第97話 ブロンズ・モンテ・ビアンコ
シエラがいる客間に小人が訪れたのと同じころ。廊下を挟んで向かい側にあるガイオンの部屋では、ガイオン、サミュエル、ユーリが川の字で横になっていた。窓から差し込む月明りで、物や人の位置くらいなら分かる程度に明るい。
ガイオンが大きないびきをかき始めた時、サミュエルが静かに体を起こした。
「ユーリ、ユーリ起きろ」
まだ横になってまもなくだったが、旅の疲れもありユーリはすぐに眠りに落ちそうになっていた。心地よくなってきたところで体を揺すぶられたので、寝ぼけ眼をうっすら開けてサミュエルを見る。
「んぁ? どうしたんだサミュエル。なんかあったのか?」
「シッ」
サミュエルは唇に人差し指を当て、聞き耳を立てた。
慎重な様子のサミュエルに、ユーリの心臓がドキッと跳ねる。
何かあったのだろうか。
体を起こして聞き耳を立たユーリが、心配を胸にキョロキョロ周りを見渡し状況を確認する。
「なんだよ、泥棒でも入ったのか?」
物音がしないことを確認すると、サミュエルが静かに囁いた。
「……お前、明日が何の日か知ってるか?」
「明日?」
眉毛をひそめて考えるユーリが、思いついたことを口にする。
「お祭りか何かか?」
「違う。明日は10月20日、シエラの誕生日だ」
「そうだったっけ? ってことは、あいつももう14歳か、早いな。それにしてもよく覚えているなサミュエルは」
自分の誕生日すら覚えていないユーリが驚く。
その反応を見て、自分が特別にシエラの誕生日を覚えたかのように思えたサミュエルは、若干恥ずかしさと居心地の悪さを感じ、ていの良い言い訳を探した。
「……12歳で出産に立ち会ったら、嫌でも忘れないぞ」
「ははっ。全然嫌そうな顔してないけどな。鏡見てみろよ」
「ばかやろう」
図星を言い当てられたサミュエルが、照れ隠しにげんこつを振り下ろす。軽く殴られたユーリが「いてっ」と頭を押さえて、サミュエルを恨めしそうに見た。
「俺をからかってる場合じゃない。これからシエラに内緒でプレゼントを作る」
「プレゼント?」
「今日、屋台で買い物をしている時、こっそり材料をそろえておいたんだ」
「マジか、全然気が付かなかった。ちょっとサミュエル有能すぎないか?」
「有能に決まってるだろう、俺を誰だと思ってるんだ。そんなことはいい、時間がない。一緒に作るのか? 作らないのか?」
「作る、作るよ。……で、一体何を作るんだ?」
得意げな顔で笑うサミュエルの歯が、月の明かりでわずかに光った。
「ブロンズ・モンテ・ビアンコ。イルカーダに伝わる伝統的なケーキだ。ガイオンの母さんにレシピをもらった」
「ケーキか、食いしん坊なシエラにピッタリだな」
ユーリもニッと笑い、サミュエルに続いて立ち上がる。そして音を立てないよう、二人は厨房へと消えて行った。
向かいの部屋に侵入者がいるとも知らずに。
そして向かい側の客室では……。
「シエラがおきた!」
「シエラがおきた!」
シエラの体のまわりに、十人くらいの小人がフヨフヨと浮いている。一人が何かをしゃべると、他の小人も輪唱のように次々に同じことを口にし、鈴の音が音楽を奏でるように心地よく響く。
見た事のない生き物に驚きを見せたシエラだが、次の瞬間寝ぼけながらこんな思いを頭で巡らせていた。
……空を飛べる小人なんて聞いたことが無い。きっとこれは夢だ。そしてこれから楽しい夢の続きが始まるのだろう。
「おやすみなさい」
特に疑問にも思わず、もう一度眠りにつこうと布団を頭までかぶった時だ。
「だめっ、シエラおきる」
「シエラおきる」
小人たちが布団をめくり、シエラの体のあちこちを持ち上げて空を飛び始めた。
「はぇっ、えぇぇぇ⁉ 浮いてる!」
布団から離れていく自分の体を見て、信じられない気持ちで呟く。
「すごくリアルな夢だなぁ……」
