番外編 赤い暴鬼と黄色い狂鬼 に

「……鬼さんっ! 凶鬼さん、起きてください!!」


 配下の鬼の声によって、凶鬼は夢の世界から現実へと引きずり出される。

 空には日が高く昇っていて、鬼にとっては最も眠気の強い時間帯である。


「もう、何よ。寝かせてっていったでしょ」

「それどころじゃありません。赤い暴鬼が攻め込んできたんですよ!」


 牟鬼が西側に来た?

 凶鬼は向こうから自分に会いに来てくれたのだと思い、無意識ににやけていた。


「そう。へえ、珍しいこともあるものね。いいわよ、ここに連れてきて。ああ、いや。ちょっと待って。顔を洗ってから……」

「だからそれどころじゃありません!! すでに全体の三分の二がやられているんですよ!!」

「え?」


 凶鬼は自分の耳を疑った。

 次に、目の前の鬼の言葉を疑った。

 だが、顔を上げて辺りをよく見回してみれば、傷ついた鬼たちが一斉に凶鬼に助けを求めるのが見えた。


 ――まさか、そんな……。


 凶鬼は傍らの大鉾を引っ掴むと、全速力で駆け出した。

 ここにきても、凶鬼はまだ牟鬼のことを信じていた。

 何かの間違いに決まっている。牟鬼がこんなことをするはずはない――と。

 しかし、現実を直視しては真実だと認める他なかった。


「ようやく来たか。呑気のんきなもんじゃな」


 牟鬼はうず高く積まれたしかばねの山の上に、傲岸不遜ごうがんふそんに鎮座していた。

 赤い肌はさらに赤く、金の髪は一本残らず赤く、手に持つ金棒は血の腕のごとく赤く。

 その姿は赤い暴鬼の通り名に恥じることなく、直前までの暴れ様を凄惨せいさんに物語る。

 目の前の鬼は凶鬼の知る牟鬼ではない。

 凶鬼はこのとき初めて、真の意味で赤い暴鬼との邂逅かいこうを果たしたのだ。


「なんで……どうしてこんなことをするの?」

「………………」

「どうして、せっかくうまくいっていたのに……そこまでして魂を独り占めしたいの!?」


 うまくいってなどいない。

 そう見えるのは外側だけで、内側は東も西も赤も黄色もない。

 三年前から何一つ変わってなどいない。凶鬼の理想は初めから壊れていたのだ。

 だが、牟鬼の拳はその亀裂など分からなくなるくらいに、完膚無きまでに壊し尽くした。

 壊れていたことを、凶鬼が気付かなくてすむように。

 徐々に大きくなる亀裂から自分の夢が崩れていくのを、見なくてすむように。

 不器用な牟鬼が凶鬼のためにできることはこれしかなく、この場で返す言葉もこれしか持たなかった。


「ああ、そうじゃな」

「見損なったわ! 昔のあなたはもっと優しかったのに。三年前、あなたは死にかけていた私に魂を分けて助けてくれた。

 思い出してよ! あのときのあなたに戻ってよ!!」


 最後の希望を込めて、凶鬼はついに自分の口から告白した。

 しかし、それすらも無残に打ち砕かれる。

 牟鬼は何の心当たりもないと一蹴した。


「思い出すも何もない。俺様がそんなことをするはずがない。ただの貴様の妄想じゃ」


 これもまた不器用な牟鬼の精一杯の言葉であることに、凶鬼は気付かない。

 それでいいと牟鬼は思う。

 壊すのならば徹底的に。欠片の希望も残さない。 

 そして、牟鬼の行動は功を奏した。


「そう……」


 凶鬼はうつむいて、ぐっと大鉾の柄を握り締める。

 あのときの牟鬼はもういない。死んでしまったのだ。

 目の前の鬼が、赤い暴鬼が、あの優しかった牟鬼を殺してしまったのだ。

 すべてを壊された凶鬼に宿ったのは、赤い暴鬼への殺意。


「赤い暴鬼っ!! 骨も残さずぎ殺す!!」


 黄色い鬼は狂ったように叫んだ。

 牟鬼と出会う前の、何者も信用できなかったころに戻って。


「黄色い狂鬼!! 肉を残さず削ぎ殺す!!」


 赤い鬼は暴れ足りないとばかりに吠える。 

 凶鬼と出会った後の、何物にも代えがたい日々に思いをせて。


 二匹は我先にと相手の胸元に飛び込む。

 金棒と大鉾がぶつかり合う音は、一番鳥が逃げ出してからも続いた。

 情熱的に、激しく、己の力のすべてを吐き出しあって。

 赤い暴鬼と黄色い狂鬼は殺し合った。

 愛し合うかのように殺し合った。


「覚えてなさい。次に会ったとき、必ず殺してやるんだから! それまで死ぬんじゃないわよ!!」


 昇りかけた月に背を向け西――貧魂街の外へと走り去る黄色い狂鬼を見て、赤い暴鬼は思わず嘆息した。


「さすがに……暴れ過ぎたか」

 

 その息には、混じり気のない疲れだけがあった。


            ◆

 

 貧魂街の二大勢力――赤い暴鬼と黄色い狂鬼。

 二匹の巻き起こした大喧嘩は、こうして歴史に刻まれることになる。

 だが、この大喧嘩がなぜ起きるに至ったのかはどこにも記されていない。

 そもそも彼らが牟鬼・凶鬼という真名を持ち、同時に心を持つ鬼であるということに、目を向ける者さえいなかった。

 しかし仮に、この大喧嘩の理由にどのような憶測が飛び交ったとしても、二匹とも異を唱えることはできないだろう。

 彼ら自身、互いの心の内を、あるいは己の心の内さえ知らぬままに殺し合っていたのだから。

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赤い暴鬼と黄色い狂鬼 @susumu

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