第24話 聖剣フレアード
「……また、愚にもつかぬ竜騎士の候補者とやらを連れてこられたのですかな? 陛下?」
大神官の開口一番がそれであった。
白いあごひげを生やした大神官は、細身で背が高く、背筋はぴんと真っ直ぐで、最高官位を示す緋色の神官服を身にまとっている。年輪を刻み込んだ風格ある顔つきと相まって、国王とはまた違った貫禄があった。
大神官が一行に冷たい一瞥を送る。
「……いい加減にしていただきたいものですな、陛下。こちらも暇というわけでは、けっしてありませぬゆえ」
丁寧な物腰だが、国王と同等の権力をもつ大神官の言葉は、あくまで堂々たるものだった。文句の言葉も遠回しではなく、そのものずばり核心をついてくる。
「……見たことのある人物も混ざっておりますな、陛下。そこなベンジャミン・グリーンなる者は、不敬にも聖剣を盗み出そうとした者の弟子……。一体今度は何を企んでおるやも分からぬ者と一緒とは……陛下もとうとう血迷われたらしい」
「いや、しかしだな、大神官……」
「陛下。これ以上は無駄でしょう。竜騎士の生まれ変わりなど本当にいるのでしたら、私も是非ともお会いしたいと思いますが、これ以上の戯れ言はごめんこうむります。では、失礼。まだ仕事が残っております故……」
大神官が立ち去りかけ、ベンジャミンが慌てて呼び止めた。
「大神官様! お待ち下さい! 彼は本物です! 本当に、本物なんです! どうか、どうか、お願いします! 今一度お慈悲を!」
ベンジャミンの必死の叫びに、大神官が足を止めた。
「どうか、お願いします! お慈悲を! 大神官様!」
深々と頭を下げたベンジャミンに、じっと視線を送った大神官は、やがてふうっと小さく息を吐き出すと、
「……竜王様の御名において、慈悲を与える。ついて参れ」
簡潔にそう告げた。ベンジャミンはぱっと顔を輝かせる。
「あ、ありがとうございます!」
大神官の案内でたどり着いた先は、静謐な場所であった。
幾つもの柱が建ち並ぶ地下祭壇は、これまた巨大な空間で、ただそこに立っているだけで圧倒される。その中央には、聖剣が奉納されている祭壇が設けられており、その上に日の光が差し込んでいる様は、幻想的で美しい。
ジュドーが祭壇の前に立つと、白い神官服を身に着けた男性が、うやうやしい仕草で聖剣を櫃の中から取りだし、ジュドーの前に差し出した。
ベンジャミンがジュドーにぼそぼそ囁く。
「大丈夫だよ、ジュドー君。ほんの少しの間だから、辛抱して……。剣を鞘から引き抜いたら、すぐ手を放して良いから」
そんな指示を出す。ジュドーは気が進まぬ様子で、聖剣を眺めた。
柄頭に竜の頭部を模った飾りがついている以外、飾りらしい飾りもない簡素な作りである。恐怖心にも似た胸の動機を覚えるが、これで最後だと自分に言い聞かせ、ジュドーが震える手でそれを手に取った。
そこへ、ライラの大声が木霊した。
「ベンジャミンー、あんなー……」
途端、しーっという声と共に、神官達の非難の眼差しが、ライラに集中する。
「ライラ殿。お静かに願いたい。ここは聖域ですぞ。私語は禁じます。とくに大声を張り上げるなどもってのほかです」
厳しい態度で神官達に睨まれ、
「あ、あ、あの、でも……あの、な……」
ライラは何かを言おうとするが、神官達のきっつい目線で黙らされてしまう。
結局、ライラはしおしおといった風体で引き下がった。もごもごと口の中で何かを呟きつつ……。そんなライラの態度をベンジャミンは不思議に思うも、直ぐジュドーの方へと意識を戻した。感動の瞬間である。見逃したくはない、そう思ったのだ。
ジュドーは吐き気を覚えつつも、剣の柄にぐっと力を込める。
――……抜けない。
