第2話 生命の樹

「やい! 枯れ木のシエラ!」

「あっちいけー! 枯れ木のシエラ!」


 背後から『枯れ木』という言葉が聞こえてきた。

 振り返ると、少し離れたところに三人組の子どもがおり、ニヤニヤ笑ってこっちを見ている。


 『枯れ木』とは、わたしに対してよく使われる悪口だ。

 わたしは他の人と違って、髪の毛が淡い空のような色をしている。太陽の下では光に透けてさらに白くなり、まるで植物が枯れた後のような色に見えてしまう。

 他の村人は全員、黒や茶色など色の濃い髪の毛だ。だから村の人たちは、わたしのことを「枯れ木のシエラ」と呼んで差別した。


 わたしは唇をかみ、悔しさをこらえて山に入って行こうと前を向いた。そこへ行く手を阻むように、コロコロと足元へ転がってくる小石。


 いつもなら無視をするのだが、この時はちょうど運が悪かった。


 持っている籠の中に、収穫したばかりの真っ赤なコチニールの実があったのだ。食べると甘酸っぱくて美味しいが、鮮やかな赤い汁が服につくとなかなか落ちない。


 さらに運が悪いことに、わたしは昔からコントロールが良かった。


 孤児院の男の子たちにまじって投擲とうてきという遊びをしていたら、いつの間にか誰よりも上手に的に当てれるようになったのだ。


「もおぉぉ! 怒ったんだからっ!」


 プチンと切れたわたしは、馬鹿にしてきた村の子どもたちに、「えいっ」とコチニールの実を投げつけてやった。投げた実がまんまと子どもの頭にヒットし、パンッと弾けて顔面が真っ赤に染まる。


 一気にひるんだ子どもたちが、「お父さんに言いつけてやる」と言いながら一目散で逃げていった。


「二度と来るなぁぁっ!」





 この男はあの子どもたちの父親か。

 状況を飲み込んだわたしは、髪の毛を掴んでいる男をギロッと睨み返した。


「わたしのことを枯れ木って言ったあいつらが悪いんだ」

「それのどこが悪い! 枯れ木のように青白くて気味が悪いのは事実だろうが。ユリミエラも良くこんなガキなんか拾ってきたもんだな!」


 男がさらに力いっぱい髪の毛を引っ張った。


「うわぁあっ! や、やめてぇっ!」


 無我夢中で男の手を掴み、こじ開けようと力を込めた。

 わたしの手が暖かくなるのを感じると、髪の毛を引っ張っている力が少しだけ緩む。


「ん? な、なんだこれは⁉︎」


 男が驚いた顔をして一瞬ひるんだ。しかし、すぐに面白くないとでも言うように乱暴にわたしを投げ捨てる。


「この野郎! 小娘が調子に乗りやがって!」

「キャッ!」


 とっさに手を前に出したわたしは、勢いよく転がって草の上にひっくり返った。擦りむいた手が痛む。

 熊のような男は自分の手をさすり、地面に這いつくばるわたしの襟首を掴んで怒鳴り散らした。


「次にまた生意気なことをしてみろ。こんなもんじゃ済まないぞ。分かったかぁ!」


 男に揺さぶられ、ガクンガクンと頭が揺れた。


 悔しい。いつもこうだ。

 平穏に生きることも許されない。


 ……みんなに疎まれてるのに、なんでわたしは生まれてきてしまったんだろう。


 圧倒的な暴力と無力な自分に絶望した時だった。


「やっぱりここに来てたのか。悲鳴が聞こえたけど、虫でも出たのか……って、おい! お前、なにやってるんだよ!」


 ユーリが来てくれた。


 一つ年上のユーリは、歳が近いこともあり孤児院の中で一番仲が良い。

 とは言っても、わたしの母である孤児院長ユリミエラの実の子で、孤児ではない。それでも、母の愛情を受け継いでいるユーリは、わたしを実の妹としてよく面倒を見てくれていた。


 ただ事ではない状況を見て焦ったユーリは、手に持っている木の実のカゴを思わずひっくり返して駆け寄ってきた。


「シエラから離れろよ!」


 ユーリはわたしの襟を握っている男の手を払い落として、ドンと力いっぱい胸を押した。男が後ろによろめく。

 わたしと男の間に、剣幕を浮かべるユーリが壁のように両手を広げて立ちふさがった。


「ユーリ……!」


 生きた心地を取り戻し、わたしは震える息を吸い込んだ。

 ユーリに押された男がわめき散らす。


「ふん! 枯れ木を駆除したところで誰も困りはしない。むしろ、村がきれいになったってみんな喜ぶだろう。はっはっは!」

「でたらめを言うな! シエラは俺の妹だぞ! それ以上失礼なことを言うと、俺が許さないからな!」

「妹だ? そいつは生命の樹から生まれた妖怪だって噂だろ。血がつながっていないのに、何が妹だ。ケッ」


 男が鼻の下に馬のフンでもぶら下げているような酷い顔でそう吐き捨てると、ギロリとわたしを睨んでから去って行った。途中、ユーリがぶちまけた木の実で転びそうになったのはいい気味だ。男はさらに悪態をつきながらいなくなった。


