第42話 ディストラクション

 私は、龍人りゅうじんが持つ、髪の毛のように細い銀色の針を見つめていた。

 龍人が、人の良さそうな笑顔をユーリに向ける。


「はーい、痛くない、痛くないよー。ほんとはちょっとだけ痛いけど」

「いてっ! 痛いよー!」


 ユーリは人生で初めて『採血』というものをされていた。針を刺されたユーリが痛みで顔を歪める。


 やっぱり針を刺されたら痛いんだ!

 怖い!


 さっきみんなが採血をされたとき、サミュエルは慣れてますって感じだったし、アイザックとイーヴォも普通の顔をしていた。孤児院でお母さんがエマに採血されていた時も、特段痛そうな様子ではなかったのに……。


 私は今しがた採血が終わって涙目になってるユーリの様子を見て、ゾゾーッと恐怖が沸き上がってきた。


「はい、次はシエラちゃんね」

「ぃぃぃぃやっぱり、私は辞めておこうかな!」


 手を差し出す龍人に、私は両腕を背中に隠し、じりじりと後ずさりを始めた。


「何を言ってるの。一番興味があるのはシエラちゃんのゲノムなのに……。トワ、ディストラクション」

「かしこまりました、龍人様」


 アップロードが終わったトワが、胡散臭い笑顔をたたえて一歩、また一歩と私に近づいてきた。


「ひぃぃぃぃ!」


 いくら広い部屋と言えど、私はすぐに追い詰められた。そして有無を言わさずお姫様抱っこをされ、あっけなく龍人の前に座らされる。


「やだやだ、嫌だよトワ、私はやりたくない! 遺伝子の異常を治してくれるって聞いて来たのに、痛いのは嫌ぁぁぁ!」


 逃げだそうとする私が動かないよう、トワが後ろから抱えるように密着してきた。


「大丈夫だよシエラちゃん。ちょっとトワを見てて」

「ほぇっ?」


 トワは私が見えるところに左手を差し出した。

 そして、手のひらの上でさっき見たものより小さいホログラムの映像を映し出した。

 どうやらサミュエルの映像のようだ。




 映像の中のサミュエルは、自分の小屋のテーブルに足を上げて座っていた。そして、手には何かを持っている。

 映像の中のトワがサミュエルに向かって話しかけた。


「あら、サミュエル。またパンばっかり食べてるの?」


 トワに声をかけられたサミュエルが、ちらりと目だけをこちらに向ける。


「悪いか。俺が何を食べようと関係ないだろ。好きにさせろ」

「たまには栄養バランスを考えた食事をしないと、ひょろひょろになっちゃうわよ。もうひょろひょろだけど」

「うーるさい。そんなめんどくさいこと、いちいち考えてられるか。用事が済んだならさっさと帰れ」

「おーこわっ!」


 つっけんどんに言うと、サミュエルはパンをちぎって一口食べた。




「あははは! なにこれ! サミュエルってば、本当にパンをちぎって食べてる。全然料理男子じゃないじゃん」

「これの何が面白いんだ?」


 サミュエルが眉間に皺を寄せて首をかしげた。


「はい、終わったよ」


 龍人の声に自分の右腕を見ると、肘の内側にばんそうこうが貼られていた。

 龍人の手には、真っ赤な血が入った小さな瓶が握られている。


「へっ? 何かしたの?」

「うん。もう採血は終わったよ」

「うっそぉ! 全然何もわからなかった!」


 私は腕に貼られたばんそうこうと、龍人、トワの顔を交互に見た。

 映像を楽しんでいるうちに、いつの間にか採血が終わっていたようだ。

 その様子を見たユーリが口を尖らせ、「だから、なんで俺の時にはやってくれないんだよ」と拗ねている。


「ははは、ごめんごめん。ユーリ君はお兄ちゃんだから大丈夫かなと思ったんだ。もしよければ、ユーリ君にもサミュエルみたいにカッコいい武器を作ってあげるから、気を悪くしないでくれるかな」


 武器という言葉に、ユーリの耳がピクピクッと動いた。


「トワ、ユーリ君にピッタリの武器はなんだい?」

「はい。身のこなしが優れていること、まだまだ伸びしろが残っていること、サミュエルの魔石を生前贈与されたことから、魔力を増幅させる素材で作った双剣が最適だと判断いたします」


 トワの言葉に、ユーリの顔がパアアッと明るくなる。


「そ、双剣だって⁉ サミュエルみたいにバチバチ光るやつか? かっこいい! それそれ、それにしてくれ!」

「ユーリいいなぁ! 私も欲しい!」


 キャッキャ飛び跳ねて喜ぶ私たちとは対極的に、なぜか龍人の顔が曇った。難しい顔をして握り拳をプルプル振るわせている。


 どうしたんだろう、双剣を作るのは難しいのかな?


 龍人の剣幕に、さっきまではしゃいでいた私とユーリの気持ちが一気に不安へと変わった。

 

「なんだって……。魔石の、生前贈与を受けたのかい?」

「え……だめなのか?」


 もしかして、魔力を持たないライオットが魔石を持つと、体を悪くしたりするのかな。

 それとも、やっぱりサミュエルの寿命が縮まっちゃうとかかな。

 何も考えていなかったけど、もし二人になにかあったらどうしよう……!


