第5話 鉄砲玉
わたしは頭が真っ白になっていた。
「盗賊に
ユーリが必死の形相で母に問う。
「みんな連れて行かれてしまった。男達が大勢で押しかけてきて、守ろうとしたけど、子どもたちはみんな連れていかれてしまった。あなたたちに伝えようと隙を見て逃げてきたの。……せめて、まだ見つかっていないあなたたちだけでも遠くに逃げてちょうだい!」
そう言って、母は先ほど紙を渡したユーリの手を強く握った。
そのやり取りをぼんやりと眺めながら、わたしは無意識に拳を握りしめていた。
優しく頭を撫でてくれる母の姿、他の孤児と囲む食卓、石を投げて遊んだ日々が脳裏に浮かんだ。そして、音を立てて崩れていく。
わたしの孤児院を、お母さんをこんな目に合わせるなんて……
盗賊の仕打ちに怒りを感じてもいいはずだが、痛み止めでも打ったように何も感じない。
段々と全身の血が凍るような感覚に襲われ、思考が停止する代わりに目の前がはっきり見えてくる。
わたしははじかれるように立ち上がって孤児院の方を向いた。
「おい! 何をするつもりだ!」
ユーリに腕を掴まれた。わたしが
「わたしがやっつけて来る」
「無理に決まってるだろう! 相手は盗賊だぞ、どうやってやっつけるって言うんだ」
「どうやってって……!」
わたしはユーリの質問に答えられずうつむいた。
大人の男、しかも
でも、孤児院はわたしが無条件に安心できる唯一の場所。そこが襲われるのは命が脅かされるのと同じだ。
わたしの歯が悔しさでギリギリと音を立てる。
「俺を見ろ」
下を向くわたしの肩を揺さぶって、ユーリが真っ直ぐに目を
「落ち着け。いいか。絶対みんなを助けてやろう。母さんが持ってきてくれた地図、ここに行けばきっと俺たちの助けになるはずだ。そうだろ、母さん?」
その時だった。
「おい、こっちで声がするぞ」
「へへへ、俺たちから逃げようったってそうはいかないからな!」
遠くで男の声がして、盗賊らしき人影がちらついた。
わたしやユーリ、お母さんよりもずっと大きい体の男が二人、笑いながら山道を登ってくる。その手には大きな鎌が握られ、わざと乱暴に草をなぎ倒しながら歩いている。弾き飛ばされた草が白くなり、雪のように舞った。
「早く、早くお行き!」
不審者の影に焦る母は、行く先を示す様に手を伸ばした。
「行くぞ、シエラ!」
「シエラを頼んだよ、ユーリ!」
ユーリがいつまでも動こうとしないわたしの手を取った。
そして力強く引っ張り、走り出すしかなくなった。
「お母さん!」
「振り返るな、シエラ!」
怒りが滲むユーリの声、痛いほどに握られた手。
走るわたしの頭の中は、渦巻く感情で混乱していた。自分の大好きな母が、孤児院のみんなが危ない目にあっている。死んでしまうかもしれない。
目は開いているのに、景色は何も見えてこなかった。
ショーハの池を通り過ぎても、そのまま全力で走り続けた。
いくら走っても、感情がたかぶっていて疲労は感じない。疲労を感じる前に体力の限界がきて足が言うことを聞かなくなった。転びそうになったところでやっと二人が足を止める。
「ぅわ!」
「はぁ、はぁ……ちょっとだけ……休もうか」
ふらふらの足を引きずって、二人は
わたしとユーリの間をひんやりした風が吹き抜け、はじめて夜の訪れを知った。いつの間にか、すっかり日が落ちて暗くなっている。
「へ……へへ! シエラは……足が……早いな。早すぎて……途中で俺、転ぶかと思った!」
息を弾ませながら、ユーリがニッと笑った。月明かりで額の汗が光っている。わたしは笑える気分ではなかったが、ユーリにつられて無条件に笑った。
ユーリがすぐ側に
一息つくと、思考が動き始めた。
どうしよう、お母さんを置いてきちゃった。
きっと盗賊に捕まってしまった。
わたしの命よりも大切なお母さんが!
罪悪感と共に、笑ってるみんなの顔、最後に見た母の姿が何度も交互に蘇る。後悔で胸が押しつぶされそうになったとき、ユーリの声で現実に引き戻された。
「見てみろよ。この地図によると、この先の白い鳥を右に曲がるんだって」
ユーリが母からもらった紙を広げて見ている。こんな状況でも、今をどう切り抜けるかを考えているのだろう。
……やっぱりユーリはすごいや。
兄の姿に気持ちを持ち直したわたしは、食べ終えたコチニールの実をポイっと捨てて紙を覗き込んだ。
「白い鳥を……右?」
「うん」
「なにそれ、暗号かな?」
月明かりでなんとか見えた紙には簡単な地図が書かれており、確かに「白い鳥を右、サミュエル」と書いている。
頭にはてなマークを浮かべ、ユーリを見た。
「ここに行ったらどうなるのかな」
不安そうに聞くと、一瞬の沈黙の後、ユーリが顎に手を当てて考えだした。
「そりゃ、助けてくれるさ。……サミュエルって人? が住んでるんだろ、きっと。もしかして、五メートルくらいの大男だったりしてな! 恐竜も倒せるかもしれないぞ!」
ユーリは、力こぶを作るふりをした。
「恐竜……?」
「だとしたら、盗賊なんてすぐやっつけられるぞ! いや待てよ、こんな山奥にいるってことは、武術を
ユーリがわざと明るく振舞ってくれた。
きっと、わたしと同じく不安もあるはずなのに。
ユーリはいつだって人一倍頑張る。だから、孤児院のみんなはユーリを頼りにしてきた。
わたしも落ち込んでるだけじゃだめなんだ。いつかはユーリみたいに強くなりたいんだから、くよくよしてばかりじゃいけない!
わたしはそっと目じりを拭った。
そして、ユーリに負けじと思いついたことを口にする。
「もしかして、怖〜いお化けだったりして!」
「それって……こ〜んな感じかぁ〜?」
月明かりに照らされたユーリがお化けの真似をした。
「こ、こわいから! その不気味な顔やめてよ!」
お化けはダメ。違う話題、違う話題……
「あとはそうだなー。隠れ家とか?」
「あー、そこで俺たちに隠れてろって感じ? んー……ないな。だって俺とシエラだぜ? 俺だけならともかく、鉄砲玉のシエラが大人しく隠れるわけないじゃん。母さんがそんな
「鉄砲玉⁉︎ 何それ! わたしそんな呼ばれ方してるの⁉︎」
バサバサッと、何羽か鳥が飛んで行った。
ドキッとして飛び上がると、ユーリがわたしの口を押えた。
「シー! 声が大きいって!」
「ごごごご、ごめん」
つい興奮した無鉄砲玉のわたしは肩を
ユーリは「よいしょ!」と立ち上がってお尻を払った。そして、耳を澄まして人の気配が無いことを確認する。
「隠れ家なら鉄砲玉を捕まえておく味方くらいはいてほしいよ。俺だけじゃシエラは手に負えないもんな」
ユーリは笑顔で手を差し出し、わたしとわたしの気持ちをグイッと引っ張って立たせた。
「もう、人を子ども扱いして」
「はははっ、本当じゃないか?」
なんだかんだ言って、今回もユーリのおかげで元気が出てきた。
今はお母さんの地図を頼りに、精いっぱいできることをしよう。
そう決めたわたしは、ユーリとはぐれない様に手を繋いだまま、目的地を目指して暗闇を走り始めた。
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