タイム・ストップ・ラン
私には時間を止める能力がある。
それに気付いたのは小学生の頃だった。
アニメの敵がカッコいい決め台詞とポーズで時間を止める。それを見て自分もマネしたくなった。
目を閉じて念じる。時間よ止まれ。ぬぬぬぬぬ。
目を開ける。何も変わっていなかった。本当に。
たっぷり5分は念じたはずなのに。目を閉じた時流れていた次回予告はまだ終わっていなかった。
何かの間違いか。もう一回やってみる。
目を閉じて念じる。時間よ止まれ。目を開けた。
やはりまだ次回予告は終わっていない。不敵な笑みを浮かべた敵が不気味な笑い声を上げている。
どうやら私は目を閉じている間だけ時間を止められるらしい。
色々試した所
・目を閉じて念じている間だけ時間が止まる
・その間物を動かす事は出来ない
である事が分かった。
そこからは色々な事をした。
まず手始めに友達に見せびらかした。目を閉じている間に動いて瞬間移動だぞ~と驚かせた。目を開けた瞬間トラックにひかれそうになったり変な噂が立ちそうになったのですぐ止めた。
移動時間がもったいなくて時間を止めながら移動した。部屋のドアが開かなかった。ドアを開けて時間を止めたら玄関のドアが開かなかった。導線を確保してから時間を止める癖がついた。
学校まで時間を止めて通おうとした。自転車が使えない事に気付いた。歩いて行こうとしたが家を出てから100mで自分の場所が分からなくなった。目を閉じて歩くのは危ない。当たり前。
宿題が終わらず時間を止めて夏休みを延ばそうとした。目を閉じたまま宿題は出来ない事に気付いた。ならばと開き直りゴロゴロしたが音楽も聴けずテレビも見れず非常に暇なのですぐ止めた。
卒業したくない余り卒業式の前日に時間を止めた。結局体感48時間を超えた辺りで寝てしまった様で気付けば当日の朝になっていた。卒業式はつつがなく行われた。
中学に入学した。部活は陸上部に入る事にした。走る事自体は割と好きだったしここなら自分の時間停止能力も生かせると考えたからだ。
と言っても競技でズルをする訳では無い。大体衆人監視の中で人が瞬間移動したらその場で即刻実験室行きである。
陸上の短距離走の練習は100mレーンをまっすぐ走る事が出来れば文字通り目を閉じながらでも行える(筋トレ等を除けば)。つまり気力さえあれば無限に練習出来るという事だ。
これが他の競技であれば話は別。球技はもとよりあらゆる個人競技の中でも目を閉じながら練習出来る競技というのは限られる。選択肢の少ない中学の部活であれば尚更である。
勿論入るまでは一片の不安もあった。しかし入部し練習を積むたびにそんな不安はどこかに消えていった。そしてみるみる短距離走の魅力に飲み込まれていった。
目を閉じると何も聞こえない。何も見えない。その中を全力で走ると空気が私を行かせまいと体にぬめり付くのがよく分かる。息を目一杯肺に取り込むと季節いや一日毎に空気の匂いが違う事が分かる。
走り切った後の心地よい疲労感は時間が止まった世界の中で自分の生を実感するには十分すぎる代物であった。水を飲むと体中の細胞にそれが染み渡るのを感じる。練習にのめりこむ内に私のタイムはみるみる向上した。
一年生ながら市大会を優勝し県大会に駒を進める。二年生時は県大会入賞。全国大会は惜しくも届かなかったものの私の成長スピードから三年時の全国大会出場はほぼ確実視されていた。
中学生最後の年を迎えた。
先輩達が引退してから何故か私がキャプテンを引き受ける事に(あれだけ嫌だって言ったのに!)なり練習メニューやらモチベ維持やら人間関係やらについてあれこれ考える必要が出来た。練習の時間が減った。気苦労ばかりが増えた。
二年の大会後から記者の人達が時々取材に来る様になった。弱小校の有力選手というのはエンタメ性(?)があるらしい。友達や先生にも心なしか「凄い人フィルター」を通して見られている気がする。重圧以外の何物でも無かった。
