第96話 最悪のゲーム

 龍人がイーヴォを連れてやってきたのは、城にある自分の研究室。

 ジュダムーアとカトリーナが起こした先ほどの揺れで、大量に物が散乱している。それを構わず踏みつけて中へ入っていく龍人を、警戒するイーヴォが追う。


「龍人、今度は何を考えているんだ。裏切り者の……僕なんかを連れてきて」


 怪しんでいるイーヴォをチラリと目線だけで振り返り、龍人が楽しそうに口角を上げた。


「裏切り者、か。随分自分のことを客観視しているじゃないか。時と場所でコロコロ姿を変えては他人になりすまし、過酷な生存レースを乗り越えてきた君ならではだね。どう? 今まで自分を偽って生きてきた感想は」

「どういう意味だよ」


 立ち止まった龍人が、くるりと振り返ってテーブルに寄りかかる。そして柔和な笑顔を浮かべた。


「そんな怒った顔しないで。君を褒めているんだよ。他人をよく見る観察眼、場の空気を読む洞察力、そして自我の抑制。目的のために自分を押し殺して他人に合わせるなんて、そう簡単にできることじゃない。とてつもない努力が必要だ。……まぁ」


 一度目を閉じてイーヴォから視線をはずした龍人が、今度は試すように横目で見る。


「脳死状態で誰かの言いなりになってるだけの人間は別だけどね。もちろんイーヴォはそっちじゃないでしょ?」


 龍人の寄り添ってくるような言葉に、警戒心の強いイーヴォが疑いのまなざしを向ける。しかし、龍人はお構いなしに話を続けた。


「それに、僕は本当に感謝しているんだよ。簡単にクリアできるゲームなんて面白くないからね。壁は高ければ高いほど良い、燃えるよ。イーヴォのおかげで難易度が上がったんだ。四面楚歌しめんそかで針の目を抜けるようなスリル、あれはゾクゾクしたね」


 声を殺して笑う龍人に、気味の悪さを感じたイーヴォが顔を歪めた。


「言っている意味がわからないな」

「では結論から言おう。イーヴォには、この国盗りゲームを面白くしてもらいたいんだ。もっともっと最悪な状態にね」

「最悪な状態? 龍人は、シエラちゃんたちの味方じゃないのか?」

「さぁ……、どっちだと思う? 僕が興味あるのは、仲良しこよしの慣れあいじゃ無いことだけは確かだよ」

「まさか、裏切るのか?」


 龍人は答えなかった。

 それをイエスと捉えたイーヴォが、小さく首を振る。


「お前は狂っている」

「褒めてくれてるのかい? 光栄だね」

「どこが褒めてるんだよ。お前はジュダムーアと同じくらい危険だな」

「さすが鋭い。そうやって数々の危険を回避してきたんだね。じゃあ賢いイーヴォ君に一つ、問題を出そう」


 ニヤリと笑う龍人がテーブルの上にある大きなガラスの瓶を手繰り寄せ、くるりとまわしてイーヴォに見せる。


「これは回避できるかな?」


 龍人が抱えている瓶には、人の首が浮かんでいる。

 それを見たイーヴォが血相を変え、瓶に駆け寄って膝から崩れ落ちた。そして幼馴染の無残な姿に、悲痛な声をあげる。


「ノラ……ノラじゃないか! 龍人お前……ノラを殺したのか⁉ 僕が大切に思っているって知っていながら!」

「イーヴォの返答次第では、ね」

「僕の返答次第だって⁉」


 瓶にぷかぷか浮かぶノラの頭部は、口と目が力なく半開きになっており、すでに意識が無いことが容易に分かる。なにより胴体から切断されて生きていられるはずがない。

 まさかこの医者は、この状態からでも人間を生き返らせることが可能だとでも言うのか?