そう、抜けなかった。剣は鞘からびくともしない。
その事実にジュドーはほっと安堵し、念の為にもう一度力を込めてみる。確かに抜けない。その事実を再確認したジュドーは、心底喜んだ。大きく息を吐き出し、いまだかつてない笑みが口元に広がった。
まさに満面の笑みである。
よかった! ほんとーに良かった。これで村に帰れる。そんな思いで振り返り、聖剣をベンジャミンの方に突き出すと、高らかに宣言した。
「ほーら、抜けなかったぞ、ベンジャミン! これでお役ご免だな? はっはっはっ!」
途端、ベンジャミンが目を剥いた。
「ちょ、ジュドー君! 何なの! その、さわやかー、かつ、朗らかーな笑顔は! 違うでしょ! 真面目にやってよ、真面目に!」
悲鳴と怒声が入り交じったような声だ。ベンジャミンがずずいっと押し迫る。
「いや、だから真面目に……」
「真剣に! お願いだから! ちゃんと力を入れて! ここで手を抜いたりしたら、僕、本気で恨むよ?」
「分ーかった、分かった。泣くな! 頼むから! 力一杯やりゃーいーんだろ? やりゃー……」
本気の涙目で押し迫るベンジャミンの頭を、ジュドーは後方へぐいっと押しやった。ほんっと面倒くせー奴と思いつつも、ジュドーは今一度剣の柄に思いっ切り力を込めた。
そう、思いっきり。
怪力のジュドーが容赦なく力を込めたのだ。
途端、ばきっという破壊的な音と共に、ジュドーの思考が一時停止した。それは恐らく眼前の光景を目にしたベンジャミンや神官達もそうであったろう。なんとあろうことか、聖剣の柄部分が、すっぽり刀身から抜けてしまったのだ。
しんっと静まりかえった中、
「わりぃ、壊れた」
ジュドーのそんな声が響く。
声なき悲鳴がベンジャミンから漏れた。
「うっそー??? 壊れた? 神具が? そんなはずないよ!」
「そんなはずねーって言われても実際……」
「だから! 神具が壊れるはずないって! 聖剣は竜王バルデルが息子の為にって、自分の炎を使って、自分自身の手によって鍛え上げたんだよ? 言うなれば、竜王バルデルの分身みたいな物だよ! そんなものを何処の誰が壊せるっていうのさ? 絶対無理、ありえない!」
「いや、そう言われても……」
ベンジャミンの背後にこっそり忍び寄ったライラが、ひっそりと言った。
「ベンジャミン、それ、偽物」
「……は?」
「だから、偽物。お前、本物目にしたことないんだな?
「なぁ」
ベンジャミンが驚愕する暇もあらばこそ、勝ち誇ったコルネール大臣のだみ声が響いた。
「ほら、ご覧下さい! 陛下! あの者は、聖剣を引き抜けなかったばかりか、それを破壊した不届き者ですぞ! 即刻引っ捕らえて……」
コルネール大臣のだみ声をさえぎったのは国王ではなく、厳めしい顔をさらに険しくした大神官であった。
「お静かに願いたい。大臣殿。ここを何処だとお思いか。神殿の深奥、聖域ですぞ。場所を弁えていただきたい」
不愉快さを押し隠そうともしない大神官の威圧ある声に、コルネール大臣もぴたりと口を閉じた。次いで大神官は、ジュドーが手にしている聖剣を手に取り、しげしげとそれを眺めた。
やがて、大神官の険悪な眼差しが、先程聖剣を櫃から出した神官に向けられた。途端、真面目な好青年といった神官の顔が、一気に青ざめる。
「……エリアス? これは一体どういう事だ? 櫃の管理をしていたのはお前だな? そして今、聖剣を櫃から出したのもお前……。正直に申せ。一体これは何の真似だ? これは真っ赤な偽物。祭りの時に使う模造品ではないか。返答次第によっては、破門も辞さぬからそう思うがよい」
厳しい大神官の視線にさらされたエリアス神官は、跪き、許しをこうた。
