理想と現実

 それから数日後、レックスはグレースフィールドを離れ、魔族領との国境近くのサカイ砦の門前にいた。

衛兵に対して、自分はレックスであると名乗る。あれだけのの町や村を救ってきたのだ。当然、【勇者・レックス】の名前はサカイ砦にも轟いていることだろう、レックスはそう思っていた。

しかし、予想に反して、衛兵達はレックスの名前を知らない様子だった。

未だに自分の名前が轟いていないことに苛立つレックス。不機嫌な表情を隠さず、自分が勇者であることを衛兵に告げる。


 衛兵は態度を一変させ、砦の指令室へとレックスを案内する。

部屋に入ると、砦の司令官が「勇者殿、どうか我々を助けてほしい。魔族を、倒してくれ!」と言ってきた。

北の魔族領より、一匹の魔族が砦に侵攻してきているとのことだ。

『魔族』という言葉に、レックスの胸が高鳴る。

やっとだ。やっと、魔族に復讐が出来る。14年間待ち望んだ宿敵がすぐそこにいるという事実に興奮を隠せないレックス。

二つ返事で依頼を了承した。


 翌朝、レックスは準備を整えて魔族討伐に向かう。

砦北側の城門を出て、森の中を北へと歩いていく。二時間ほど歩いたところ、レックスの目の前の魔族が現れる。

体長は2メートル程であろうか。人に近い形はしているが、筋肉隆々で屈強な体。全身は青色で、禍々しい雰囲気を纏っている。どうやら、下級魔族のようであるが、レックスがこれまで倒してきた魔物達にくらべれば、かなり手強そうな相手だ。

レックスは魔族に気づかれないように近づいて攻撃の機を窺う。フーッと息を整え、目の前の魔族へと全力で斬りかかる。


――勝負は、たったの一撃で決まった。それほどまでに両者に力の差があったのだ。


 背後から全力で切りかかるレックス。しかし魔族はすぐにレックスの殺気に気づく。レックスの斬撃を難なく左手で受け止め、右足で強烈なカウンターを放ったのだ。

胸部に広がるとてつもない衝撃。レックスは10メートルほど吹き飛ばされる。

衝撃で意識が朦朧としているレックスだが、胸の痛みに顔をゆがめる。

胸部を覆う銀色の鎧が大きく凹んでいる。

胸骨が折れているのだろうか。レックスは立ち上がることが出来ない。

左手を見ると、業物であるはずの片手剣が無惨にも真っ二つになっていた。


 戦闘不能となったレックスに、魔族がニタニタと笑いながら近づいてくる。

14年間の鍛練を全否定するかのような、圧倒的な強さ。絶望的な戦力差に、逃げる気すら失せる。レックスは己の死を覚悟していた。


 レックスに向かってゆっくりと歩いていた魔族が、不意に後ろを振り返る。

視線の先には、4つの人影。その一人に、レックスは見覚えがあった。

王都でレックスが圧勝した勇者の少年。どうやら、勇者パーティーが魔族の討伐に来たようだ。


 新たな獲物を見つけ、邪悪に口元を歪める魔族。

自分でも全く歯が立たない魔族に、貧弱な勇者が敵うはずがない。

しかしながら、胸骨が折れているレックスは、「逃げろ」と消え入りそうな声で呟くのが精一杯であった。


 一方の勇者は、ボソボソと仲間たちに何か話しかけている。指示を出しているのだろうか。どうやら、魔族と戦う気のようだ。

仲間たちがコクンと頷き、戦闘態勢をとる。


 魔族も、ターゲットを勇者達に切り替えたようだ。ものすごい速さで勇者たちに向かって走り出す。瞬く間に勇者と魔族の距離が縮まる。一秒後の凄惨な光景を想像するレックス。

しかし、目の前で繰り広げられたのは、レックスの想像とは全く異なる現実であった。


 魔族が突進を始めると、すかさずマジシャン風の少女が氷魔法を唱える。狙いは魔族の左足。全速力で駆けている最中、急に足元を凍らされた魔族は、盛大にバランスを崩す。なすすべもなく地面に倒れ込み、無防備な背後をさらす。