 イーヴォが龍人の思惑を測り切れないでいると、ノラの目がパチリと瞬いた。


「あら、イーヴォ君久しぶりね! 元気にしてた? うふふ!」

「え、ノラ⁉ 生きてるの?」

「あはははは! ノラは生きているよ」


 すっとんきょうな声で驚くイーヴォに、龍人がケタケタ笑った。


「あーん、イーヴォったら、私のこと忘れたの?」

「え……? どう言うこと?」

「イーヴォには言って無かったかな。僕の専門は美容整形外科なんだよ」


 そこに、タッタッタッと何かが走ってくる足音が聞こえた。

 そして振り返ったイーヴォが驚いて腰を抜かす。


「え⁉ 首無し人間⁉」

「やっだー、この体を見て分からないの? 前にコピーしてくれたじゃない」


 瓶の中の顔がしゃべり、首無しの体が腰に手を当てる。

 イーヴォが体を上から下に眺め、信じられない気持ちで胴体を指さした。


「ト……トワ?」

「正解~!」


 瓶の中の頭部が満足気に笑う。


「くっくっく……と言う訳さ。驚かせてごめんよ。まあ、みそぎだと思って許しておくれ。本物のノラはもう城にはいない。この首でジュダムーアにノラが死んだと思わせたんだ。でも、命は保証するから安心して」

「こんなのを見せられて、安心できるわけないだろ!」


 まだショックから立ち直れないイーヴォが、胸に手を当てて落ち着きを取り戻そうとする。

 しかしその努力虚しく、龍人が新たに提案を持ちかけたせいで、再び心臓が跳ねあがった。


「あともう一つ、イーヴォに見せたいものがあるんだ」

「こ、今度は何だよ! もう勘弁してくれ」

「今度はもっと気に入ってくれると思うんだけどなぁ。思わず僕に協力したくなるくらい」

「これ以上に⁉」


 部屋の隅に歩いて行った龍人が、壁にある大きな隠し扉を開いた。イーヴォが恐怖のまなざしで龍人の所作、そして壁の動きを見つめる。


 ……この医者は何をしようとしているんだ!


 少しずつ開く扉の向こうに見えてきたのは、床から天井まで連なる沢山の棚。そしてそこに積み上げられた数百、数千種類の瓶や箱。一つ一つに、歪んだ文字のラベルが貼られている。中には潰れた物や古くなって色あせた箱もあり、一見なんの価値があるのか分からない。イーヴォ以外には。


 その棚を見て目を見開いたイーヴォが息を飲んだ。


「こ……これは⁉」


 反応を見て成功を確信した龍人が、頬を赤らめてニッコリ笑う。


「僕には何の価値があるのか全くもって分からないけど、君はこれで夢を叶えられるんだろ?」


 イーヴォが棚にある瓶を一つ、恐る恐る手に取った。そしてまじまじと確認し、顔をクシャっと崩して目に涙をためる。

 色あせたインクで書かれてあるのは、幼い子どもの文字。見覚えのある文字に、過去の記憶がよみがえってきた。


「僕の字……。何年もかけて、お父さんと世界中から集めた薬草だ……。お父さんが死んだあと、バーデラックに取られてしまって、もう手に入らないと思っていたのに」

「どうやらバーデラックも、これの価値は分からなかったみたいだね。だからほとんどが当時のままここにあると思うよ。僕もバーデラックも、漢方薬学に関してはそれほど詳しくないから宝の持ち腐れなんだ。だから、ノラの命とここにある薬。これで取引しようじゃないか」

「取引……」

「これから始まる最悪のゲームのね」


 不気味な龍人に嫌な予感を感じつつも、これ以上にない条件を提示されたイーヴォは、一度深呼吸して涙をぬぐった。そして覚悟を決めて目に力を込める。


「……わかった。何をすればいい?」


 龍人がイーヴォの手首にそっとブレスレットをはめ、静かに耳元でささやく。


「シエラをジュダムーアに献上する」

「ははは、やっぱり頭がおかしいよ」

「最高……だろ?」


 顔を引きつらせるイーヴォに、満足気な龍人がペロッと唇をなめて笑った。

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