第60話 長寿の国

 ————来た!


 柔らかに波打つ純白の長髪。宝石のような赤い目から冷たくあふれ出る殺気。それに加え、まだわずかに少年の影を残すジュダムーアを出迎えたボルカンの王ダマーヤナは、緊張の面持ちで深々と頭を下げた。

 白馬に乗ったジュダムーアと騎士団長のガイオン、そして副騎士団長が、ボルカンの重厚な門をくぐり抜ける。


「お久しぶりです、ジュダムーア様。はるばるようこそいらっしゃいました」


 感情をどこかに捨ててきた仮面のごとく、無表情のジュダムーアは「出迎えご苦労」とだけ言うと、いつも通りに王の間へと向かった。


 兵力が弱いボルカンは、エルディグタールの守護の元、国の治安が維持されている。

 遠い昔、魔力を持つ国民が何人も他国に連れ去られる拉致被害が相次いだ。そこで、世界最強兵力を誇るエルディグタールがボルカンの守護を申し出、その見返りとしてボルカンはどんな命令にも絶対に従う約束が結ばれた。


 もし機嫌を損ねれば、圧倒的な兵力差のもとボルカンが滅ぼされかねない。

 そんな緊迫感の中、広々とした王の間で会談が始まろうとしていた。


 ジュダムーアとダマーヤナが席に着き軽く挨拶を終えると、護衛の兵士たちがぞろぞろと退室していく。


 ジュダムーアは、自分が王の座につくために、ことごとく目障りな自国のガーネットを葬ってきた。その経験が、今度は自分の命が危ないと警鐘を鳴らす。


 誰も信用してはいけない。


 ジュダムーアにとって、信頼できない護衛が後ろに控えているよりも、格下のダマーヤナ一人だけの方がはるかに落ち着くので、会談はいつも二人きりで行なわれる。もし相手が自分の命を狙ってきたとしても、二人なら確実に息の根を止められるからだ。


 護衛が音をたてないように扉を閉めると、ジュダムーアが口を開いた。


「まずはいつも通りデータを」

「はい。こちらにございます」


 ダマーヤナは、一束の書類を差し出した。

 その書類を受け取りパラパラと中身を確認すると、一切表情を動かさなかったジュダムーアが眉間に皺を寄せた。表情の変化にダマーヤナが息を飲む。

 

「やはり、ボルカンのシルバーは寿命が長い。エルディグタールと何が違うというんだ」


 ジュダムーアが不機嫌な顔で頬杖を突いて睨んだ。

 できるだけ威厳を損なわないよう緊張を隠すダマーヤナだが、ジュダムーアの針のように鋭い視線を受け心拍数が上がる。


「違いと言えば、温泉が湧いていることと、異人種間の婚姻を認めていることと……」


 異人種間という言葉が聞こえるやいなや、眉間の皺を深くしたジュダムーアが顔をしかめて吐き捨てるように言った。


「異人種間の婚姻など、いつまで続けるんだ。考えただけでおぞましい。聞くところによると、ガーネットにも異人種間の婚姻を許可しているんだってな」

「は、はい。数は多くありませんが。しかし、私の直系はガーネット同士でしか結婚しておりません。もしよろしければ、十六歳になるガーネットの娘がおりますので、嫁に出すことができますが……」


 ガーネットの寿命は二十五歳。

 そのため、ほとんどのガーネットは自分の子どもと少しでも長く過ごせる様、十代で結婚をする。


 ジュダムーアは今年で二十歳。

 そろそろ結婚をしないと子どもと過ごせる時間が無くなってしまう。そう思ったダマーヤナが好意で提案したのだ。


 しかし、提案をうけた当のジュダムーアは、ダマーヤナの期待に反して小さく首を横に振り拒否を示す。


「ボクは結婚なんかしない。みんなと違ってしばらく死ぬ予定はないから、まだ後継者なんか作る必要がないんだ。それに、いたところで自分の命を脅かす存在にしかならないだろう」

「左様ですか……」

「それで、他に何か思い当たることは?」


 結婚に全く興味がないジュダムーアが話を戻した。


「実は、昔から我が国では夫婦で魔石の生前贈与を行う習わしがあります。相手の魔石をもらえば魔力の維持に大きな支障は無いので、絆の強い夫婦はお互いへの愛を誓うときに魔石を交換するのです。もちろん、全員ではありませんが」

「ふーん。それで、その人たちの寿命に有意な変化はあったの?」

「はっきりしたデータはありませんが、寿命が長くなる可能性があると聞いております」


 寿命が長くなる。

 その言葉を噛み締めるように目をつぶるジュダムーアだが、自分以外すべてが信用できない彼にとって、根拠のない情報のために大切な魔石を譲るなど到底受け入れられる話ではなかった。