 地面に向かって突伏している魔族の背後には、甲冑を着た戦士風の大男が既に構えていた。魔族が転倒することを予測していたのであろう。絶妙なタイミングで斧を振り下ろす。

魔族は防御も間に合わず、ノーガードで背中を斬られる。

しかしながら、それほど大きなダメージには至らなかったようだ。魔族は起き上がり、戦士風の大男に反撃しようとするも、すでに男は距離を取っていた。


 間髪をいれず、小さな火球が魔族の顔面を直撃する。勇者がファイアーボールを放ったようだ。ファイアーボールの威力は弱く、魔族にダメージはない。だが、火が顔面近くの酸素を焼き尽くし、魔族が呼吸困難を起こしている。地面をのたうち回り、何とか火を消す魔族。


 息も絶え絶えの魔族が立ち上がると、勇者は左手で自分の胸をドンと叩く。どうやら、魔族を挑発しているようだ。

魔族は怒り狂い、勇者に向かって全速力で突進していく。

獲物を逃さんと目を大きく開き、雄叫びを上げなら攻撃を仕掛ける魔族。

すると、勇者の背後からプリーストの女性がヒョイと現れ、魔法を唱える。

「ホーリーライト」

女性の体が大きな光に包まれる。その光を直視した魔族は目を押さえ、倒れこむ。

仰向けになり、無防備に首筋を晒す魔族。

すかさず、勇者が魔族の喉元に向け、聖剣を振り下ろす。

魔族の頭部は胴体から切り離され、魔族はあっけなく絶命した。


――なんなんだ、この戦いは。レックスはあっけに取られていた。

正直、勇者たち一人一人の力は、全くもって大したことがない。

マジシャンが繰り出したアイスバインドは中級魔法。魔力も大したことはなく、魔族に毛ほどの傷をつけることも出来なかった。

戦士の攻撃力も程度が知れている。無防備の魔族に致命傷を与えられなかったのだから。

プリーストのホーリーライトは初級魔法。

勇者に至っては、事実上聖剣を振り下ろしただけだ。それ以外は挑発しかしていない。しかも、剣の太刀筋は相変わらず鈍い。魔族を仕留めることが出来たのは、聖剣の攻撃力のおかげであることは明らかだった。


 負傷しているレックスは勇者たちに連れられてサカイ砦へと戻った。勇者パーティーのプリーストが治癒魔法をかけてくれたおかげで大分楽にはなったものの、足取りはまだふらついている。

砦に着くと、勇者が討伐した魔族の首を掲げる。それを見た砦の兵士達が歓声を上げる。

勇者の功績を称える兵士に、満面の笑みで応える勇者たち。勇者の仲間たちが、勇者を取り囲んではしゃいでいる。三人の表情は、勇者への信頼で満ち溢れていた。

その一方で、レックスは下を向き、唇を噛んでいた。なぜ、弱い勇者が魔族を倒せて、自分は何もできずに負けたのだろうか。いくら考えても分からない。オレは、自分で思っているほど強くないのか?オレには、魔族を倒せる力がないんじゃないか?そう思うと、ひどく怖かった。『自分は才能があり、力をつければ魔族も倒すことができる』レックスは今まで、そう信じて疑わなかった。自分の信じていた世界観がガラガラと崩れていく。レックスは完全に自信を失っていた。


 下を向いているレックスに、指揮官が語りかけてくる。

魔族討伐の宴を開くので、ぜひ参加してほしいとのことだった。

とてもじゃないが、宴に参加する気にはなれなかった。

自分が勇者を名乗っていたことが、今ではひどく後ろめたく感じる。

今朝までは、自分こそが真の勇者であると強く信じていた。意気揚々と魔族に闘い、手も足も出ずに惨敗した自分が情けない。その上、格下と侮っていた勇者に命を救われたのだ。

それが、酷く惨めだった。

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