第29話 ペンダント

 ……サミュエルがお父さんか。


 もし始めから一緒に過ごしていたら、どんな家族になっていただろう。

 布団の中で、そんなありもしない妄想がどんどん広がっていく。


 きっと、毎日おいしいご飯をお腹いっぱい食べていたんだろうな。

 他に、一緒に果物を取りに行ったり、狩りをしたり。

 魔法をもっと教えてもらったり、空を飛んだり。


 やはり、どんな時もサミュエルはむっつり不機嫌なのだろうか。

 何をしていてもいつも不機嫌なサミュエルの姿を想像すると、クスクスと笑いが込み上げてきた。それに、サミュエルの笑った顔なんて全く想像がつかない。だから、ご機嫌なサミュエルを思い浮かべようとしたら、さらにおかしくなってしまった。


 そんなことをつらつらと考えていたら、うっすら外が明るくなってきたことに気が付いた。お母さんも子どもたちも、みんなまだ寝息を立てている。

 わたしは寝ることをすっぱりと諦め、静かに布団を抜け出し、朝日を浴びに外へ出た。


 日が射仕込み始めた、まだ誰もいない通りに、少し冷たい爽やかな風が吹き抜けた。腕を上げておもいっきり伸びをする。

 広い空の下、風の音と鳥の声だけが聞こえてくる様子は、まるでサミュエルがエクルベージュの実を持ってきた時のようだ。あの時は夜だったけど、今みたいに自然の音だけが聞こえていた。身に覚えのある感覚に、森の中から果実を抱えたサミュエルがひょっこり出てくるような期待さえした。もちろん、じっと木々の間を見つめても誰もいない。

 その時、誰かが声を掛けてきた。


「もう起きたの?」


 ドキッとして声の方を振り返ると、お母さんが戸口に立っていた。


「あ、おはよう、お母さん」

「早起きね。眠れなかった?」

「ううん、ぐっすり眠れたよ」


 わたしはとっさに嘘をついた。小さいころからなんでもない振りをする習慣が染みついているせいで、つい口から出てしまった。

 それを知ってか知らずか、中に入るとすぐに、お母さんがいつも通り髪の毛を結ってくれた。そして取り出した長方形の箱。


「なあに? これ」

「……これはね、シエラの本当のお母さんからの贈り物なのよ」

「え? ……本当のお母さん?」


 お母さんが箱を開けると、葉っぱの飾りがついた、銀色のネックレスが入っていた。


「いつか本当のことを話す時が来たらシエラに渡してほしいって、サミュエルがその人に頼まれたんだって。アイビーって言う葉っぱをかたどったネックレスみたいよ。花言葉は『永遠の愛』なんですって」


 振り返ってお母さんの顔を見ると、その目に涙を浮かべながら微笑んでいた。

 わたしの中のお母さんはお母さんしかいないはずなのに、何かが変わってしまったことを本能が告げた。


 もう、何も知らないままの子どもではいられなくなってしまった。だとしても、お母さんはわたしのかけがえのない大事な人には変わりない。

 そのかたわら、産みの母親がわたしのことを思ってネックレスを授けてくれたことに、確かな喜びも感じていた。

 お母さんは、十三年間ずっとこの秘密を守り続け、ネックレスを大切に保管していてくれたんだ。その行動に含まれた愛情が、わたしの目にも涙を浮かべさせる。


「お母さん、ずっとわたしの事を大切にしてくれてありがとう……」

「当たり前じゃない。これからも、シエラは私の大切な娘よ」


 感謝の気持ちは言葉ではとてもいい表せなかったが、きつい抱擁がお互いの思いを伝え合った。言葉なんて必要なかった。本当のお母さんがいたとしても、わたしたちは今までもこれからも大切な家族だ。


 ネックレスをつけてもらった私は、涙を拭いて旅の荷物を背負い、みんなに見送られて名残惜しいわが家を出た。





「あ、まだ灯花が光ってる」


 山の中は、生い茂る木々が光を遮っているせいでまだかなり薄暗かった。自分の足音と息遣いだけを聞きながら山道を登ると、蒸気霧じょうきぎりがたちこめるショーハの池が見えてきた。薄暗い池のほとりでは、灯花がやんわりと光っており、そこで私は一度足を止めた。