所々の筋肉が痛む様になった。親に言われて渋々病院に行った。オーバーワークによって筋肉が痛んでいるらしい。あなたの体格・筋肉量で出来る練習量・成長率には限界がある。ストレスも溜まっているんじゃないか。もう少し休息を取った方が良い…
ショックだった。静止した時間の中で100mを走る。あの素晴らしい時間を取ったら自分の生活に何が残るのだろう。体格・筋肉量には遺伝が大きく関係する。そんな物に自分の限界を決められるのか。もしストレスに負けて全部投げ出して只の人になったら皆は私をどう見るのか…
そんな事ばかりが頭をぐるぐると巡った。悩む時間が無駄だと考え目を閉じ時間を止め不安が消えるのを身を縮め膝を抱え待った。しかしその時が来る気配は一向に無くむしろ不安が膨れ上がる様にさえ思えた。無限にも思える時間が過ぎた。
考えるのをやめた。動く事にした。キャプテンとしての仕事をこなし友人先生の期待のまなざしを受けいつも通りの練習量を自分に課した。筋肉の痛みは更に増していった。頭にもやが掛かり胃が痛くなった。胃薬を飲んだ。
大会当日。スタートラインに立つ。目を閉じる。視線が体を刺してくる。胃を刺す。胃が痛い。頭を刺す。頭が痛い。全身を刺す。全身が痛い。痛い。痛い。助けて。助けて。
ピストルが鳴る。地面を蹴る。走る。空気が私を行かせまいと全力で抵抗するのを感じる。息を吸おうとしたが体中が痛くて吸えない。七歩目。八歩目。踏み込む。蹴り出す。太い輪ゴムが切れる様な音がして足が動かなくなった。レーンに頭から突っ込んだ。鼻が痛い。
ベッドに居た。カーテンを隔てて声が聞こえる。
「右膝前十字靱帯損傷半月板断裂ですね」
長い。言葉遊びでもしているのだろうか。
「手術が必要です。走れる様になるまでおおむね6ヶ月程度かかります。またリハビリも必要になります。中学3年生という事ですので進学される地域によっては他病院への相談を…」
何を言っているのか分からない。
目を閉じて時間を止める。早く会場に戻らなければ。油を売っている暇は無い。立つ。
「~~~~~~~~~~~~ッ」
痛い。痛すぎる。痛いより数段上の何かだ。脳が苦痛で埋め尽くされる。
「お、起きたか」
カーテンが開く。白衣を着た男とお母さんとお父さんが居た。何故か皆一様に悲しそうな顔をしていた。
「大会は?私、走らなきゃ」
「あ、あの、いや…」「貴方は」白衣が被せる。
「もう走れない。少なくとも中学生の間はね」
リハビリは辛い。その辛さは体力の負担そのものと言うより自分が何も出来ない様を毎日毎日見せつけられるという精神面の部分が大きかった。
あれからよく走る夢を見る。空気が絡みつき全身が酸素を求めるあの感覚。膝の痛さで目が覚める。筋肉が殆ど無くなった私のヒョロい足を見ると吐き気がこみ上げてくる。
夜はやる事が無い。持ってきたマンガはとっくに読んでしまった。頭を空にしていると悪い奴等が忍び込んで来る。
今までやって来た事は何だったんだ。皆が私に無責任に期待を押しつけたのが悪い。私はただ走りたかっただけなのに。いや皆は悪くない。わかっている。わかっている。
そもそも走りたいなんて思ったのも私が時間を止める能力を持っていたからだ。時間を止めるなんて能力が無ければ走る事も無かった。そうすればこんなケガしないで、他の部活で、キツい練習なんか無くて、友達と帰りにマック寄って、青春して…
能力が無ければ。そう思う時間が日に日に増えていった。あの日以来あの能力を使うことは一切無かった。そもそも時間を止めたいと思う事が無かった。只々時間が早く過ぎ去る事、それだけを望んでいた。
半年が経った。振り返れば短かった様な気もする。
ケガはある程度落ち着き短い距離であれば走れるであろう所まで戻っていた。最も私にそのつもりは毛頭無いが。
今日は卒業式の練習だ。雪を蹴りながら校舎へ向かう。車で送るとも言われたがこんな日位歩きたいと断った。歩いて通うのは久しぶりだ。
