第35話 三人寄ればなんとか

「えぇぇぇぇ⁉」


 ユーリが驚いて大声を出した。

 私はあわてて人差し指を口に当てる。


「シー! シー! 静かに!」


 前を歩いている三人が一斉に振り返った。


「お前ら、さっきから何を騒いでいるんだ?」

「な、な、なんでもない、なんでもないよ!」


 訝し気に振り返ったサミュエルに、ユーリがパタパタ手を振って取り繕う。

 そして、その様子を見ていたアイザックが苦笑する。


「ははは。シエラとユーリ君は随分仲が良いんだね」

「う、うんっ! ユーリはとっても頼りになるお兄ちゃんなの。……いつもは」

「最後の一言は余計だっつーの」


 ユーリがジトっとした目で私をこづいた。

 そして再び密談にもどる。


「なんだ、それで様子が変だったのか。俺はてっきり、シエラがサミュエルのことを好きになったんじゃないかと思ってた」

「やだ! そんなわけないでしょ! 私はもっとかっこよくてヒーローみたいな人と結婚するって決めてるんだから」

「ほんとお前はヒーローが好きだよな」


 小声でそんなやり取りをしているうちに、いつの間にかアイザックの家が見えてきた。


 小ぎれいな木造の家の庭先では、栗色の髪の毛の女の人が洗濯物を干していた。私たちに気が付いた女の人は、一瞬だけ不思議そうな顔をしたがすぐに感じの良い笑顔で話しかけてきた。


「お帰りなさい、アイザック。お客様をつれてきたの?」

「ああ。私の古い知り合いでね。久しぶりに再会したので家に来てもらったんだよ」


 アイザックは女の人に歩み寄って頬に軽くキスをすると、私たちを紹介してくれた。女の人はリリーという名前で、アイザックの奥さんだそうだ。

 それからすぐに、父親の帰宅に気が付いた三人の子どもたちが家から出てきて、嬉しそうな顔で次々とアイザックに抱き着いた。子どもたちは全員、母親と同じ栗色の髪の毛で、アイザックのような銀髪の子は一人もいない。


 子どもたちを一通り抱え上げ終えたアイザックが、振り返ってばつが悪そうにサミュエルを見た。


「ご覧の通り、あの後私はライオットの女性と結婚したんだ……」


 それだけ言うと、仕切りなおすように今度は少し大きな声で言った。


「家の周りには、サミュエルの小屋と同じように居場所を隠す結界を張ってある。だからゆっくり休んでいくといい」


 アイザックの言葉に、サミュエルは表情を変えず返事もしなかった。


 アイザックに招き入れられた家は、家族で住むには十分な広さの二階建てだった。子どもたちが書いた壁際の絵と、さっきまで遊んでいたらしい積み木が家族の温かさを感じさせ、心が和む。


 大きめのテーブルと今は火のついていない暖炉、大きめのキッチンが印象的だが、特に驚いたのは家の奥にある浴室で、なんと温泉のお湯を引いているそうだ。ボルカンは火山の国だから、その国境付近であるこの場所でも温泉が湧くのだと言っていた。

 疲れが良くとれるそうなので、一日半歩き続けた私たちはアイザックの好意に甘えて温泉に入ることにした。

 レディーファーストということで、私とトワで一番風呂をいただく。


「私、温泉なんて初めて!」

「そうなのね! きっとすっごーく気持ちいいわよ」


 お風呂なら孤児院にもあるので入ったことはあるが、温泉なんてそうそう湧いているものではない。

 噂でしか聞いたことがない温泉に入れることになり、ワクワクした私はタオルを持ってスキップしながら浴室へと向かっていた。トワがクスクス笑いながら私の後をついてくる。


「あー、楽しみ! ……そういえば、トワも温泉に入るの?」


 トワはアンドロイドだ。

 疲れていないのに、温泉に入る必要があるのだろうか?

 それとも、普通に汚れを落とすために入るのかな。


 きょとんと見上げる私に、トワが元気いっぱいに答えた。


「もっちろん入るわよ! シエラちゃんと一緒に温泉に入れるなんて、とっても楽しそうじゃない? それに、私の体は他のアンドロイドと違って基本の構造は人間と同じだから、お湯に入っても壊れたりしないの」

「それって、他のアンドロイドはお湯につかると壊れるってこと?」

「そうね、水にぬれると壊れちゃうものもあるわ。でも、私はシエラちゃんみたいに人間の細胞でできた皮膚でおおわれてるから大丈夫っ」


 トワがニーッと笑いながら自分の頬っぺたをつまんで横に伸ばした。

 モチモチと柔らかそうな頬っぺたと一緒に、血色の良い唇が横に広がる。

 こうしていると、普通の人間にしか見えない。


 家の奥の扉を開けると、少し狭い脱衣所があった。

 服を脱ぎ、あっちこっちプリンプリンしているトワと一緒に浴室の中に入って行くと、湯けむりの向こうに二メートル四方の浴槽がぼんやりと見えた。絶え間なく流れ続けているお湯が、ちょろちょろと浴室内に心地よい音を響かせている。


