第48話 俺が勝つから

「待て、ガイオンッ!」


 声の方を振り向くと、こっちに向かって走ってくるユーリの姿が見えた。……と思ったら、なぜか一瞬で姿を消した。もしかして、私の願望が見せた幻だったのだろうか。


 しかし、深く考えている時間は無かった。

 次に気が付いた時には、私はすでにユーリの腕の中にいたのだ。


「ユーリ⁉」

「このまま逃げるぞ!」


 ユーリは私を抱えたまま、近くの通用口を目指して風のように突っ走った。

 今までとは比べ物にならないほど足が速い。

 私は驚きと興奮で胸を躍らせ、ユーリの胸に身を預けた。


 一方ガイオンは、脇に抱えていたはずの私がいなくなり、一度目を見張ったあと大声で笑いだす。


「がははは! こいつは面白い。俺と勝負しようって言うんだな。上等だ……」


 闘争心をむき出しにしたガイオンが猛スピードで追いかけてきた。その姿は、獲物を追いかける大獅子にそっくりだ。ホテルの従業員たちは突進してくるガイオンに恐れおののき、急いで壁に張り付いて道をあけた。

 従業員の悲鳴に後ろを振り返った私が、野獣の突進を目にして戦慄する。


「いぃぃぃ⁉ ユーリ、もう追いついてきた!」

「くそ、バケモンかよ!」


 私たちは、かろうじてガイオンに捕まることなく通用口からホテルの裏側に出ることができた。

 そこは、表通りとはうって変わってネオンの光が一つもない。あるのはホテルの窓からもれる明かりと、おぼろげな月の光だけだ。


 私たちが出てすぐに、ガイオンが通用口の光を背負う。


「お前、ガキのくせになかなかいい筋してるじゃねぇか」


 逃げられないと悟った私とユーリがガイオンと対峙する。

 張り詰める緊張感。

 やや遠くから聞こえてくるにぎやかな声が、妙にはっきり聞こえて来る。


「いいだろう。その女をかけて俺と勝負だ!」


 腕を組むガイオンが偉そうに言った。


「なんで私をかけなきゃいけないの……」

「見た瞬間、野生のカンがピンと来たんだ。『お前は俺のもの』になるってな。それに、気の強い女は嫌いじゃない。だから、俺が勝負に勝ったらお前は俺のものだ。いいな」

「全然良くないし!」


 どこを気に入ったのか知らないけど、私の素性を知ったら何をされることか分かったもんじゃない。

 これ以上、ガイオンの気まぐれに付き合わされるのはまっぴらごめんだ。なんとかここを切り抜けないと。でも、どうしたら良いだろう。


 私が困って唇を噛みしめた時、ユーリがズイッと前に出た。


「わかった。俺が勝てば良いんだな」

「ユ、ユーリ⁉」


 相手は騎士団長。この国の軍隊の中で一番強いということだ。

 そんなやつを相手にするなんて、いくらなんでも無茶だ。


「ダメだよ、ユーリ! 何かあったらどうするの?」


 私がユーリの袖をつかんで説得しようとすると、ガイオンの怒号が飛んできた。


「ごちゃごちゃうるせぇ! 女が男の勝負に口出しするんじゃねぇ!」

「ひぃぅっ!」


 ……こ、怖い。


 明らかに機嫌が悪いガイオンの有無を言わせない怒鳴り声に、私はうっすら涙を浮かべた。

 そんな私をちらりと見たユーリが、私の肩に手を添え、顔を覗き込んでにこっと笑う。


「心配してくれるのは嬉しいけど、何もしないでシエラを取られるくらいなら、俺は死んだ方がマシなんだ。もう二度と、大切な仲間を失う気持ちは味わいたくない。大丈夫、俺が勝つから」


 そう言って、ユーリはまっすぐガイオンを睨んだ。


「良い目をしているな、小僧。俺の故郷なら、部下にしてやってもいいくらいだ」


 ユーリを睨み返すガイオンの口角が上がり、獅子のたてがみのような髪が風でなびいた。


「さあ、来い!」

「やあぁぁぁぁ!」


 ガイオンの掛け声に合わせるように、ユーリが一直線に走り出した。そしてヒュンッと鋭い音を響かせ、相手の顔めがけて蹴りを繰り出す。

 ガイオンは顔の前で腕を交差させて攻撃を受け止めた。その衝撃でガイオンの体がやや後ろに下がる。しかし、その顔に浮かんでいるのは余裕の笑みだ。


「がははは。いい蹴りだ。次は俺から行くぞ」


 そう言うやいなや、ガイオンがユーリと同じ攻撃を仕掛けた。

 ゴォォという低い音と共に、ユーリの三倍太い足が空を切る。両腕を盾に攻撃を受け止めたユーリは、足を地面にめり込ませながら大きく後ろへと押されてしまう。


「ぐっ……!」

「ほぉ、倒れないか。一撃で倒れなかったのはお前で三人目だ。次は手加減しないぞ」


 再び激しい交戦が始まった。

 戦いを楽しんでいるかのようなガイオンの強烈な打撃が、次々にユーリの頭や胴を狙っていく。ユーリは全ての攻撃をかわしているが、防戦一方で攻撃の余地はない。これが騎士団長の力なのか。

 だんだんと表情を曇らせるユーリの額に汗が流れる。そしてガイオンの拳がユーリの頬を捉え、バキッと鈍い音が暗闇に轟いた。


「ぐぅぅぅ!」


 歯を食いしばるユーリの髪の毛から、汗の飛沫しぶきが飛び散る。殴られて体勢を崩したユーリだが、その目はまだガイオンを捉えたままだ。そして、飛ばされた勢いを利用して、体をひねりガイオンの頭に蹴りを入れた。

 ユーリの蹴りは頬をかすめ、ガイオンの眼下に一筋の血が滲む。

 ガイオンは自分の頬の傷をなぞり、血の付いた指を見て笑みを深めた。


「やるじゃねえか」


 息を切らせるユーリが、ガイオンに負けじと睨み返す。しかし、対するガイオンは呼吸一つ乱れていない。戦いが長引けば、ユーリが不利になることが目に見えていた。


 どうしよう……!


 次の攻撃を仕掛けようと、ガイオンの瞳が再び鋭く光った時だ。


 何かが飛び上がり、影が宙を舞った。

 その影が、ガイオンの背後に飛びつく。

 飛びついた何かが、月の明かりに照らされて見えた。


「トワ!」


 ピンチに駆けつけたトワが、ドレスの裾をひるがえしながらガイオンの背中にしがみついた。そして、太い首に手を回して締め付ける。


「私のシエラちゃんとユーリ君に何すんのよ!」


 怒りの形相を浮かべるトワが、さらに力いっぱい首を締め上げる。

 大豪傑ガイオンの表情が苦痛にゆがんだ。

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