 心配になった私はユーリの腕をギュッと掴んだ。


「ど、どうしよう、魔石の贈与って体に悪いのかな」

「えっ! 俺は今のところなんともないよ。むしろ絶好調って感じがするんだけど」


 ユーリがパタパタと体のあちこちを触って確かめた。

 私とユーリが焦っているのを見て、魔石を贈与したサミュエルも口を開いた。


「俺だってアイザックの魔石でなにもなかったんだから、ユーリに生前贈与したところで問題ないだろう」

「問題おおありだよ!」


 突然、龍人が採血に使ったテーブルをダンッと殴って立ち上がった。

 大きな音に、私とユーリがビクッと小さく飛び上がる。


「なんてことしてくれたんだ! これだと、フラットなサンプルが採取できないじゃないか。僕は正確な実験がしたかったのに、比較対象がすでに魔石の干渉を受けているなんて! おぉぉぉぉぉ、なんてことだ!」


 龍人は両手を上げ「どうして先に贈与しちゃうんだよぉ」と言って部屋をぐるりとまわり、私たちの前に戻ってきて泣き崩れた。


「ちなみに、ユーリとサミュエルの体に悪影響は……」

「ないよ! そんなの! そんなことより僕の研究に悪影響だよ!」


 鼻水を垂れ流して泣いている龍人に、トワがティッシュを差し出した。

 その様子を見ていたサミュエルが、呆れたように肩をすくめる。


「お前たち、こいつのことは気にするな。研究がからむといっつもこうだから、いちいち相手にしていたら疲れるぞ。ほっといてもすぐに立ち直る」

「そ、そうなの? 変わった人なんだね」


 私の言葉に反応した龍人が、ぴたっと泣き止んで私を見上げた。

 今度はなに⁉


「今、変わった人って言った?」

「ごごごご、ごめんなさい!」


 落ち込んでるところをさらに傷つけちゃったかな⁉


 自分の軽率な言葉に反省していると、龍人がすくっと立ち上がった。


「ふふふ。シエラちゃんがほめてくれたからいいや。あきらめた。過去を悔やんでも新しい発見はできないもんね。今ある材料でなんとかしよう。なんたって僕は天才だから!」


 龍人は両手をグッと握って天井を見つめた。

 隣でトワが拍手を送っている。


 何をほめ言葉と受け取ったのか分からないけど、元気になったみたいだ。


 元気になった龍人に、冷ややかな視線を送るサミュエルが話しかけた。


「そうだ、龍人の研究材料にこいつを連れてきた。紫はお前らの好きにしていい。その代わり、他のやつらには手を出さないと約束しろ」

「おぉ、さすがわかってるね、サミュエル! 僕にプレゼントを用意してくれていたのかい⁉」


 龍人が再び獰猛な笑顔を浮かべ、両手をこすり合わせながらイーヴォを見つめた。

 まるで、肉食動物が獲物を前に舌なめずりをしているようだ。


 肉食動物に睨まれたイーヴォが、顔をこわばらせてアイザックの後ろに隠れる。


「ちょ、ぼ、僕に何するつもり? 痛いことしないでよ」


 心配そうなイーヴォが、目玉の入った瓶をちらっと見た。


「大丈夫さ。痛いことをするときは、ちゃんと痛覚を遮断してあげるからね」

「ひいいいい! 怖い怖い! 助けてアイザック!」


 イーヴォが恐怖におののいて足を震わせた。

 すると、今にもイーヴォにつかみかかりそうだった龍人が、ぴたっと足を止めてつぶやく。


「アイザックだって? まさかおじさん、アイザックなの?」

「そうだが……」


 かなり引き気味のアイザックの返答を聞いた龍人は、目玉が落ちるんじゃないかと思うほど目を見開いた。そして、こぶしを振り下ろしながら、がに股で咆哮を上げる。


「ジィィィィィィィィィザァァァッス! 最高だぁぁぁ!」


 なにこの人、めちゃくちゃ怖いよ!

 人間ここまで自我を失うことある⁉


 完全に流れについていけなくなった私とユーリが、驚愕の顔で見合わせる。

 もう龍人は私たちの手に負えない。

 私とユーリが恐れおののいていると、龍人の雄たけびが聞こえなかったかのようにサミュエルが話しかける。


「それは良いとして、龍人はどこまで情報を掴んでるんだ? お前のことだ。ある程度、敵の行動は掴んでいるんだろ?」

「ふふふ。当たり前だろ。僕を誰だと思っているのさ。バッチリ把握済みだよ。まずは明日の夜、敵の大将とぶつかる。そこで、生前贈与についてたっぷり情報を手に入れてくるつもりだよ」


 興奮冷めやらぬ龍人が、目をギラギラさせたまま言った。


「はぁ? いきなり大将とご対面かよ。用意周到だな」

「相変わらず良い仕事をするだろ? ちゃんと舞台も整っているよ。僕たちは明日、大将が来る宴会にコンパニオンとして参加する」

「コンパニオン? シエラにそんなことさせるわけにいかないだろ。トワにだけやらせるのか?」


 サミュエルが目を細めた。

 コンパニオンってはじめて聞く言葉だけど、何かヤバいものなのかな……。


 不安になった私は、再びユーリを見上げた。話の流れが良くつかめないユーリも、心配そうな顔で私を見る。


「ノンノンノン。シエラちゃんじゃない。僕とトワ、そしてサミュエルでやるんだ」


 今度はサミュエルが叫ぶ。


「はぁ⁉ 誰が⁉︎」

「サミュエルが」

「正気か⁉︎ バカなのか⁉︎ 俺はやらんぞ!」


 龍人は「バカと天才は紙一重さ」と言ってニヤついている。

 アイザックとイーヴォが目を合わせて首をかしげ、トワだけが「うんうん」とにこやかにうなづいた。


 どうやら明日、コンパニオンと言う必殺技で敵の大将にぶつかるらしい。

 サミュエルをここまで驚かせるとは、コンパニオンというのはとても強いのだろう。


「頑張ってね、サミュエル!」


 私が応援すると、手で顔を覆ったサミュエルが天を仰いでぐったりした。

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