第1話 枯れ木のシエラ
「へへへ、俺たちから逃げようったってそうはいかないからな!」
孤児院の裏山にいるわたしと兄は、見覚えのない大きな男が二人、大きな鎌を持って山道を登ってくるのを見た。聞こえてくる下品な笑い声が嫌悪感をさそう。
地べたに座り込んでいる母が、声の方を振り返った。
そしてもう一度わたしたちを見つめ、残照に染められた顔を青ざめながら言った。
「ユーリ……急いで行きなさい。シエラと一緒に!」
「行くぞ、シエラ!」
母の叫びにすぐさま応えた兄のユーリが、グイッとわたしの腕を引っぱった。地面に張り付いたわたしの足が剥がれ、足が一歩前に出た後は、兄の勢いに任せて走り出すしかなかった。
「お母さん!」
「振り返るな、シエラ!」
……これがわたしと母の別れだ。
それからどうしたのか、少しの間ぽっかり記憶が無い。
ただ覚えているのは、痛いほどにしっかり繋がれた手の感触。
自分がどこにいるのかも、どこに向かっているのかもわからないまま、それだけを頼りに走り続けた。
もしわたしに力があれば、こんなことにはならなかったのに。
神様
どうか無力な私に
みんなを守れる力をください!
––––––––時は半日さかのぼる。
わたしは、背の低い木の後ろに隠れていた。
目だけを木の上にピョコンと出して、慎重に様子を伺う。
「よし、誰もいなくなった」
薬草を抱えて山を下りていくおじさんの背中を見送り、
もうすぐ紅葉が始まる清涼な森の香りを味わいながら、期待で胸を弾ませて木々の間を抜けていく。
ゴロゴロ転がっている苔むした倒木をひとっ飛びに乗り越えると、お母さんが結ってくれたツインテールと膝丈のスカートがひらりと舞った。
「待っててね、わたしのマルベリーマッシュルーム!」
一つ年上で十四歳の兄、ユーリの見立てが間違いでなければ、マルベリーマッシュルームというキノコがそろそろ食べごろを迎える。
黒く熟したものを焼くと、まるでチョコレートケーキのようなデザートになるので、孤児院の子どもたちはみんなこれが大好きだ。
わたしが住む孤児院は、育ち盛りの子どもが全部で六人もいる。
裕福な暮らしではないので、マルベリーマッシュルームは滅多に食べれない大人気スイーツ。だから、実りそうな場所の目星をあらかじめつけておいたのだ。
目的の場所が近づいてくると、甘くてほろ苦い味を思い出した。
「砂糖を乗せて焼くとさらに美味しいんだよなぁ! うふふ!」
溢れてきたよだれをゴクンと飲み込んだ時。
グイッと髪の毛を引っぱられ、首がのけぞった。
「きゃぅっ!」
首に進行方向とは逆の力が加わり、髪の毛を引っぱられて引きつった側頭部と強制的に上を向かされた首に痛みが走る。
「い……痛い。……なんなの⁉︎」
目だけを動かして状況を確認すると、わたしの後ろに体の大きい熊のような男がいた。汚らわしいものを見るような目でこちらを見ている。わたしには全く見覚えが無い男だ。
……まあ、孤児院と裏山以外外出しないわたしにとって、ほとんどの村人に見覚えがないんだけど。
「お前だな、孤児院にいる枯れ木のシエラは。間違いようもねえ。黒っぽい髪色の人間しかいないこの村に、枯れ木のような青白い色の人間は一人しかいないからな」
「嫌だ、離してよ!」
わたしがジタバタと抗議すると、男はさらにわたしの髪を乱暴に引っ張り、威圧するように耳元で怒鳴った。
「それで、うちの子どもに何したんだ⁉ この村のゴミが!」
「ぎゃっ! って、こ、子ども?」
わたしは痛みと恐怖で涙をにじませながら、あることを思い出した。
それはつい先ほど、山に入る前の出来事だ。
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