嫌悪感的ナルシスト!

字幕派アザラシ

嫌悪感的ナルシスト!

 ——スマホ画面がチカリと光り、ネットショップがよこした発送連絡画面が表示された。


 あぁ……また、よく知りもしないのにキャンプ用品なぞ買ってしまっている。


 これはあれか? 最近、雑誌なりなんなりでやたらと宣伝されてるから、簡単に影響されてしまったわけか?


 本当に我ながら意志が弱くて嫌になる。


 はぁ……今月の貯金もこのテントや屋外調理器具で消えてしまうのだ。


 ……まぁいい、こんな日々も今ここで終わりを告げるのから。

 最後の贅沢だと思って目を瞑ろう。


 待ちに待った本日、俺は以前から散々悩まされてきた浪費癖からも、難題からの逃避癖からも、身の丈に合わないグルマン趣味からも後悔しきりの陽キャの集いへの参加からも全て開放されるのだ。


「あー、それでは今から開始します。部屋を少し暗くしますので、スマホの電源は切っておいてください」


 スピーカーから流れるB先生の声を合図に二畳もない狭い個室内の照明が落とされる。


 固いパイプ椅子に腰かけた俺の目の前には等身大の鏡があるのみ。


 ……A先生の元であれだけ時間をかけて解決しなかったのに、本当に大丈夫なんだろうか?


 不安を覚えつつも、B先生の指示通りスマホの電源をオフにした。


「えーではね、さっき飲んでいただいた薬の効果が出てくると思いますので、まずは具現化を意識してください」


 鏡の中の自分を睨みつけ、軽薄で快楽主義の俺をイメージする。


 さぁ、いよいよ俺による俺退治の始まりだ。

 出てこい。出てきやがれ。


 似合いもしない派手なコートを纏って、見栄を張り合うためのパ―ティへ意気揚々と参加する俺よ。


 あぁ、思い出しても身震いしてしまう。

 本来、陰キャの俺にあんな服やあんな場所は似合わないのだ。


「……いや、十分に似合ってたぜ?」


 きたっ!

 覚悟はしていたが、思わず心臓がドキリと跳ね上がる。


「しかし、こんな色気のない、つまらない場所で初めての話し合いをすることになるとはねぇ……。どうだ? こんな馬鹿々々しいことは止めて、どっかに飯を喰いに行かないか? ほら、美味そうなタコスの店があっただろ」


 鏡の中には普段の俺がしない表情を見せつける俺がいた。


 なぁにがタコスだ。馬鹿め。おまえは今日、この個室で消えるのだ。


「出ましたねー。じゃあ、もうちょっとしっかり具現化しましょうか」


 どこかで見ているB先生へ鏡の中の奴が舌打ちする。

 この態度の悪さよ。


 母親が厳しかったせいか元来、お利口さんの呼び声高く、お行儀の良かった俺のもうひとつの顔とは到底思えない。


 そもそも、こいつがどうやって生まれたかはB先生にも分からないらしかった。


 奴をもっと具体的に表現するため、辛かった過去から記憶を辿る。


 最初はそう、大学受験の頃だった。

 プレッシャーに圧し潰され不眠、食欲減退、精神的胃痛に襲われた俺は評判のA先生の医院を訪ねたのだ。


 処方された様々な薬が効果を表したのか、それともA先生の優しい指南が効いたのか、どちらにせよ身体的な不調は改善されたのだが、その時期から俺は息抜きの選択肢として考えたことすらない夜遊びに走り始めた。


 まぁ、今ではこいつのせいだと分かっているが、当時は勉強をしなければならない脅迫感と自分のだらしなさを呪う気持ちでいっぱいだった。


 どうにかこうにか死ぬ思いで第三志望校に受かり、さぁ、人生はこれからだと気張りはしたものの、こいつの妨害は消えることはなかった。


 大学時代もさぼるし遊ぶし、今しかないと言って長期間インドへ行くし、酒の失敗も数えきれないほど起こされた。


 嫌悪感に苛まれる度にA先生を訪ね、心理的には救われていたが、もっと早くセカンドオピニオンを受けていたらと思わなくもない。


 なにしろ、こいつは就職活動中も就職してからも問題ばかりで、もはや俺の自己肯定感はミジンコ以下のサイズだった。


「でも、バラナシは行ってよかっただろ? 

