先ほどはフォロワーありがとうございました。どんな方がフォロワーしてくださったのか知りたくて,こちらの作品を拝読させていただきました(ストーカーみたいですね。不快な想いをさせてしまったらごめんなさい💦)。
正直まだここまでしか読めていないのですが,どうしてもコメントしたい!と思い記載させて頂きました。
幸せになれないのは自己責任では?という問いに対して,「親や生まれてきた場所。時代。運。そういった個人の力ではどうしようもない要因も重なり結果を生んでいるから」自己責任ではないと考えているところが特に印象に残りました。
私自身,そのように感じています。最近読んだ「「心は遺伝する」とどうして言えるのか」でも,人の行動や性格と遺伝子の関連が記載してありました(これは余談です)。
できることや気力のある人に対して「自己責任だ」と言うのは場合によっては慰めになるかもしれません(それでも強い言葉だと思います)。しかし十分に藻掻いた人やその元気が湧いてくれない人に対して「自己責任だ」なんて言うのはあんまりじゃないかな…と思います。
最近では「メンタルの強さ」が求められていると感じています。カクヨムでもメンタルの強い主人公が人気なように思いますし,私自身,逆境に足掻く人間を書くのが好きです(そこに主人公の未熟さや弱さがあればもっと好きです)。
でもそれって「メンタルが弱い」のは悪いことみたいな印象を与えるのではないかな,と時折思います。そもそも出来事の質(例えば就活,ペットの死など)によってその人の耐性は違うんじゃないのかな,メンタル一言で片づけるのは乱暴じゃないかな,とも思います。
長文になってしまい申し訳ございません。素敵な作品をありがとうございました。
(p.s.『一冊の本は延期された自殺だ』って素敵な言葉ですね)
作者からの返信
ご丁寧にコメントしてしていただき、ありがとうございます
フォローを貰うと相手方が気になるのは私も同じなので起きなさらずに
しかもフォロー理由も無作為でもフォローしたりしなければ作品宣伝ができないからといった理由のものですので、むしろこちらの方こそ失礼いたしました
私個人のとしても無作為フォローは相手側にはあまり良くないであろう事は重々承知していますが世の中というのは品行方正に生きた所で金を稼げなければ結局のところ誰も評価しないので嫌々ながらも割り切って行っています
資本主義社会において、利の無い正義は真の義にあらず、利を伴っているだけでも真の義にあらずですからね。金への執着心が醜い物という価値観にいつの間にか染まった人間にはキツイものです
自己責任論に関して悩んでる人には私は、あらゆる要因が重なり合う以上、責任を果たしても運がなければそれだけで報われないと言っています。チャンスが巡ってくるかは生き続けていく以外に確認しようがないと
死後の救いが科学的に証明できない以上生きてくしかないと
メンタルの強さ弱さに関して私から言える事は自らが持つ性質から富を作れるか否か重要であってメンタルが弱かったとしても利益を作れるならソレで良いと思ってます(できても周囲は嫉妬して攻撃される可能性はあるでしょうが)
偉人って結構メンタル弱かったりしますしね。『失敗図鑑すごい人ほどダメだった!』著:大野正人 文響社の本なんか見ると少しは気持ちも楽になると思うのでオススメです
自己責任とはなかなか酷い話ですよね……。先祖が皮革業やってりゃあなたがエタといわれるのは先祖の自己責任だよ、とも言えます。これは家族自体が一つの存在であるとすればの話ですが。
自分としては、みなの自己責任を相殺する形で互いに助け合うべき、と考えています。その自己責任の手助け、(もしくは補助金)の不平等さには目をつぶるべきでしょう、とも。
拙著の『生命倫理について』の方でも生命の価値については申し上げています。よかったら。あと、『一盃口のテーマ集』の二話にもそれの補足事項があります。