番外編 赤い暴鬼と黄色い狂鬼 は

 凶鬼が去ってから牟鬼もまた眠りについていた。

 いかに貧魂街が常時戦場といえど、否だからこそ、束の間の休息は不可欠である。

 しかしこの日に限っては、牟鬼はいつものように眠らせてはもらえなかった。

 何者か、忍びくる気配を察知して牟鬼は目を覚ます。

 西側の方から向かってくる。数は一。この臭いは鬼に違いない。

 牟鬼の頭に過るのは先刻別れたばかりの凶鬼の姿だ。

 彼女が来るのは決まって夜中であることは分かっていたが、他に心当たりがなかった。

 凶鬼を除く西側の鬼たちは、彼女の命令で東側に来られないということも牟鬼は知っている。

 もしも凶鬼でないとしたら、それはつまり――。

 牟鬼は寝起きということもあって不愉快な心地になる。

 果たして、気配の正体は見たこともない緑髪緑眼の鬼だった。 


「初めまして、赤い暴鬼さん」


 鬼は一間いっけんほど離れた位置まで歩み寄ると、気怠そうに名乗りを上げた。


「俺は信楽鬼。赤い暴鬼さん、あんたと対立している黄色い狂鬼の、一応手下ってことになってます。

 今日はちょっとあんたに頼みたいことがあって来たんですよ」


 牟鬼はこの信楽鬼という鬼の目的を大凡のところ予測できていた。

 そしてそれは信楽鬼の今の口振りで確信に変わる。

 

「単刀直入にいきますか。あの女を殺すのに、力を貸してくれませんかね?」


 だから、この申し出に対して驚くことはまるでなかった。

 牟鬼は即答する。


「断る」

「そう釣れないことは言わないでくださいよ。

 まあ敵方からいきなりこんなことを言われれば、罠じゃないかと勘繰っても無理はありません。

 まずは、あの女への殺意が本物であるってことを分かってもらいましょうかね」


 信楽鬼は続ける。


「黄色い狂鬼――なんて、大層な肩書きを背負っちゃますが、実際はただの世間知らずの小娘ですよ。

 あの女は鬼の本質ってもんを、まるで分かっちゃいない。

 話し合い・分け合い・譲り合い。そんなもの信じてる奴は一匹もいやしません。

 周りの連中は労せず魂がもらえる現状に甘えて、調子を合わせているだけなんですよ。

 あの女はそれに気付きもせず、世迷言をほざき続けている。

 嘆かわしいことだと思いませんか? そんな連中が、この街ででかい面してるなんて」


 次第に信楽鬼の言葉に熱が帯びる。 


「問答無用・唯我独尊・手前勝手に好き勝手。それこそが鬼の本質のはず!

 それを偽って、妥協してまで慣れ合ってやがる。奴らはまるで人間だ!!

 あんたならこの気持ちが分かるでしょう!? 

 このままあの女の吐き気がするような思想で、この街が乗っ取られるなんてことはあっちゃならねぇ!!」


 ここで信楽鬼は自分でも感情を乱し過ぎたのに気付いてか、一息おいて語調を落ち着かせた。


「俺と同じ考えの奴は何匹か集めましたが、現状、数の上で奴らをひっくり返すまでには至っていません。

 そこであんたですよ、赤い暴鬼さん。あんたの加入は戦力補強以上に大きな意味がある。

 どうも、黄色い狂鬼はあんたを殺すことができないようでしてね」

「………………」


 牟鬼はここにきても依然、押し黙ったままである。

 信楽鬼は結論を述べる。


「俺の公算では、集団の数が増えるにつれ魂の配当が少なくなっていくことに反感を覚えている奴は相当数いると見ています。

 さらにここに来る前にした会話であの女への不信感をあおるように仕向けておきました。

 黄色い狂鬼があんたとの衝突を避けているとはっきり分かった時点で、まずはそいつらが動きます。

 そこまでくれば、元々連中は本心からあの女に忠誠を誓っているわけじゃない。

 残りは逃げ出すか、こっちに寝返るか、いずれにせよ一気に崩れるでしょう。

 ともかく、向こうの大将が木偶でくになる以上、こちらに負けはない。

 さあ、夢見がちのバカと鬼にあるまじきクズ共をこの街から消し去ってやりましょうよ!!」


 長い長い語りが終わって、牟鬼がまず最初に取った行動は欠伸あくびだった。

 それからごしごしと擦った目で信楽鬼を見る。


「何じゃ、貴様まだおったのか? 凶鬼を殺すのを手伝え云々は、さっき断ると言ったじゃろうが」

「はあ?」

 