「私の冒険って、ここから始まったんだよな。あの時は、こんなことになるなんて思いもしなかったけど」


 独り言を言いながら懐かしい気持ちで池に立ち寄り、池を眺めた。ぽこぽこと絶え間なく出てくる湧き水が、灯花に照らされて揺れている。ただでさえきれいな池が、光の効果でキラキラ輝きとても神秘的だ。


 そして、わたしは良いことを思いついた。


「ちょっと、出発前に気合い入れても良いよね」


 ポイポイ靴下を脱ぎ捨ててスカートを少し摘まみ、バシャバシャと音を立てながら早朝の冷たい池に入っていった。一歩踏み入れると、足裏の柔らかい藻の感触、ふくらはぎを撫でる水草、ピリピリ感じる冷たい水が、眠気を覚まさせる。


「うひゃぁ! 冷たい! くすぐったい!」


 三歩進むと池が膝丈くらいの深さになったので、そこで足を止めた。そして、スカートを抱えていない方の手でネックレスに触れ、雑念を払うように静かに目を閉じた。じっと動きを止めると、ちょろちょろと流れる水の音が心地よく聞こえてくる。


 私を今まで大切にしてくれたお母さんがいる孤児院のために、これからできる限りのことをしよう。もう私は前みたいに無力じゃない。仲間もいる。みんなの生活を取り戻すことが私の役目だ。


 そう決意して目を開けた。

 すると、そこには思いもよらない光景が広がっていた。


 なぜか灯花の光が増して、池の周りだけ昼間のような明るさになっていたのだ。水面がキラキラ輝き、まるで自分が宝石の中にいるようだ。


「うわぁ、なにこれ! すごい!」


 夢でも見た事がない幻想的な光景に胸が躍った。神様がこれからの旅の前途を祝してくれているようにも思えた。

 光に照らされ、私の姿はいつも以上に白く見えるだろう。でも、ここにはそんなことを気にする人はいない。誰もいない解放感の中、わざと水を蹴って水面を揺らし、しばらくの間キラキラ反射する光を楽しんだ。

 そこに、一羽の小鳥が飛んできて肩に止まった。ハッと意識が水面から肩の鳥へと移る。

 シジミちゃんだ。


「あれ? シジミちゃん? シジミちゃんも水遊びしに来たの?」


 シジミちゃんはすぐに飛び去り、私はその姿を目で追った。

 視線の先には、木に寄りかかって立っているサミュエルがいた。その表情は、なんだかちょっと悲しげに見える。そう思ったのは、私の先入観のせいだろうか。


「うわ、サミュエル!」

「『うわ』とは失礼だな。心配して迎えに来れば、こんなところで油を売っていたのか?」


 サミュエルの小屋には、部外者が入れない魔法がかかっていて、シジミちゃんと一緒じゃないとたどり着けないらしい。私の到着が遅いので、それを知らない私が森で迷っているんじゃないかと心配して来てくれたそうだ。

 なんだかんだ言って、結構過保…優しいところがある。


 そして、池から小屋までは、特に何をしゃべるでもなく黙々と歩いた。

 サミュエルはいつも寡黙かもくなので変わりないが、私は変に意識してしまって、言葉が出てこなかった。一人で気まずい思いをしながら歩いていると、実際よりも随分長い距離を歩いたように感じた。


「ふぇー。やっとついた」


 小屋にたどり着くと、元気そうなユーリが走り寄ってきて、私の肩にガバッと勢いよく手を回した。そして、バブルサンフラワーのように明るい笑顔で私を歓迎する。ユーリのテンションにちょっと戸惑ったが、私も久しぶりに会えたことが嬉しかった。