次はモロッコを攻めようぜ?」


 奴がガンジス河の朝日を懐かしむように目を細める。


 確かにあの旅は悪くなかった。

 悪くなかったが、それに伴って出費やら単位やら、突然の失踪による親からの信頼やらが消し飛んだのだ。


「そう言えば、キャンプ道具届いたんだろ? 次の週末が楽しみだな。ソロキャンって言ってもあれか、俺達の場合はソロだが二対だからなんて呼ぶんだろうな、ハハッ。安心しろよ? 諸々の説明は俺が読んでおいたから、お前は適当にキャンプを楽しんでくれりゃいい。ほら、ガキの頃から星空の写真は好きだったろう。あれの本物を見せてやるよ」


 なんだなんだ、こいつはベラベラと。


 なにがキャンプだ。そんなもん資格の勉強から逃げ出す口実じゃないか。


 頼むから節制された俺の生活を返してくれ。


「はいー問題なさそうですね。じゃ、さっき渡したお薬飲みましょうか」


 B先生がついにOK を出す。


 俺の手の中には約5分でこいつを消滅できる薬が握られていた。


 高齢なA先生が引退されるため紹介されたB先生の元へ通院して、たったの一か月足らず。


 一万を超える質問と数回の心理テストで、俺が俺を蔑む原因となった抑えきれない浪費癖や逃避癖は「別人格」によるものだと判断された。


 多重人格としてイメージするような主人格と別人格が入れ替わる式ではなく、どちらもが同時に存在し、声の強い方がその場の主導権を握るというのが俺達らしい。


「中には殺人衝動の人格が出るような人もいるからね、いらない人格丸ごと消しちゃうこともできるんだけど、どうする?」


 もちろん、俺が二つ返事でお願いしたのは言うまでもない。


 あぁ、やっとだ。やっと、こいつから解放されるのだ。


 薬を飲み込んだ俺を鏡の向こうから悲しそうな目が見つめてくる。


「残り5分だったな……。まぁ、仕方ない。おまえの気持ちを優先してやるのが俺の務めだ。どうか、その選択を後悔しないでくれ」


 ん? なにやら奴の様子がしおらしいぞ?

これはアレか命乞い?ってやつか。


「あのな、今更言うのもなんだが、俺が遊び回ってたのは俺が楽しむためじゃない。全て、おまえを楽にしてやるためだったんだ」


 んん?


「ほら、昔っからママに抑圧されてきたせいで、欲望の開放にストップをかけるだろう?

あれをしちゃいけない、これも駄目だってな。なぁ、そんなことしてちゃ、小学校の合唱会ですら胃痛に苦しんだおまえだ。胃にでかい穴が開く日も遠くない。だから、俺がいなくなってもちゃんとストレス解消するんだぞ」


 なんだよ、その心配そうな大人びた顔は。

よせよ、やめてくれよ。


「あぁ、あとな、さっきの服の件だが俺達にはあのくらい明るい色が似合うんだ。頼むからなんでも白、黒、茶色で揃えるのはやめてくれ。折角の可愛い顔が台無しだ」


 ぐはっ! い、今、なんて言った? なんかおぞましいこと言わなかったか?


「ん? まだ分からないか? あのな、A先生に言われただろ? 自分を好きになりなさい、自分を可愛がってやりなさいって。その時から俺は生まれたんだよ。お前を愛し、肯定し、楽しませてやるために」


 ニヒルに笑って、こちらに手を伸ばす姿に何故か脳天が沸騰しそうになる。


 いやいやいや、おかしいだろう? え? いや、おかしくないのか? 自分を好きになるってそういうことだっけ? え? え?


 頭が混乱してくる。


「忘れるなよ、俺はいなくなったとしても、いつまでもおまえを愛している」


 待てよ、うへぇ、なんで俺は赤くなっているんだ? 


 なんで俺はもうすぐ消える自分に愛の告白をされているんだ?


 混乱ついでに思い出したが、A先生は自分のいいところを見つめ、自分を許してほしいとも言ってたっけな……。


 クソっ。なんでここへきて奴が恰好よく見えるんだ?


 いや、よく見なくともいいところだらけじゃないか!

 これは許すしかないじゃないか!


「もうすぐ5分経ちますよー」


 B先生、うるさい!


 焦って俺は鏡へ両手を押し付ける。

 もちろん、奴も、いや彼も両手を押し付けて、お互いの手の平が重なった。


「すまない! 俺はおまえの気持ちも知らないで、なんて馬鹿だったんだ!」


「気にするな。なぁ、キャンプには行ってくれよ? 熊には十分に注意してな」


「おまえと一緒じゃなきゃ……俺はテントの張り方も分からない……」


 フッと彼の顔が緩む。


「大丈夫、おまえならできるさ」


 なんとも優しい顔だった。


 B先生が見ているのも構わず、(当然ながら)同時に唇を押し付け合う。


 鏡へのキスは鏡の味がした。


「あー、強い精神力があるとね、薬って効かなくなるんだよね」


 とのB先生のお言葉通り、5分を超えても、2週間しても俺の中の恋人は消えなかった。


 万歳、精神力。万歳、自己愛といったところか。


 あれから、俺と彼の心の距離はますます近くなり、最近、プロポーズまで受けてしまった。


 どうしても高価な指輪を送りたいというので、今日も俺は照れながら仕事に励む。


 死ですら分かつことのできない俺達はきっと最強のペアなのだろう。

 あぁ、なんとも幸福で仕方なし。


 ……ぬぬぬっ、本当にこれでいいのかな?

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