第3話 孤児院

「お母さん、ただいまー!」


 孤児院に帰ると、二階の窓におねしょの布団が干してあった。ローリエの布団だ。

 わたしは朝からいじけていた三歳のローリエを思い出し、クスっと笑いながら孤児院へ入って行った。慣れた我が家に肩の力が自然と抜ける。


 孤児院は古くて狭い。それに、隙間風がピューピュー入ってくるし、雨の日は雨漏りもする。でも、大好きなお母さんとユーリ、そしてかわいい四人の子どもたちがいるので、雨漏りさえもチャームポイントに思えた。それに、狭いのも案外気に入っている。いつも肩を寄せ合っているから、雷が鳴っても全然怖くない。ちょっとしか。


 わたしは食卓で針仕事をしているお母さんを見つけると、すぐさまその胸へ飛び込んだ。それに応えて、お母さんがいつもの様に笑いながらわたしの頭を撫でてくれる。


「こら、シエラったら危ないわよ。……あら? 髪の毛どうしたの?」


 わたしの頭をみて、お母さんが不思議そうに聞く。


「な、なんでもないよ。ちょっと小枝に引っ掛けちゃって!」

「シエラ、村のおやじに嫌がらせされたんだ。まったく、油断も隙もあったもんじゃない」


 わたしが言い訳をしていると、ユーリがそれだけを言い残し、収穫物を持ってさっさと調理場へ消えて行った。


 ユーリってば!

 そんなこと言ったらお母さんが心配しちゃうじゃない。


 案の定、それを聞いたお母さんが顔を曇らせた。


「ぜ、全然大丈夫だよ! ユーリがすぐに来てくれたから、特になにもなかったよ、本当!」


 心配をかけたくないわたしは、顔の前で手をブンブン振ってフォローした。そして、ちらりと手を見てから思い出す。


 ……やばい、そう言えば手を擦りむいていたんだった!


 慌てて背中に手を隠したが、少し遅かったようだ。

 

 苦笑しながらお母さんが立ち上がり、何も言わずにわたしを椅子に座らせると、当たり前のように髪の毛をとき始めた。優しい手櫛てぐしが髪をすき、いつものように縛り直してくれる。


「シエラは強い子ね。いい? シエラ。シエラの髪の色も目の色も、とっても綺麗よ。シエラは神様が私に送ってくださった宝物だもの。だから、何も恥じることはないのよ。それに、色が本来の人の価値を表したことは今まで一度もないわ」


 それは、わたしが何回も聞いた言葉だった。そして、いつもわたしの心を暖かく満たす、魔法の言葉だ。今日一番の笑顔をお母さんに見せる。


「今までって、今から何百年も何千年も前?」

「そうよ。だからシエラも、外見だけではなく本当の価値が見える人になってね」

「はい、お母さん……」


 実の娘と同じくらい大切にしてくれる母の手の温もりを確かめるように、わたしは自分の頭に手を当ててはにかんだ。


 わたしは、村のはずれにある生命の樹と呼ばれる木から生まれた。

 十三年前、木の根本で泣いている赤ん坊のわたしを見つけて、今は亡きユーリの父が保護してくれたらしい。

 親である生命の樹は、大きくて白い木だ。そのせいで、わたしの髪の毛と目の色が青みがかった白になってしまった。

 色素が濃い村人の中ではどうしても目立ってしまう。小さいころはそれが心底嫌だった。


 小さい頃は、「人間の両親から生まれればどれだけ良かったか」と、いつも自分の運命を呪っていた。

 もし母とユーリがいなかったら、まだ自分の運命を呪っていたかもしれない。


 しかし今は、わたしに愛情を注いでくれるお母さんやユーリ、そして他の孤児に囲まれた今の暮らしに満足している。

 だから、どんな嫌がらせをされても、孤児院がある限りわたしは大丈夫。

 自分の子どものように大事にしてくれる人に拾ってもらえて、本当に運が良かった。いつか、この恩を返したい。

 そのチャンスがあればいいんだけど……。


「あら?」


 お母さんが点滅し始めた明かりに気がついた。


「お花の明かりが弱くなってるわね……」


 この国、エルディグタールでは、『灯花とうか』と呼ばれる夜だけ光る花を照明に使っている。その灯花が枯れかかって白くなりはじめていた。

 お母さんは、わたしが枯れ木と言われていることを知っているので、いつもあえて枯れるという表現を避けてくれていた。


「大変! 私、採ってくるよ!」

「もう日が暮れてきてるし、明日にしましょう?」

「大丈夫だよ! 私、足早いから!」


 お母さんの役に立ちたい。そんな思いが私を動かした。思ったら即行動のわたしは、次の瞬間脱兎だっとごとく孤児院を飛び出した。


「あ、シエラったら……!」

「どうしたの?」


 調理場からユーリが戻ってきた。

 そして簡単に顛末てんまつを聞き、呆れてため息を吐く。


「もー! しょうがないなぁ。あいつ、いっつもすぐ飛び出して行くんだから。心配だから一応俺も追っかけてくるよ」


 ユーリも孤児院を飛び出した。





 孤児院の裏山を15分ほど登ったところに、ショーハの池と呼ばれる小さい池がある。夜になるとお化けが出るとかで、暗くなるとあまり人は近寄らないが、わたしには逆にそれがちょうど良い。


「本当にお化けがいるわけないのにねっ。……多分」


 薄暗くなり始めた頃にたどり着いたショーハの池のほとりには、綿毛の様な灯花が柔らかい光を放ちながら咲いていた。池の周りだけが光でキラキラ浮かび上がって見える。


「あ、あったあった! うわぁ、きれいだな!」


 念のため、きょろきょろ周りを見渡したが、お化けらしいものは見当たらない。

 安全を確認してから池のほとりにしゃがみ、まじまじと灯花を見つめた。

 近くに咲いているバブルサンフラワーをつつくと、シャボン玉のような花粉がフワフワと飛んでいく。そして、まだ星が埋め尽くす前の薄暗い空に、灯花の光を反射してキラキラ輝きながら昇って行った。


「うわぁ! すっごい! 夜のショーハの池はきれいだなぁ」


 その幻想的な光景をうっとりしながら見上げていると、突然大きな声で誰かに肩を叩かれた。


「わっ!」

「きゃぁあっ!」


 出たっ! お化け⁉


 いきなりの大声に息が止まるほど驚き、体がビクッと跳ねた。それに加え、肩を叩かれた勢いで前につんのめり、湿った地面に足を滑らせてしまった。


「わ、わ、わ、わ!」


 やややや、やばいっ!

 池に落ちる!

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