「うわぁ! いいにおい! これって温泉のにおい?」

「そうよ。茶色っぽいからモール温泉かしら? お肌がツルツルになるわよ」


 私は先に温泉に入ったトワの手につかまり、ちょこんと片方のつま先を温泉につけた。


「わ、熱い!」


 思ったよりも熱いお湯に驚き、私はすぐに足をひっこめた。

 孤児院で入るお風呂は人肌より少し暖かいくらいの温度だが、これは皮膚がビリビリするくらい熱い。

 みんなこんな熱湯に入ってるの⁉


「うふふ! このお湯は四十度くらいだから、温泉としては少しぬるい方よ。最初は熱いかもしれないけど、きっとすぐに慣れるからちょっとづつゆっくり入ってみて」

「う、うん。わかった」


 これでぬるい方って、普通の温泉に入ったらゆで卵になっちゃいそうだ。

 そんな心配をしつつもはじめての温泉に好奇心が勝り、トワの手を支えに「あちあち」と言いながらゆっくり湯船に入って行った。

 皮膚がビリビリする感じがしたが、グッとこらえてなんとか肩までつかる。すると、少し慣れてきて体の芯からじんわり暖かくなるのを感じた。


「はぁー、慣れてくるとそんなに熱くないね。お湯がトロトロして柔らかい」


 私は心地よくなってきたお湯に深く息を吐き、湯船から手を出して腕を撫でてみた。つるつるして気持ちいい。

 その様子を満足気に見ていたトワが「そうでしょ?」と言いつつ、いつも通り柔和にゅうわな笑顔で私に話しかけてきた。


「ところで、ここに来る時ずいぶんと楽しそうにユーリ君と話してたけど、どんな話をしていたの?」


 お湯をすくって顔を濡らしていた私は、両手を顔に当てたままドキッとして固まった。


「どどどど、どんなって……! 特になにも話してないよ、本当!」


 まさか、アイザックがお父さんかもしれないと疑っていたユーリに、本当のお父さんはサミュエルでした〜って告白した……なんて、とても言えるわけがない。

 うしろめたくて目線をずらす私に、トワが笑顔のまま続けた。


「そう。私はてっきり、シエラちゃんのお父さんの話をしていたのかと思ったんだけど……」

「えっ! トワ、もしかして私のお父さんのこと知ってるの⁉」


 驚いた私は、思わずトワの肩を掴んだ。


 トワは最初から真実を知っていたの⁉

 ……あり得る。

 だってトワは、ずっと昔からサミュエルのことを知っているんだから。


 ついつい興奮する私に、トワがいたずらっぽく笑って答えた。


「ふふふ! さあ、どうかしらね。知ってると言ったらどうする?」

「お……教えてほしい。私のお父さんのこと」


 サミュエルのこと。


 どうして私を孤児院に預けたのか。

 どうして私と一緒に暮らせなかったのか。

 お母さんは、誰なのか。


「あら、そんなに思いつめた顔して。よっぽど気になっていたのね」

「だって、私は生命の樹から生まれたって、ずっと思ってたから。本当のお父さんお母さんがいるなら、どんな些細なことでも知りたい。本当の家族のことを知りたいの」


 しゅんとする私の顔を、トワが心配そうに覗き込んだ。


「そうよね、知りたいと思うのが普通よね。それで、シエラちゃんは誰がお父さんだと思ってるの?」


 私は寄り添うようなトワの態度に、一度こぼれ始めてしまった自分の気持ちを抑えることができなくなってしまった。温泉が心地よくて、気持ちが緩んだからかもしれない。

 それに、すでに真実を知っているトワになら、言ってしまっても問題ないだろう。


 これ以上胸の中にしまっておくことができず、私は思っていることを口にした。


「……サミュエル」


 その言葉を聞いたトワが、一度目を瞬いた。


「……そう、そうなのね」

「そうなのねって、どういうこと? 私のお父さんはサミュエルなんでしょ? トワは何を知ってるの?」


 たたみかけるように質問をすると、トワは「まあまあ」と言って私を制した。


「気になるなら、直接本人に聞いちゃえば良いじゃない」

「えっ! 本人に⁉ 無理無理、無理だよぉ!」


 トワは何を言っているの⁉

 例えば、もし聞いて「そうだよ」と言われたらどうするの?

 聞いてしまったことで今の関係が崩れるなら、現状維持の方が何倍も良い。


「それに、お母さんにも絶対誰にも言うなって言われてるんだから!」


 もうユーリとトワに言っちゃったけど。


「ふーん。それって」


 トワが顎の横に人差し指を当てて上を向いた。


「言っても良いってことよね!」

「違うよおぉぉ! 真逆、真逆! トワ、絶対楽しんでるでしょ!」


 そういえば前に、「トワに油断したら足元をすくわれるぞ」ってサミュエルが言ってたっけ。

 それってもしかして、こういうことだったのぉぉぉぉぉ!


 パニックになっている私をよそに、トワが天使のようにかわいい笑顔で言った。


「それに、一人で悩んでても問題は解決しないわ。知恵を寄せ集めた方が絶対いいじゃない。ほら、三人寄れば文殊もんじゅの知恵って言うでしょ?」

「ふえぇぇぇ⁉︎」


 三人寄れば……なに?

 分かんないけど、誰かトワの暴走をなんとかしてちょうだい!


 目を白黒させている私に、トワがさらに言う。


「大丈夫っ。きっとうまくいくから。絶対私がなんとかしてあげるわよ!」


 そう言い切ったトワがザバっと湯船から上がると、「科学反応♪ 科学反応♪」と楽しそうな鼻歌を歌いつつ、さっさと体を洗っててきぱきと着替え始めた。私は完璧においてけぼりだ。どうやらもう止められそうにない。


 こうなったらヤケだ!

 諦めた私は意を決して、トワと一緒に真実を確かめることにした。


 そして、本物の家族になるんだ!

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