第98話 もう一人のガイオン

 得体の知れない小人に連れ去られたのだと自覚した私は、誘拐の目的が分からないこと、そして地面から遥か上空を飛んでいることに心の底から震えあがった。

 怖いからとにかく地上に降りたいっ!


「もう、私を降ろさないと食べちゃうんだから!」


 ガチガチ歯を震わせる私が涙ながらに訴えると、すぐに小人が下降を始めた。


 おや、やはり話が通じているのだろうか。言ってみるもんだな。

 そう思ってちょっとだけ安心したのもつかの間、私を支える力がフッと消え、重力に従って勢いよく落下し始めた。

 これはまずい!


「ぃやっぱり降ろさないでぇぇぇ!」


 小人たちは私を持ち上げるつもりが無くなったらしい。

 一番小さな小人だけは私の髪の毛にしがみついて風になびいているが、他の小人は私より先に地上に向かって飛んで行く。支えを失った体がどんどん落下速度を上げて行った。


「ギィャー! 死ぬぅぅぅー!」


 恐怖で溢れ出る涙と鼻水が、耳をかすめて後ろに飛んで行く。

 抗うように無我夢中で手足をじたばたさせるが、そんなことで空を飛べるはずもなく、すぐに真っ暗な森が目前に迫ってきた。


 もうだめだ、私は謎の小人に連れ去られた挙句、コチニールの実のようにぺしゃんと潰れて死んでしまうんだ。やっぱり夕食の時、無理してでもティラミスをもう一つ食べておくんだった。


 そんな後悔が頭をよぎった時、落下のスピードが穏やかになりフワッと体が浮く感覚がした。


「うわぁぁぁぁっ……あ? あれ?」


 何事もなかったかのように、いつの間にか小人たちが元の位置に戻ってきていた。「うんしょ、うんしょ」と輪唱のような掛け声が聞こえてくる。

 ふわりと地上に降り立った私は、久々の地面の感覚にへなへなと崩れ落ち、「ぎへぇー」と乙女にあるまじき唸り声を発しながらその場にしゃがみ込んだ。

 とりあえず生きていて良かった。


「シエラつれてきた!」

「シエラつれてきた!」


 生還したことに私が放心していると、一斉に小人たちが騒ぎ出した。

 ボーっとする頭で小人たちが話しかけている方向へ目を向けると、木影に一人の女性が立っていることに気が付いた。暗闇の中で、灯花のようにうっすら光を放つ、透けるような白い肌。そして、木の葉で飾られた緑色の長い髪の毛。

 絵本から抜け出してきたようなかわいらしい女性に、私は一瞬で目を奪われて先ほどの恐怖を忘れてしまった。


「かわいい……」


 見惚れていると、空飛ぶ小人たちに囲まれたその女性が、少しずつこちらに近づいてきた。

 そしてすぐに私はハッとする。

 危ない。もしかしたら、この人が誘拐犯かもしれないんだ。

 気を取り直した私は、警戒しながら質問をした。


「ここはどこ? あなたは誰?」

「私は森の番人ドリュアス、そしてここは妖精の村、ポルテです」


 自らを森の番人と呼ぶ女性が、おぼろげな視線を私に向けた。


「ポルテ? ここが⁉」


 村という割には建物がなく、辺り一面に木が生えているだけ。しかし、ガイオンが杖の材料はポルテにあると言っていた。ということは、ここに杖の素材があるはずだ。みんなで来るはずが、どうやら意図せず私だけ来てしまったようだ。