しかし、驚いたのもつかの間。まだ夢の中にいると思っているシエラの顔が、すぐにパアァッと明るくなった。
「最高! 私、空飛んでみたかったんだよね。夢の中だけど空を飛べるなんて超ラッキー! ついでにこのまま外に行っちゃおう!」
その声が聞こえたのかどうか定かではないが、小人たちがシエラの体を釣り上げて窓の方へと向かった。
ある小人はシエラの腕を、もう一人は足を。そして胸やお腹の下にいる力持ちの小人は、背中にシエラを背負って飛んで行く。一番小さな小人の担当は、三本の髪の毛だけ。それぞれ一生懸命に役割をこなしている。
一度バランスを崩して落ちそうになったが、小人たちがすぐに配置を修正し、安定して飛べるようになった。シエラが納得の表情で窓を指さす。
「よし、出発進行ー!」
二階にある客室の窓から外に出たシエラは、眼下に広がるイルカーダの街の光に胸を躍らせた。
ダイバーシティの激しいネオンとは違って、屋台の屋根から透ける、赤、青、黄色、色とりどりの明かりが一面ステンドグラスのように広がっている。夜も更けて人波はまばらだが、まだ数人が楽しそうにグラスを傾けており、お祭りの余韻が続いているかのような雰囲気だ。
きれいな風景を楽しむように、おろしているパステルブルーの髪の毛と寝間着をなびかせながら空高く舞い上がる。そしてくるりと一回転し、屋台の上を大きく三周して回った。夜になると月明りしかない孤児院の街並みと全然違う光景に、世界の広さを全身で感じ取る。
「うわぁー、素敵、すっごく綺麗! 今度はあっちのいい匂いがする方にも行ってみよう!」
シエラが指を指すと、小人たちがグンッと進行方向を変えた。
指示とは逆の方に。
「えっ? ち、ちが……あっちだよ。どこ行くの? ねえ、どこにいくのぉぉ?」
小人の動きがおかしい。
予想外の動きに焦るシエラだが、そんなのお構いなしにどんどん体は反対方向へ飛んで行く。ステンドグラスの海が遠ざかり、ついに真っ暗な森の上まで来てしまった。
下を見ると光の届かない闇が広がり、地面にポッカリ穴が開いて地球が無くなってしまったのじゃないかという錯覚に襲われる。心地よかったはずの風も、なんだか冷たく感じて寒気を催してきた。
先ほどの陽気とは一変、恐怖に襲われたシエラはある事を思いつく。
「そうだ、これは夢だった。起きればいいんだ。起きろ私!」
解決策を見つけたシエラが、えいっと気合いを入れて目をパチクリする。しかし、何度やっても目覚める様子はない。焦りを増すごとに全身にまとわりつく嫌な汗が、妙に現実味を帯びていく。
「もしかしてこれって……」
左右を見れば自分の腕を持ち上げている小人、体の下にはお腹や太ももを背負っている小人。すっかり眠気の冷めた頭で、体のあちこちにくっついている摩訶不思議な生き物をあらためて見て自覚する。
「夢じゃなかった!」
夢だと思って余裕のあったシエラだが、現実だと気が付いた途端に恐怖が倍増する。
落ちたらどうしよう、この小人は何者なんだろう、何をしようとしてどこへ向かってるのだろう。もしジュダムーアの手先だったら……。
自分の置かれた危険な状況を自覚したシエラが、泣きべそをかきながら助けを求めた。
「びえぇぇぇ、私を帰して! 助けてユーリ、サミュエルー!」
必死に訴えるシエラ。そして必死にシエラを目的地へと運んでいく小人たち。
両者の声、そしてシエラの涙と鼻水だけが暗闇に降り注ぐ。
「うんしょ、うんしょ」
「うんしょ、うんしょ」
「もういやぁぁぁぁ!」
そんなことになっているとはつゆ知らず、ユーリはシエラのために生クリームをかき混ぜていた。そして、一口味見をして満足気に「へへへっ」と笑う。
「きっとあいつ、喜ぶぞ!」
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