第4話 不穏の始まり

「わ、わ、わ、わ!」

「あ、ぁ、危ない!」


 池に落ちそうになり、ぐいっと手を引っ張られた。

 そのままダンスのようにくるりと一回転すると、そこにいたユーリの胸に倒れ込んだ。口から飛び出しそうなくらい心臓がドキドキしている。


「ごめんごめん! ちょっと驚かせようとしただけなんだ」

「すっごいびっくりした! 本当にお化けが出たのかと思ったじゃん! 本当にユーリってば……もう」


 死ぬかと思うほどびっくりして怒っていると、ユーリがペロッと舌を出してごめんねのポーズをとった。いつもは頼りになる兄だが、たまにこのようないたずらをする。

 わたしはそのまま頬を膨らませて、ブツブツ文句を言いながら灯花を数本摘んだ。

 そんなわたしをポリポリ頭をかいて見ていたユーリが、ハッと何かに気が付いたように言う。


「あれ? なんかいつもより花が光ってないか?」

「はいはい、そう言ってわたしを騙そうとしてるんでしょ。もうその手には乗りません……って、あれ⁉」


 ユーリの言葉で摘んだ灯花を見ると、わたしの手の中の灯花が池に生えている花よりも数段階明るく見えた。


「あれ、本当だ。どうしたんだろ?」

「分からないけど……これだけ明るかったらしばらくは持ちそうだな!」

「そうだね! ……でも、たまにはこの光景を見に来たいなぁ」


 わたしはうっとりと池を振り返り、手を広げて神秘的な空気を味わうように深呼吸した。


「おいおい、頼むからもう一人で飛び出さないでくれよ」

「ふふふ! だって、ユーリってば足遅いんだもん!」

「なぁにぃ? 俺は普通だ、お前が速すぎるだけだろっ。それに、本当にお化けが出ても知らないからなっ」


 ユーリにコツンと頭を小突かれて、痛くないのに「痛い」と言いながら小突き返してやった。そのまま冗談を言いながら、キャッキャと髪の毛を揺らして慣れた山道を下る。

 そして孤児院が見えて来た時、二人は異変を感じ始めた。同時に顔が曇る。


 なんだろう、辺りがザワザワしてる……?


「なあ、何か様子が変じゃないか?」

「ユーリもそう思う?」


 二人は顔を見合わせた。


 夜は月明かりしかないので、ほとんどの人は日が暮れる前に家に戻る。今はもう日が沈もうとしているので、普段は喧騒けんそうが聞こえることなどはない。

 しかし、今日は明らかにザワついている。

 孤児院が見える所まで歩みを進めると、何かが倒れる音や怒鳴り声が聞き取れた。


 やっぱりなんか変……。


 日中に見た村の男の顔と、襟を掴まれた嫌な感触がよみがえり、わたしは体をブルッと震わせた。そして、ユーリの袖をそっとつまむ。


「ねぇ、ユーリ。いつもなら、もっと静かだよね」

「うん。おかしいな……」


 ユーリが辺りをにらみながら耳を澄まし、喧騒の出どころを突き止める。


「孤児院の方から聞こえてくる。早く戻ろう!」


 二人で山道を駆け降り、孤児院まであと数十メートルのところまで来た時。

 勢いよく草をかき分けて進む音がし、二人同時に足を止めた。


 「動物かな……?」 

 「動物にしては遅い。人間じゃないか……?」


 そうだとしたら、わざわざ歩きにくい場所を走るなんて、普通じゃない。

 危機を感じた時、わたしの持ってる花が二人の居場所を照らしていることに気が付いた。

 しかし、得体の知れない何かが近づいてくる恐怖に、わたしは身動き一つできない。そんなことはお構いなく、草をかき分ける音がさらに近づいてくる。


 ————やばい、何かがこっちに走ってくる……! どうしよう!


 心臓が高鳴り、背中に冷や汗が流れ、恐怖で足が貼り付く。

 ユーリがとっさに灯花を横に投げ捨て、そのままわたしを背中に隠すように前に出た。


 ユーリが身構えると、ガサガサッと草をかき分けて何かが飛び出してきた。


 出てきたのは、息も絶え絶えになったお母さんだった。


「お母……さん?」


 わたしたちを見つけると、母はその場に崩れ落ちた。髪と服が乱れ、明らかに様子がおかしい。わたしはすぐに駆け寄ってそっと母の肩を抱いた。


「お母さん、どうしたの⁉︎」

「ユーリ……急いでここに行きなさい。シエラと一緒に!」


 血相を変えたお母さんは質問に答えず、息も絶え絶えに小さな紙をユーリに渡した。手元を一瞬見るユーリが、すぐに視線を母に戻す。


「どうしたんだよ、母さん! 一体何があったんだよ!」


 肩で息をするお母さんは、言いづらそうに言葉を絞り出した。


「孤児院が……盗賊に襲われた…………!」


 わたしは言葉の意味が理解できなかった。


「やだ、お母さんったら。なに言ってるの? ちゃんと灯花採ってきたよ。帰ってご飯食べようよ」


 さっきお母さんに髪の毛を縛りなおしてもらった時、孤児院はいつもと変わらない様子で、かわいいおねしょの布団も干してあった。盗賊に襲われたなんて信じられない。

 しかし、目の前の母の姿に、じわじわと言葉の意味が頭にしみ込んでくる。


 ……本当に、襲われた? 盗賊に?


 わたしは誰にも聞こえないくらい小さい声でつぶやいた。


「ねえ、ユーリ。大丈夫だよね?」


 ユーリは必死の形相で母に話しかけている。

 でも、何を言っているのかわたしには聞こえてこない。

 夢でも見ているかのように、目の前の二人は現実味がなかった。


 裕福でもないのに、なぜ襲われる理由があるの?

 他の子どもたちはどこにいるの?


 ……わたしの孤児院いばしょは、どうなるの?

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