「シエラ! 遅いじゃないか。待ってたんだぞ! シエラの好きなジャウロンのサンドイッチがあるから食べようぜ!」

「本当⁉︎ やった! それにしても、朝から随分元気だね」

「もちろん! 早くシエラに俺の新しい必殺技を見せてやりたいよ」

「お前ら本当仲いいよな」


 そう言って呆れたように笑っているのはカイトだ。

 それを聞いたユーリの矛先がカイトに向かう。


「なんだよ、カイト。拗ねてるのか? お前もこっちに来い!」


 ユーリが反対の腕でカイトをガシッと捕まえた。

 太陽が昇る中、にぎやかな声であたりがパッと明るくなる。


「ふふふ、随分仲良くなったね」

「うん。カイトとはもう兄弟だからな!」


 その言葉を聞いたカイトの耳が赤くなった。恥ずかしそうに口角も上がっている。

 それを隠すかようにカイトが胸を張って強がって見せた。


「兄ちゃんだからって油断するなよ! 次に会うときにはきっと俺の方が強くなってるんだから」


 普段大人びているカイトの少年らしい振る舞いに、思わずクスクス笑いが漏れた。

 そこにブンブン手を振りながらトワが現れる。


「あーん! シエラちゃん! やっと来たのね。寂しかったわよー」

「うわぁぁ、トワ。おはよう」


 トワがガバッと抱きついてきてぐりぐり頬擦りをした。ほっぺがツルツルのモチモチで気持ちいい。いきなりの熱い歓迎に面食らいながらも、いつも通りのトワの様子にみんなから笑いが漏れた。


 サミュエルに「いつまでやってるんだ」と呆れられて、みんなでサンドイッチを食べながら旅の工程の確認をすることにした。


 早速トワが地図を広げる。

 私は初めて見る地図を興味津々で覗き込んだ。


 エルディグタール王の住む城は、この小屋の北西の方角にある。私たちの向かうトライアングルラボは、その城の真裏にあるそうだ。バーデラックに見つからないように進まなくてはならないので、少し遠回りになるが一旦東に向かい、ボルカンという国の国境付近を通ることになった。


 ……この国ってこういう風になってるんだ。ラボまでは意外と近そう。


 縮小された地図と実際では天と地ほどに差があることを知らず、大きな勘違いをした。


 それにしても、バーデラックから身を隠す必要があるのは明確なんだけど、ボルカンって言う国は警戒しなくてもいいのだろうか? 国境の近くを通れば誰かに見つかりそうな気もするのだが。


「国境の近くを通ったら、ボルカンって言う国の人に見つかったりしないの?」

「もちろん見つからないように気を付ける。しかし、エルディグタールに見つかるのとボルカンに見つかるのとでは意味が全く違う。エルディグタールは高い魔力のシルバーが多く軍事力があるが、ボルカンはエルディグタールと違って種の保存を義務付けていないので魔力量が低い。だから、何かあったとしてもたかが知れている。軍隊で囲まれれば別だが、俺たちにそこまでのことをする余裕はないだろう」


 また新しい言葉が出てきて、私は首をかしげた。


「種の保存?」

「ボルカンは、人種に関係なく自由に結婚ができるんだ」

「この国は、結婚にも人種の縛りがあるんだ」


 ……そもそも、他の人種と会うことなんて滅多に無いから問題にも感じないけど。


「人種が混ざると、魔力が弱くなるのか?」


 ユーリが聞く。


「ああ。生まれてくる子供は大抵、どちらか魔力の弱い方の遺伝子を強く引き継ぐ。国によっても考え方が違うが、エルディグタールでは魔力量が多いものほど重宝されていて、他人種との結婚は認められていない」


 サミュエルの答えに出てきた遺伝子という単語で、ビビッと電気が走った。

 トワが言っていた「遺伝子の異常」。胸がチクリと痛む。


 私の異変に気が付いたユーリが心配そうに声を掛けてくれた。


「どうした、シエラ?」

「う、ううん! 何でもない。じゃあ、ボルカンの王様はガーネットじゃないの?」

「いや、王族だけは別だ。全員ではないが、最低限の魔力を維持するためにガーネット同士で結婚しているはずだ」


 私は頭の中の一切の疑問を振り払った。

 今は私の出生どころではないし、そんなことはもうどうでも良いんだ。どちらにせよ、今私がここにいると言うことも、私がするべきことも変わらない。大切なのは、私がこれからどう生きるかだ。

 服の中に隠してあるペンダントにそっと手を添え、サミュエルの話に集中し直した。


 この時、その様子を不思議そうに見ていたユーリに、私は全く気が付いていなかった。


 

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