「なぜ私をここに連れてきたの?」


 警戒したまま私が聞くと、ドリュアスは少し悲しそうに眉毛を下げた。


「この森は枯れかけています。あなたに助けてほしいのです」

「え、なんで私? 枯れ木のシエラだから?」

「あなたにしかできないことだからです」

「助けてほしくて私をここに連れてきたの?」

「その通りです。どうか、お願いします」

「私だけが助けられる? どういうこと?」


 まだ状況を飲み込めないまま改めてキョロキョロ周りを見る。

 一見何の変哲もなさそうな森だが、生えている木には葉が茂っていないもの、倒れたり所々折れているものなどがあった。

 暗くてよく見えないが、確かに枯れかけている森と困り顔で目を潤ませているドリュアスに、私の胸がチクリと痛む。


 ……本当に困ってるんだ。


 いたずらな小人たちの送迎は怖かったけど、ドリュアスって言う人は私を傷つける気はなさそうだ。

 それに困ってる人を助けるってことは。


「もし助けたら、私ってポルテのヒーローになる?」

「はい、私たち森の妖精のヒーローです」

「森の妖精のヒーロー……!」


 ヒーローと言う言葉に、私の心が大きくぐらついた。絵本から出てきたような可愛らしい妖精と小人たちのヒーローになるのは、全人類の夢と言っても過言ではない。

 なんて言ったって、ヒーローは幼い頃からの私の夢なのだ。


 ついに長年の夢が実現できるかもしれない。

 甘い誘惑に負けた私は、それ以上深く考えもせず、ここぞとばかりにキリっと表情を整えて答えた。


「その任務、私が請け負いましょう!」

「良かった! では、私についてきてください」


 返答を聞いたドリュアスが嬉しそうに顔を綻ばせたので、さらにやる気が湧いてきた。

 意気揚々、柔らかな光を放つドリュアスの後について行くと、すぐに見えてきたのは大きな洞穴。足取り軽く、案内されるままに中に入って行く。


 私がヒーローか。


「にへへっ」


 ドリュアスや小人たちに尊敬のまなざしを受ける自分を想像し、鼻歌交じりに歩みを進めた。しかし、それは最初だけ。

 静かな洞窟内に反響する私の足音と遠ざかる入口。明かりらしい明かりもなく、ぼんやり光を放つドリュアスだけが道しるべだ。そしてゴツゴツした岩肌に囲まれて閉塞感が増してきた時、ふと疑問がわきあがる。


「ねえ、一体どこまで行くの?」

「もう少しですよ」


 ゴールが分からないまま奥に進むにつれて、心細さが増してくる。


 ……私一人で大丈夫かな。ガイオンの家からはかなり離れてそうだから、なにかあってもユーリやサミュエルは助けに来れない。どうせポルテには用事があるんだし、こんな真夜中じゃなく日をあらためた方が良かったのかも。


 一人で行動したことがない私は、鉄砲玉のように考えもせず安請け合いした自分の行動に、早くも後悔を感じ始める。


「あの……」


 引き返そうと口を開きかけた時、ドリュアスが急に立ち止まった。今まで歩いていた細く暗い道と違って、ここは広くて明かりがあって暖かい。

 ここが目的地だろうか。


 私が中をよく見ようと、ドリュアスの後ろからひょっこり首を出そうとした時、大きな声が洞窟の中に響いた。


「来たか!」

「ひぐっ!」


 不気味な静寂の中に聞こえた突然の大声に、驚いた私は小さく飛び上がった。

 そしてドリュアスの影に隠れて声の主を覗き見て、見覚えのある顔に驚く。そんな私に、声の主が顔をしかめた


「あぁん? お前がシエラか。随分ちっぽけだな」

「ガガガ、ガイオン⁉ どうしてここに……」


 なんと、そこにいたのは髪の毛の黒いガイオンだった。大きなベッドの上に座り、堂々と片足を上げている。

 私がびっくりしている横で、黒いガイオンにドリュアスが小さくスカートを持ち上げて会釈をした。


「お待たせしました、タケハヤ様」

「タ……タケハヤ? ガイオンじゃないの?」


 私は困惑しながらタケハヤ様と呼ばれた男をよく見た。

 獅子のたてがみのような髪の毛、そして鍛え上げられた体、豪快で大きな声はガイオンそっくりだが、片腕でグイッと酒を飲むしぐさや私を見る目つきはガイオンよりももっと野蛮な感じがする。挑戦的にニヤッと笑っている顔はかなり似ているが、どうやら別人のようだ。しかし、私を知っているらしい。

 ドリュアスの頼みとは、このタケハヤと関係があるのだろうか。


「ドリュアス、これから私は何をするの?」

「シエラ、あなたはタケハヤ様への項物こうもつです」

「項物? なにそれ」

「つまり、生贄いけにえになってもらいます」

「生贄ぇぇぇぇぇ⁉ ちょっと待って、聞いてないよ! 生贄って、私食べられちゃうの⁉」


 きっとタケハヤも、孤児院を襲った盗賊のように私の魔力を狙っているのだろう。久しぶりに自分の血や肉を狙われ、私の心臓が縮み上がる。


 危険を察した私は、持ち前の逃げ足の速さを発揮してすぐさまこの場から立ち去ろうと走り出す。しかし、小人たちに私の服を引っ張られ、食い止められてしまった。これは、先ほど小人を食べると脅した私への報いだろうか。


「ぐににににに! 離じで……!」


 小人と綱引きをしているところに、まどろみ顔のドリュアスが寄ってきて、私の顔を覗き込んで言う。


「シエラの犠牲は森のヒーローとして深く感謝します。どうかよろしくお願いしますね」

「ちょちょっ、ちょっと待って。生贄はヒーローじゃないよ、無し無し無し無し!」


 慌てふためく私を、小人たちがずりずり引きずってタケハヤの元へと連れて行く。


「ギャー! だめだめっ! 助けてー!」


 よろしくお願いしますね、じゃないよ!

 可愛いと思ったらとんだ食わせ物だったなんて。

 遠慮のないドリュアス、無理やり私を連れてきて引きずっている小人たち、私を食べようとしているタケハヤ。あまりの理不尽さに腹が立ってきた。


 もうこうなったら私も黙ってられない。大人しく食べられてなんかやるもんか。

 覚悟を決めた私は全身に巡っている魔力を集めはじめた。


主一しゅいつ……」


 うまく魔力を捕まえた私は、キッと振り返ってタケハヤを睨み、人差し指をかまえた。


無適むてきっ!」


 指からほとばしる青い閃光。

 それを見て驚いたタケハヤの表情に、私は先制攻撃の成功を確信した。

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