「……もしそうだとしても、他人と魔石の交換をするなんて考えただけで気持ちが悪くなる。そんなことする人の気が知れないね。ところで」


 これ以上気分の悪くなる話は聞きたくない。

 そう思ったジュダムーアが話題を変えた。


「ボルカンで、魔石を持たない子どもが生まれたと言う話を聞いたことは?」

「魔石を持たない、ですか? どうしてまたそのようなことを」

「どうやら、エルディグタールに魔石を持たないシルバーがいるらしいんだけど、前例を聞いたことがない。その血を使えば寿命が長くなるんじゃないかと推測しているところだ。もしボルカンで同じような話を聞いたことがあれば教えてほしい」

「そうだったんですか……」


 ジュダムーアの言葉に、青白い顔をするダマーヤナがうつろな目で冷や汗を流し始める。

 それを不審に思ったジュダムーアがイラつきながらため息を吐くと、ギクッと体をこわばらせたダマーヤナが絞り出すような声でしゃべり出した。


「……実は、私の妻がそれでして」


 ジュダムーアの眉毛がピクリと上がった。


「なに? もしかして、王妃は魔石を持たないガーネットだったのか? それでよく今まで生きてきたね」

「いえ、それが、妻の母親が、自分の魔石を生まれたばかりの私の妻に生前贈与をしているのです」

「……じゃあ母親は」

「それから一年後に死にました。出産当時は二十三歳でしたので、魔石の生前贈与か寿命で死んだのかははっきりしませんが」


 他人の生死にそれほど興味がないジュダムーアは、特に干渉にひたることもなく淡々とした調子で聞いた。


「そう。それで、王妃は今元気なの?」

「はい」

「今何歳になるの?」


 できれば隠しておきたい。

 しかし、いずれバレることだ。

 嘘をつくことが得策と思えなかったダマーヤナが、ためらいがちに年齢を告げた。


「……二十七歳です」


 王妃の年齢を聞いたジュダムーアが、息を飲んで体を乗り出す。


「二十七だって? やはり、相互の生前贈与の影響か? なぜそれを早く言わなかったんだ!」


 一言一言告げるたびに怒りを深めていくジュダムーアの周りを、ゆらゆらと赤いオーラが取り囲んでいく。


 まずい。

 これ以上怒りを買えば、国が危ない。

 

 ジュダムーアにボルカンを滅ぼされるわけにはいかないダマーヤナは、必死で許しを請うた。


「も、申し訳ございません。決してそのようなつもりは無かったのです。お伝えする機会が無くて!」


 虫けらを見るような目をするジュダムーアが、怒りを殺して再び問いかけた。


「じゃあ、ダマーヤナは一体何歳になったんだ?」

「……私も、今年で二十七歳です」

「まさか、さっき言ってた」


 信じられないと驚きで目を丸くするジュダムーアに、蚊の泣くような小さな声でダーマヤーナが返事をする。


「魔石の交換を、行っております」

「は、ははは、ははははは!」


 答えを聞いたジュダムーアがいきなり笑だし、がらんとしている王の間に声が反響する。

 ひとしきり笑ったジュダムーアは気が済んだのか、今度はがっくりと肩の力を抜き両手で顔を覆った。


 不気味な光景に体をこわばらせるダマーヤナが、心の中で祈る。

 長寿の源となり得る魔石を持つ、自分や王妃、そしてボルカンの国民。

 その人たちにジュダムーアが生前贈与を強制すれば、止める手立ては戦争しかない。しかし、そうなれば勝ち目など無いに等しい。


 ————頼むから、この国で生前贈与を強要することだけはしないでくれ!


「まさか、それが寿命が長くなる理由だなんて」


 ダマーヤナが祈っていると、ジュダムーアが立ち上がり扉に向かって歩き始めた。

 やはり、国民にジュダムーアの魔の手が伸びてしまうのか。

 そんな危機感を感じたダマーヤナも、勢いよく椅子を引いて立ち上がった。


「ジュダムーア様、どこへ⁉」

「帰る」

「も、もう……ですか?」


 扉に手をかけたジュダムーアが振り返り、メラメラと燃えるような赤い目でダマーヤナを一瞥した。


「枯れ木のシエラをボクのものにしてやる」


 なにごとにも無関心のジュダムーアの目が、生気を取り戻したようにきらめいた。

 そして、ホッと胸をなでおろすダマーヤナを置き去りに、使命感にかられたジュダムーアは風のように王の間を後にした。

 外に控えていたガイオンと副騎士団長が、突然出てきたジュダムーアに驚いてその場で居直る。


「帰国する!」


 一言だけ告げたジュダムーアに、ガイオンと副騎士団長が顔を見合わせる。


 たった今到着したばかりなのに何が起きたんだろう。

 不思議に思ったガイオンだったが、理由を聞くことも許されず、ただ黙ってその背中についていくしかなかった。


 一足先に出発した王を追い、ガイオンも愛馬を走らせる。


 ジュダムーアが、枯れ木のシエラを迎えにいくとも知らずに。

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