小学生の集団が横断歩道で信号を待っている。どうやらプチ雪合戦をやっている様だ。小学生というのはどうしてああも元気なのだろうか。私にも元気を分けてくれ。
その内メガネをかけた小柄な子に的が絞られた。メガネ君はどんどん車道側に追いやられていく。やめたれよ全く。心の声とは裏腹にメガネ君は足を滑らせ交差点に飛び出してしまった。
トラックが交差点を通過するのが見えた。
叫ぼうとしたが止めた。もうブレーキをかけても雪で滑って止まらない。路上に弾き出されたメガネ君と目が合った。
目を閉じて念じる。時間よ止まれ。
壁伝いに小学生の集団の所までたどり着いた。薄目を開けたいが開けた瞬間時間は動き出す。その後の事は想像もしたくなかった。
集団からナナメ前。メガネと肌の感触。最悪の事態には至っていない様だった。周辺を手探りで調べる。メガネ君の10cmもしない所までトラックが接近していた。
すぐにでも移動させたい。しかし静止された空間で物質を動かす事は出来ない。つまりメガネ君を救うには時間停止解除と同時にメガネ君を移動させる必要がある。
問題はその方法である。手で突き飛ばそうとも思ったがトラックが予想以上に大きい為難しそうだ。そうなると私が全速力でメガネ君に突っ込み反対側の歩道にダイブする。この方法が一番マシに思えた。
やるしかない。助走を付けるために距離を取る。メガネ君の所で最高速を出せる様に。頭が混乱してくる。呼吸が浅くなる。自分が何処に立っているか分からなくなりそうだ。
頭を空にする。悪い奴等が忍び込んで来る。本当に出来るのか。上手くいかなかったら犬死にだ。ケガが悪化して一生歩けなくなるかもしれんぞ。また能力に人生を振り回されるつもりか。顔見知りでもないだろう。ここで見捨ててもお前に非は無い…
それでも、それでも。私はやらなければならない。
仁義道徳の様な立派な物では無い。ここで見捨てたら今まで私がやって来た事、時間を止めて何かを変えようとしてそれでも変えられなかった事、他の色々な物を捨てて走ってきた事、をこの半年の様に恨み続けながら一生過ごさなきゃいけない。それは、とても、辛く、苦しい。
そんな私は嫌だ。そんな私から抜け出す。そのために私はメガネ君を助ける。悪い奴等はそれは只のエゴだろうと言い残し去って行った。エゴで結構。スタートの構え。距離73m。追い風1.5m。障害無し。
「on your mark. Set. ドン」
卒業式当日。
送辞答辞卒業証書授与校歌斉唱など退屈すぎてあくびが出るような工程をクソ真面目にこなす。正直飽きた。私は卒業生だからまだ良いが在校生絶対退屈でしょコレ。こんな茶番に付き合わせてスマンな後輩共よ。
見知った顔がいくつかあった。陸上部の後輩だ。余り顔は出せていなかったが練習の方はなんだかんだ上手くやっているらしい。少なくとも私のキャプテンよりは良いとか。うるさいやい。わたしゃ人を引っ張るのは向いてないんでい。てやんでい。
あとは高校入試の結果を待つだけか。推薦の話も全部お流れになっちゃったから一般で行くしかないのが辛い所。まあしゃーないすね。
諸々のイベントを終え帰り道。家の前に小さな人影があった。
「あ、あの、ぼ、ぼく…」
「おーいつぞやの。元気してる」
「ハ、ハイ!あ、あの、た、たすけてくれて、ほんとうに…」
「いーのいーのお礼なんて。私が救われたような物だし」
そう言うとメガネ君はよく分からないという顔をした。そしてランドセルから何かを取り出した。
「あ、あの、これ…」
「おー何コレ。手紙?どれどれ」
“たすけてくれて ありがとう”
「せんせいにきいたら かんしゃのきもちをつたえるときは てがみをかくんだよって… あれ どうしたの?」
「んーん。何でもない。私花粉症なんだ」
おしまい
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