朝・蜃気楼・増える遊び⇒悲恋

「ボク」が生まれて最初の記憶。固くて狭い箱の中から「ボク」を取り出してくれた「キミ」の温かい手。カールした三つ編み。好奇心に満ち溢れた目。天使のような笑顔。今でも鮮明に覚えている。忘れられない。ナイロン毛の脳髄にこれでもかと刻み付けられてしまった。


「ボク」はベッドの上に置かれた。「キミ」が囁く。


「ハロー!私○○!キミは…えーと…テディベアだからテディー!貴方の名前はテディーよ!これからよろしくね!」


「ボク」はテディーになった。テディベアだからテディー。安直と言えば安直。だけどぼくのナイロン毛のまんなかは真冬の暖炉の前みたいにぽかぽかしていた。茶色でごわごわな体。その全部がむずがゆくなった。その時の「ボク」にはこの感覚を表す言葉を持ち合わせていなかった。


「ボク」は「キミ」とたくさんあそんだ。「キミ」が作っていた秘密基地に「ボク」を何回も連れて行ってくれた。お風呂にも一緒に入ってくれた。体がすごーく重くなったのを覚えている。夜はいつも一緒に寝た。朝になって君が保育園に行くのを見送る。その度に体のまんなかの毛がごっそり無くなったような気がした。


ママとパパがいない時の話相手にもなった。有益なアドバイスは出来ないけど。でも「ボク」にお父さんにもお母さんにもしないような話…例えば学校で友達とケンカした話とか…を聞くと「ボク」はとてもうれしくなった。


「キミ」にとって「ボク」はトクベツなソンザイなんだ。そう思った。






「キミ」はたくさんの家族を作ってくれた。一年に一回。大きくて綺麗な木が家の中に飾られる日。「キミ」は満面の笑顔で新しい仲間を連れてきてくれた。ニコラス。ジョン。ケリー。マイカ。アレクセイ…みんな良い奴だ。良い奴なんだ。とっても。


おかげで「キミ」がいなくても体のまんなかの毛がごっそり無くなったようなあの感覚はなくなった。ぼくたちはいつも「キミ」の話をしていた。学校ではどんな子なのか。好きな食べ物は何か。友達と上手くやれてるのか。恋人はいるのか…って話にもなったけど皆うつむいたからすぐ別の話題になった。


「キミ」はとても良い娘だった。増える遊び方について行くのが結構大変だったけど。おままごと。スモウごっこ。飛行機ごっこ。スター・ウ○ーズごっこ。女の子がそんなことするんじゃありませんって叱られてもやめなかったね。今はもう良い思い出だ。


「キミ」は皆に優しかった。一番最初にこの家に来た「ボク」にも。一番最後に来たアレクセイにも。みんなに平等に接していた。秘密基地にもみんなを持って行って友達にからかわれていた。寝る時にはぼくたち皆を布団に入れて寝た。体がみんなより小さいぼくはしょっちゅうベッドからはじき出されて床に追い出された。それも寒い日に限って。


そんな時思い出すのはいつも昔の事だった。「キミ」にとって「ボク」がトクベツなソンザイだった時。「キミ」が「ボク」だけを見ていた時。「キミ」が「ボク」と二人で布団に入っていた時。体のまんなかの毛がごっそり無くなったような感覚。みんなが来る前よりひどくなった気がした。






「キミ」は「ボク」を…いやみんなを見てくれなくなった。学校から帰ってきても白い板ばっかり触る様になってぼくたちと遊んでくれなくなった。ぼくたちはいつも「キミ」の話をしていた。何でぼくたちと遊んでくれないんだろう。ぼくたちが何か悪い事をしたんじゃないか。いくら話し合っても結論は出なかった。皆うつむいた。その内何も話さなくなった。


秘密基地にも行かなくなった。布団にも入れてくれなくなった。代わりにあの白い板に向かって話しながら寝る事が増えた。体のまんなかの毛がごっそり無くなったような感覚。さらに酷くなった。もう空っぽになりそうだった。






ある日。学校から「キミ」が帰って来た。そして息を切らしながら「ボク」を手に取った。ナイロン毛のまんなかがぽかぽかした。茶色でごわごわな体の全部がむずがゆくなった。懐かしい感覚だった。また「キミ」にとってトクベツなソンザイになれる。そう思った。


ビニール袋に入れられた。ニコラスも。ジョンも。ケリーも。マイカも。アレクセイも。みんな同じ袋に入れられた。袋には「燃えるゴミ」と書いてあった。声が聞こえる。「あんた何バタバタしてんの」「ただいまママ。今から友達来るから掃除してんの。ぬいぐるみ飾ってるなんてバレたら恥ずかしいじゃん」


幻想だった。あのナイロン毛のまんなかがぽかぽかする感覚。茶色でごわごわな体の全部がむずがゆくなる感覚。「キミ」にとってトクベツなソンザイになれる。そんな希望。全て夢だった。蜃気楼だった。「キミ」は「ボク」たちが入った袋を持って外に出た。


ゴミ捨て場が見えた。嫌な臭いがする。袋が置かれる。「キミ」はそのまま猛ダッシュで帰った。白い板に喋りかけながら。「キミ」は満面の笑みを浮かべていた。こっちを振り返る事は一度も無かった。








おしまい

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