエルに、ジーンとした私が元気よく答える。
「確かにそうだね。教えてくれてありがとう、サミュエル。外に行って久しぶりに
「ははっ。あまり遠くまで行くなよ」
サミュエルが声を出して笑った。
感動で時が止まった私は、手をひらひら振ってキッチンへと向かうサミュエルの背中を黙って見送った。そしてサミュエルの言葉を噛み締める。
ベルタさんだって、魔法が使えないかわりに武術を磨いたんだ。サミュエルの言う通り、私は私の得意なことでカバーしよう。目指すのは最高の自分だ。
そう目標を新たにした私は、道着を脱いでガイオンの家を出た。
練習場所を探し始めると、すぐに誰かに呼び止められて足を止める。
「おいシエラ」
声に気づいた私が振り向くと、そこにいたのはいつも通りの黒い
どうしたんだろう、私ってば忘れ物でもしたかな。
「今ガイオンに買い物を頼まれた。せっかくだからそこまで一緒に行かないか?」
「買い物? 良いよ、一緒に行こう。サミュエルと二人で出かけるなんて初めてだね。楽しみ!」
私が言った何気ない一言に、サミュエルは困ったように微笑み、そしてためらいがちに言った。
「……そうだな。誕生日は過ぎたが、はじめての買い物記念にかわいい妹へ美味いものでも買ってやるか」
「か、かわいい妹⁉」
私が聞きなれない言葉に驚くと、ギクッとしたサミュエルがそっぽを向いて頭をかいた。
「あー……俺としたことが、心の声が漏れたな」
サ、サミュエルが私のことかわいい妹って思ってくれてるなんて。改めて言葉にされると、すごく嬉しいけど少し恥ずかしい。
ちょっとだけ気まずい空気が流れたが、サミュエルはすぐに屋台でジャウロンの饅頭を買ってくれた。今度はカラシをつけすぎないように気をつけ、パクリと一口かじる。
「おいっしぃー!」
賑やかな屋台を歩きながら、落ちそうなほっぺたに手を当てて饅頭を味わうと、「それは良かった」とサミュエルが微笑んだ。
最近のサミュエルは良く笑うようになった。生命の樹で見せてくれた心の痛みが、少しは和らいだのだろうか。そうだと良いな。
私は、前とは違って穏やかな雰囲気を漂わせる兄の後を追って歩き続けた。
「ねえ、おつかいってどこまで行くの?」
「もうすぐだ」
すでに屋台がない狭い路地裏まで歩いて来た。太陽も届かず人通りもない。両側に樹立する建物に挟まれ、反響する足音が少し不気味だ。こんな所に来るなんて、一体ガイオンに何を頼まれたのだろう。
疑問に思っているうちに目的の場所までたどり着いたようで、サミュエルが足を止めた。
そこにあったのは、一台の馬車。
立ち止まったままのサミュエルは、なぜか動こうとしない。
「サミュエル、どうしたの?」
私が背中に向かって呼びかけると、振り返ったサミュエルはすごく悲しそうな顔をしていた。
「ごめん……」
「どうしたの? 誰かにいじめられたの? もしサミュエルに嫌なことをする奴がいたら、私がぶっ飛ばしてやるんだから」
私が握り拳を高く上げると、馬車の中から別の声が聞こえてきた。
「くっくっく。それは恐ろしいね」
「誰⁉」
声が聞こえてきた馬車に向かって身構えると、荷台を覆う布がゆっくりめくれ、手がのぞいた。そして隙間から出てきたのは見覚えのある顔。
「……龍人? どうしてここに」
首を傾げる私の質問には答えず、人当たりの良さそうな顔の龍人が馬車から降りてきた。
「どういうこと? サミュエル」
何か新しい作戦を考えたのだろうか。
いつもと様子の違う龍人に、私はジリジリ後退を始める。
悲しそうなサミュエルが両手で顔を覆うと、その姿はサミュエルではなく、イーヴォの物へと変わっていった。
「イーヴォ⁉」
騙された、と気が付いた時には、すでに龍人が私に
異変を感じて飛び立つポッケ。しかし、それを読んでいた龍人がポッケを捕まえて、鳥かごへと押し込む。
「さあ参りましょうか。王女様」
穏やかな微笑みを浮かべる龍人と、苦悶の表情のイーヴォ。私は二人に担がれ、無理やり馬車に乗せられた。
そして、見知らぬ人に姿を変えたイーヴォが、馬を走らせる。
「なんでこんなことするの? 龍人、イーヴォ!」
嫌がる私に意地悪な笑みを浮かべる龍人。その顔を見た私の脳裏に、いつぞやのサミュエルの言葉が聞こえてきた。
————絶対気を許すな。龍人と芽衣紗だけは疑ってかかれ。
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