「お、お許しを! 大神官様! た、頼まれたのでございます。今度やってくる竜騎士の候補者が、万が一にも目通りを許された場合は、偽物にすりかえるように、と」
「頼まれた? 一体誰に」
「そ、それは……コルネール大臣……」
「で、デタラメだーーーーー!」
悲鳴にも近い大臣の怒声が飛ぶ。皆の非難の視線が集中する中、コルネール大臣は慌てふためきつつも、そらっとぼけてみせた。
「い、い、言いがかりも甚だしいですな! 私がいつそんな真似を……。そ、そこの神官が罪を逃れようとして、嘘八百を並べ立てているだけだ! い、いや、きっと私を陥れようという誰かの策略に違いない!」
「お静かに、大臣殿」
鋭利な大神官の一言に、再びコルネール大臣が口を閉じる。
「して、その話が事実だとして……お前はなにゆえ、そのような不届きな頼みを引き受けたのか、申せ」
「……お、脅されたのでございます。大神官様。も、も、申し訳ございません。さる婦人と私は不倫関係にございまして、そ、その事を知っていたコルネール大臣が、言うことを聞かなければ、それを大神官様にばらす、と」
「なんとまぁ……二重の不敬を働きおって」
大神官があきれかえったように言う。
「……そなたに対する罪状の是非は後に回すとして、本物はどこにあるのだ?」
「お、同じ櫃の中にございます。一度も外へなど出してはおりません」
エリアス神官がそう告白する。
「……して、大臣殿。何か申し開きすることはありますかな?」
「申し開きも何も、まったく身に覚えがなく……」
大神官の冷ややかな問いかけに、コルネール大臣は冷や汗を掻きながらも、しどろもどろにそう答える。
「……衛兵。コルネール大臣を拘束しろ。追って沙汰あるまで、謹慎処分とする」
「へ、陛下! わ、私は無実でございます!」
国王の命令を耳にしたコルネール大臣が、悲鳴を上げる。
「言い訳など聞きたくもない! 恥をかかせおって! 連れてゆけ!」
「は!」
二人の衛兵が敬礼し、即座にコルネール大臣を拘束すると、外へと引っ立てていく。「陛下、私は無実です! 何もやってはおりません! 」というコルネール大臣の悲鳴と共に……。
再び静寂を取り戻すと、今度は大神官自らが櫃を開け、聖剣を取り出した。
大神官が手にした聖剣を目にしたベンジャミンは、ライラの言葉を理解する。
確かにこれでは間違えようがない。
黄金色に輝く不可視の炎が、剣の周囲を絶えず躍動している。普通の人間には視覚不能であっても、
感動を覚えたベンジャミンは、感極まった視線を聖剣に向けるも、ふと、ジュドーの異変に気が付いた。差し出された聖剣から身を遠ざけるように、じりじりと後ずさっていたのである。ベンジャミンはその不可解さに首を捻る。
「ジュドー君? あの、どうしたの? 君の剣嫌いは知っているけど、その、ちょっとだけ我慢して。ほんのすこしの辛抱だから……」
それでもジュドーの後退は止まらない。驚きとも恐怖ともつかない表情を浮かべたまま、なおも後ずさった。そのジュドーの視線が左右に動く。
「なんだよ、これ……」
ジュドーはまるで見えない何かを見ているようで、その様子にベンジャミンは戸惑った。自分の目には何も見えない。ジュドーの視線の先を追っても、そこには聖剣を手にした大神官が立っているだけである。
「ジュドー君?」
すぐ傍で紡がれたはずのベンジャミンの声も、ジュドーにとってはどこか遠い。
ジュドーは今や、あらぬ場所に立っていた。いや、地下神殿は見えている。ただ、その現実の風景と二重写しになるようにして別の光景が広がっていたのだ。
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