完璧主義者
しかし文というのはままならぬ物である。長すぎればクドさが増すが短すぎれば物足りぬ。固すぎれば歯が立たぬが柔らかすぎれば揶揄される。
どこかの偉人が中庸を以て良しとするとか言っていた気もするが言うは易し行うは難し。空気の様な文を追い求め書き手は常に苦心する。今作の主役包装氏もその一人である。
ドが付く程の偏屈作家包装氏は既に完成された原稿を前にうんうんと唸り声を上げていた。締切は目前に迫っておりひび割れた黒電話は鳴り止む事を知らぬ。間違い無く彼奴からの原稿の催促であろう。
ここでの彼奴は言うまでも無くあの忌々しい編集者陽氏を指す。彼奴は自分の熱意やら言葉が私の能率を向上させるとでも思い込んでいるらしく締切間際になると催促の電話を一日中入れる上に会えば計画性を持て妥協を覚えろ完成してるなら出せ等の世迷言をぬかしやがる。
私が満足出来ぬ文を出して何が作家か。文は芸術。句読点の位置や文末の言い回し一つでその作品の出来が決定する。文には一部の隙もあってはならないのである。
昔の偉人は神は細部に宿ると言ったが正にその通り。文は完成がスタートライン。現場百回ならぬ推敲百回である。いやそれでも足りぬか。時間なんぞ掛かって当然であろう。
だがしかし世の人間は俗物ばかり。仕事の打ち合わせで一短編に最低二年長編なら最低十年掛かると言ったら相手方に鼻で笑われその話はお流れになった。
実を言うと今回の仕事はあの陽氏が独断で引き受けた物である。彼奴曰く超短編なら貴公でも書けるだろうとの事。
また世迷言をと思ったが実際仕事が無く経済状況が苦しいのも事実。何より一度受けた仕事を断るとあっては私の沽券に関わる。
これも運命か…と思い重い腰を上げ着手したは良いものの完成後十回も推敲出来ぬ内に締め切りを迎えてしまった。
不完全な文を出す位なら出さぬ方がマシとも思ったが締切を破ればその悪評は瞬く内に広まり私の仕事は完全に途絶えるであろう。
自尊心を取るか実利を取るか。いやどちらも捨てられぬ。全く何もかも時間が足りんのが悪い。これでは推敲百回など夢のまた夢。時間さえあれば。時間さえあれば…。
朝の日差しで目が覚めた。どうやら寝ていたらしい。さて出版社に謝りに行くか…などと考えていた所である違和感に気付いた。昨日あれだけやかましく鳴り響いていた黒電話が止まっているのである。
奇妙に感じつつ朝刊を手に取る。何処かで見た記事だと思ったら昨日の記事そのままであった。日付も昨日の物。テレビを付ける。これも昨日と全く同じ。慌てて陽氏に電話をかける。
「もしもし。締切の件だが」
「どうしたんですか先生。締切を伸ばしてくれとでも?駄目ですよ。締切は今日。これ以上一日たりとも伸ばせません」
電話を切った。どうやら締切当日にタイムスリップしたらしい。まさか時間さえあればという愚痴が神にでも届いたというのか。いや非常に助かる。普段であれば色々と疑い調査する所だが締切当日なら話は別。早速十回目の推敲に入る事にしよう。
また朝の日差しで目が覚める。二十回目の推敲終了直前に眠ってしまったらしい。そしてまた黒電話は鳴り響かない。テレビや新聞の記事も締切当日のそれである。念のため陽氏に電話をしたがやはり締め切りは今日であった。
流石に少しうすら寒い物を感じる様になってきたが締切当日の焦燥感はそれをはるかに凌駕する。二十回目の推敲に入ろう。
また目が覚める。黒電話は鳴り響かずテレビや新聞記事も締切当日のまま。陽氏に電話をしたがやはり締切は今日であった。ここでいつぞやの愚痴の内容を思い出す。
(全く何もかも時間が足りんのが悪い。これでは推敲百回など夢のまた夢。時間さえあれば。時間さえあれば…)
あの愚痴が聞き届けられたのであれば推敲百回を達成するまでこの日を繰り返すという事になりはしないだろうか。いや恐らくそうだ。間違いない。
私がもう少し不真面目であれば推敲などせずにこの日を飽きるまで満喫しただろうが私の中に巣食う自尊心がそれを許さなかった。三十回目の推敲に入る。
また目が覚める。百回目の推敲を終えたにも関わらず事態が好転する気配は無く黒電話は鳴り響かずテレビや新聞記事も同じで締切は今日であった。
流石にここまで来ると焦りの感情が強くなってくる。手掛かりを求めてこの奇妙な現象が始まる前の記憶を掘り返す。すると思い当たるフシが一つあった。
(私が満足出来ぬ文を出して何が作家か。…文には一部の隙もあってはならないのである)
これも聞かれていれば私は自分が満足できる完璧な文を仕上げるまでこの日を繰り返す事になる。なんて話だ。私とかいう完璧主義批評家は控えめに見ても読者の百万倍は厳しい。
私が満足できる完璧な文を書き上げられる日は何時になるだろうか。いやもしかしたら一生来ないかもしれぬ。もしそうなったら…。急速に拡大する負の思考を無理矢理停止する。百一回目の推敲に入る。
目が覚める。締切は今日。つい先日一万回目の推敲を終えたも関わらず事態は全く変化を見せなかった。
ここまで来ると私の思考にもいくばくかの変化が起こる。別に文なんて完璧じゃなくても良いではないか。意味が通じればいいんだよ意味が通じれば。
そもそも完璧な文って何だって話。そんな物存在しないでしょ。うん。ぶっちゃけ句読点が少々ガバってようが言い回しが少々雑だろうが理解出来れば良いのだよ。フィーリングで頑張ろうフィーリングで。
なんやかんや言う人間はふ~~~~~~~んつってスルーすりゃ何とかなるっしょ。ニコ動にも嫌なら見るなとかいう超パワーワードがあるし。あの言葉自体はあんま好きじゃないけど。
なんかそう考えたら楽になった。推敲めんどくさ。寝よ。
という訳で自分の作品への評価がクソ甘くなったんで現実世界に戻って来たよ~~~~~~~~って話。よかったね。おわり。
「…包装氏。何ですかこれは」
「何って超短編の原稿だけど」
「最後のシメは何なんですか」
「面倒臭かったから適当に書いた」
陽氏の顔がみるみる赤く染まる。心なしか頭から湯気が立っている様にも見える。
「じゃ後はよろしく」
「書き直しです」
「は?」
「書き直しです」
「そりゃないよ全く」
おしまい
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