 信楽鬼は予想外の反応に当惑を隠せない。

 あろうことか、牟鬼は信楽鬼の話をまともに聞いてもいなかったのである。


「てめ……ちょっとねぇ、赤い暴鬼さん」


 信楽鬼は叫び出しそうになるのをぐっと堪えながら、何とか笑顔で取りつくろおうとする。

 対して牟鬼は今一度欠伸をして、信楽鬼の神経を逆撫でる。

 血液が逆流するほどに怒りが沸き起こるも、信楽鬼は必死に自分を抑えた。


「おい、いい加減にっ……してくれませんか。こっちもそれなりに危険を承知でここに来てるんですから」

「なるほど貴様の言う通りじゃ。西側の鬼はまるで人間。貴様も含めてな」


 牟鬼は実際のところ信楽鬼の話に耳を傾けていたらしいと分かったが、今度はその内容が聞き捨てならない。

 とうとう信楽鬼の我慢が限界に達した。


「何だとっ!?」

「違うか? 貴様は俺様に腹を立てておきながら、さっきから一向にかかってこん。自分を偽って妥協しとるからじゃ。

 そもそも相手の数が多いだとか、勝ち目がないだとかで動かん時点で、貴様も楽して魂を得ようとしとる連中と何も変わらん。

 俺様に言わせりゃ、貴様なんかより凶鬼の方がよっぽど鬼らしい」


 指摘されて開き直ったのか、信楽鬼は心の仮面を取り払い素顔をあらわにする。


「言うにことかいてあの女が俺より鬼らしいだ? どこがだよ?」

「あいつはたった一匹からここまで這い上がった。

 相手がどれだけ強かろうが多かろうが、泣き寝入りなんぞしなかった。

 負けしか見えん闘いじゃろうと、決して逃げずに立ち向かい続けた。

 たとえ馬鹿げていようと夢見がちだろうと、あいつは自分の思いを曲げはしなかった。

 凶鬼を殺す? 貴様のような鬼もどきが何匹集まろうが、絶対に無理じゃ」


 ふう~と信楽鬼は諦観の混じった溜息を漏らすと、ぺっと唾を吐き捨てた。


「もしかしたらと思ったが、やっぱりそうか。あんたもあの女に毒されていたとはね。

 残念だ。あんたのことは尊敬していたのに。本当に残念だ。

 言ったよな? 別にあんたのことは戦力として期待しちゃいないと。

 あんたの意志で動いてもらうのが手っ取り早かったが、捕えて見せしめにするだけでも、十分効果はあると踏んでる」


 言って、信楽鬼はくいっと顎を上げる。

 すると、突如現れた鬼の群れが牟鬼の周囲をぐるりと取り囲んだ。 


「話をしている間に潜ませておいたんだが、あんた全く気付いてなかったな。

 あの女と慣れ合っているうちに勘が鈍りでもしたか? こりゃ、俺一匹でもよかったかもな」


 笑いの渦が巻き起こる中心で、牟鬼は重い腰をゆっくりと起こした。

 信楽鬼の合図とともに四方八方から襲い来る鬼たち。

 牟鬼は鎧袖一触がいしゅういっしょくで彼らを薙ぎ払う。あっという間さえもなく、信楽鬼以外の鬼は全滅した。


「え? は?」


 あまりの光景に思考停止に陥る信楽鬼。

 凶鬼の忠告が決して嘘偽りではなかったことを、このときようやく悟った。

 

「唯一警戒に値する奴が、真っ向勝負しかしてこないもんでな。勘が鈍るのも仕方ない。

 さてと、貴様一匹で俺様に勝てるか試してみるか?」


 一歩一歩こちらへ近付いてくる牟鬼に、信楽鬼は無様に足をもつらせて転倒する。


「ちょ、ちょっと待て。西側には俺の仲間がまだ何匹か残っている。もし俺たちが戻ってこなかったら、あんたに殺されたと分かる。

 俺たちの裏切りはまだ知れてないから、西側の鬼たち全員を相手にすることになるぞ」  

「それは今までと何か違うのか?」

「黄色い狂鬼も含めてだぞ! 

 俺との会話の中で、あの女はあんたを殺してみせるとはっきり言っちまったんだ。配下たちの前じゃ、あんたを殺すことを躊躇ちゅうちょしねえ」

「…………おい、それは本当じゃろうな?」 


 牟鬼が食い付いてきたと見るや、信楽鬼はこの機会を逃すものかと捲し立てた。


「あ、ああ、本当だ。だから考え直した方がいいぞ。黄色い狂鬼は本気だ」


 牟鬼はにやりと笑った。信楽鬼もそれを見て、安堵あんどの笑みを浮かべようとした――次の瞬間。


「さっきと言っとることが矛盾しとるんじゃ、阿呆が」


 信楽鬼の頭部は無残にも飛び散った。

 そのままの足で、牟鬼は西側へと歩を進める。

 金棒からしたたり落ちる血が、黄色い地面を真っ赤に染めた。

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