 男の背中が見えなくなってから、やっとユーリが振り向き、心配そうな顔でしゃがんだ。そして、わたしの震えている手を取って広げる。


 大きな怪我はしてなかったが、擦りむいた手のひらからちょっとだけ血が出ていた。ユーリが擦り傷を見てフッと息をかけ、手にくっついている小さな砂利を飛ばしてくれる。

 このとき、わたしの心の中の重りが砂利と一緒に飛んで行くのを感じ、こぼれそうな涙をグッとこらえることができた。


「大丈夫か? シエラ。もっと早く来ればよかったな、ごめん」

「ううん、すぐ来てくれたから大丈夫。……それより、あんなおっきい男に立ち向かっていくなんて、まるでピンチを助けに来てくれたヒーローみたいだったよ! やっぱりユーリはかっこいいなぁ!」


 わたしは手が震えていることがユーリにバレないよう、こぶしに力を込めてから明るい声でお礼を言った。それを聞いたユーリが、耳をほんのり赤くしてポリポリ頭をかいている。


「ヒ、ヒーロー? ははは、そうか? シエラが大丈夫なら良いんだけど」


 ユーリはいつも困った時に助けてくれるし、村人の意地悪にも負けない。わたしの自慢のお兄ちゃんだ。


 いつかわたしもユーリみたいに強くなって、ヒーローみたいに孤児院のみんなを守ってあげたい。

 それが、ささやかで唯一のわたしの夢だ。


 でも、夢をかなえるには大きな障害がある。

 色だ。

 こんな目立つ見た目で村をうろちょろすれば、今日みたいに悪意に晒される。

 どうしたらわたしは普通になれるんだろう。

 いっそのこと、生まれ変わってしまえばいいのに。


「はぁ、なんでわたしだけ色が白いのかな」


 わたしはハッとして口を塞いだ。

 みんなに気を使わせないよう我慢していたのに、気が付いたら心の声が漏れていた。

 でも、出てしまったものは戻せない。口を滑らせたことを後悔していると、やはり今回もすかさずユーリがフォローしてくれた。


「そんなこと気にする必要なんかないよ。母さんも、『シエラは生命の樹から生まれた神様の子どもだ。髪の色が薄いのは、その証だ』って言ってたじゃないか。それに、満月の日だけ葉っぱを茂らせる不思議な木から生まれたなんて、すごいじゃないか! 俺は神秘的で好きだよ」

「ありがとう……。ユーリがそう言ってくれるから救われるよ」


 わたしはにっこり笑ってユーリの優しさに答えた。

 そしてエイッと立ち上がると、乱れてしまった二つ結びの髪の毛を適当に縛りなおし、スカートや袖の汚れを払った。見落としていた右肩の汚れは、ユーリが払ってくれてきれいになった。

 よし、これで大丈……ん?


 服を整えた時にお聞こえてきたサカサと葉が擦れる音。

 わたしの心臓がドキリとはねる。


 ……げ、また村の人⁉


 嫌な予感がして音の方向を振り向く。

 草むらの中にいたのは、ツンツン頭の子ども。

 こっちの方をじっと見ているように感じたが、わたしが見ていることに気が付くと一目散に走り去った。


「ん? どうした、シエラ?」

「あそこに男の子が」


 ユーリがわたしの指さす先を見た時には、すでに子どもの姿はなかった。


「どこだ? 誰もいないぞ?」

「……気のせいだったみたい」


 わたしはこれ以上の嫌がらせを受けなくて済んだことにホッと息を吐き、深く考えずその場を終わらせた。

 

「日が暮れる前に、マルベリーマッシュルームを取って帰ろうぜ」

「そうだね。あとはユーリが散らかした木の実も集めないとね」

「げ! そういえば、全部散らばっちゃったんだったぁぁぁ! いっぱいあったのにぃぃぃ!」

「あははは! 二人で拾えば魔法みたいにあっという間だよ」


 ぺちゃくちゃおしゃべりをしながら木の実を拾い集めてるうちに、ツンツン頭の子どものことはすっかり記憶から消えて行った。





 一方、ツンツン頭の子どもはというと、村のはずれにある小さな酒場に向かって走っていた。そして、到着するやいなや勢いよくそのドアを開ける。


 人の目を避けるかのように小さな窓が一つだけしかないこの店は、看板もなく、知らなければ誰も酒場だと気が付かないだろう。その薄暗い店内で、まだ日が暮れていないと言うのに六人の男たちが酒を酌み交わしていた。他に客はいない。


 子どもが息を切らせて中に入って行くと、男たちが一斉に子どもに目線を移した。その中でも、ひときわ体の大きいイノシシのような男が、無駄に大きな声で言う。


「おーい、3分遅刻だぞ。てめぇぶっ殺されてぇのか。せめていい知らせを持ってきたんだろうな」


 男はグイッと酒を飲みほし、グラスをテーブルにたたきつけると、身をかがめて酒臭い息を子どもにかけた。


「遅れてすいません……噂の通りでした。孤児院に、色の薄い女の子がいます」

「はっはっは! やはりいたか! よし、聞き分けのいい犬には褒美をくれてやる」


 知らせを聞いて機嫌を良くした男は、食べかけの肉の塊を放り投げた。子どもは床に転がった肉を手に取り、勢いよくかぶりつく。それを見た男が満足気に鼻をならし、店内に向けて号令をかけた。


「おい、てめえら。仕事だ! しくじるんじゃねえぞ!」


 不敵な笑みを浮かべる六人の男たちが次々に立ち上がった。

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