黄昏・冷蔵庫・憂鬱な可能性⇒指定なし

黄昏時。朝パンクした真新しい自転車を押しながら坂を下る。僕の目線まで降りてきた陽光が目ん玉に突き刺さる。眩しい。目線を下に落とす。ガタン。段差につまづく。その拍子に自転車から手を放してしまう。自転車が勢いを付けながら坂を下る。ガッシャーン。電柱に大激突。税込19980円が一瞬でオシャカになってしまった。


僕は不幸だ。これは主観的感情ではない。客観的証拠を積み重ねた上での事実としての不幸だ。1+1=2であるとか直角は90°であるとかそういった定義と同レベルの位置に「僕は不幸だ」という文面は存在する。


この世の全ての事柄は全て僕にとって最大限都合が悪くなる様に動く。世界にとって僕はバターが塗られた面のトーストであり、洗車中の雨であり、晴れ渡った日の傘であった。不幸な事象は世界で最も不幸を願わない人間に引き寄せられる。苦しみから逃れる手法…偶像崇拝、自己暗示、現実逃避であるとか…にすがればすがるほど引き寄せる不幸は涎を垂らし僕に襲い掛かって来た。




「お困りの様だね」


声がする。辺りを見渡すが誰もいない。


「ここだよここ」


頭の上からだ。ようく見ると蠅がいる。声の主もどうやらそれで有る様だった。


「君が何に悩んでいるか当てて見せようか。ズバリ。君は自分の身に有り余る不幸にこれでもかと苦しめられている。そうだろう」


図星であった。しかしただ答えるのは癪。


「そんな事考える奴は頭の中がひどく甘ったるいシロップ漬けになってるんだろうよ。悲劇のヒロインさ。ジュリエットか何かだね。あの姫君が恋にむせび泣いている間貧民街ではヘドが出る程の人間が腹を空かして死んでいた。腹が空いてる奴の気持ちは分からん。分かりたくもない」


二度三度の頷き。間を置いての返答。


「そうか。つまりきみは他人と比べて自分が幸運だから自分は幸運だと言っているんだね。きみはインフルエンザに罹った時無理に出社して病原菌をばら撒いたりしゃかりき働いて突然体をブッ壊す類の人間だ。迷惑千万。関わりたくないタイプだね。アリに米俵は背負えない。体のデカさが違うのさ」


悪口…なのか。判断に困る。しかし言わんとする所は分かる。


「自分の感覚は飽くまで主観的絶対的産物であり他者という基準を使用した相対的基準によって測定されるべきでは無い…か。成程。不本意だが認めよう。己は己を不幸であると感じ己の因果が己の運命を己の関与し難らむ場所に引き摺られる様に感ずる。己がそう思う限り己に取って此れは真実である」


「日本語で喋れオガクズ脳味噌が。豚が人間の言葉喋ろうとしてんじゃねえぞクズ。哲学がしてえなら四畳半の書斎でカーテン閉めて活字に向かって一人で喋ってろドブネズミ」


「豚かドブネズミかどっちかにしてくれ」


「じゃあクズだ。箸にも棒にもかからねえ腐った言葉素手で掴んで並べてぐちゃぐちゃになった掌と生ゴミ重ねた腐臭の塔を他人様の鼻先に無邪気に突き付けて自尊心満たしてる頭シロップ漬けのクズだ。クズだよクズ。名前を付けて貰えるだけ有り難いと思いな」


「…立派な名前を有難うございます。貴方の言った事は当たっています。私は不幸です」


「それで良いんだよそれで。文章ってのは簡潔であるべきだ。シンプルイズベストって奴よ。じゃ本題に入るね。僕は君を助けたいんだ」


「有難うございます」


「君は君が実現可能な世界線の中で最も悪い世界線を選択してしまうという能力を持っているんだ。名付けるとしたら「憂鬱な可能性」って所かな」


「そうですか」


「だけど僕の治療を受ければ君はハッピーになれるよ。治療を受けてくれるかな」


「受けます」


「ありがとう!」




家に帰った。冷蔵庫を開けた。牛乳を飲んだ。お腹を壊した。嬉しい。


タンスの角に頭をぶつけた。嬉しい。


ご飯を食べた。舌を噛んだ。嬉しい。


寝た。悪夢を見た。うれしい。


おきた。ころんだ。うれしい。


がっこうにいった。なぐられた。うれしい。


かえった。くるまにひかれた。う…れ…し…




「彼はさぞかしいい人生を満喫出来ただろうね」








おしまい

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