第25話 覚醒
そこは、どこかの部屋の内部。
一度も目にした事がないはずなのに、奇妙な懐かしさを感じる。
窓の外は寒々とした雪景色だったが、部屋の中は温かだ。暖炉には赤々とした火が燃え、厚手の絨毯が敷き詰められており、天蓋つきのベッドにシャンデリア、洒落た造りの家具が並び、貴族の部屋を思わせる豪華さである。
そこへ、突如として乱入してきた闖入者達。杖を手にした
――お探ししておりました、竜騎士様!
跪いた
年老いた
耳に届く訳の分からない会話の数々。戸惑う自分に向かってホルン・ラーダと名乗った
――あなた様にこれをお渡しできる日を、今か今かと待ち望んでおりました! さあ、お手にお取りくだされ! 竜騎士様! あなた様が望むなら、真実を全て、全てこの剣が教えてくれるはずです! 我ら人間をどうか、どうかお救いくだされ!
眼前に差し出された幻覚の剣と、現実の大神官が差し出している剣とが重なった。まったく同一の物、同一の性質……。
そう、誰が何と言おうと、これは同じ物だ。
そう理解したジュドーは、その剣から身を遠ざけるように手をかざし、必死でそれを拒絶した。これは災厄の箱だ……災厄の箱と同じなんだ。決して開けてはならない。
「よせ……やめろ……」
「ジュドー君?」
怯えきったジュドーの声に、違和感を覚えたベンジャミンが、一歩足を踏み出した途端、それは起こった。
「そのくそ剣を俺に近づけんじゃねぇーーーーーー!」
ジュドーの絶叫と同時だった。
聖剣が激しい反応を見せ、まるで紅蓮の炎に包まれたかのように赤く輝いたのだ。皆の驚くまいことか。まさにその瞬間、誰もが悟っていた。今ここに、確かに、伝説上の竜騎士が降臨したのだと……。
静寂が落ちる。誰も身じろぎすらしない。
ジュドーはその場にがっくりと膝をついた。何もかもお終いだとでも言うように。
「ちくしょう……なんでだよ……」
「ジュドー君?」
ベンジャミンが呼びかけるも、ジュドーは俯いたまま反応しない。
「同じだ、あの時と……あいつらが押しつけたんだ。あいつらが……要りもしない聖剣を……この俺に……」
「ジュドー?」
ジュドーの傍らにライラが膝を突き、その顔を覗き込んだ。
「もしかして、アシュレイなのか? 記憶が戻ったのかぁ?」
ジュドーが顔を上げれば、幾筋もの涙が頬を伝っている。その瞳にはありありと苦痛の色が浮かんでいた。
「……シア」
ライラの顔が喜びに輝いた。アシュレイであった頃のジュドーは、グレイシアである自分をシアと呼んでいたのだ。懐かしい呼び名を耳にして心が震える。
「アシュレイ……会いたかった……」
こつんとライラがジュドーと額を合わせるも、肩を押され、遠ざけられる。自分には近づくなとでも言うように。
「……シア、俺は、俺はあの時、お前の言う事をきちんと聞いて、戦が終わるのを城で待っていたんだ。そりゃ、腹も立てたけどな。いつまでも子供扱いしやがってって、そう思ったよ。けど、出て行こうなんて気はこれっぽっちもなかった。お前が泣くだろうって、そう思ったから。なのに……」
「俺の部屋に、あいつ等が駆け込んできたんだ。『お探ししておりました、竜騎士様!』ってな……。戦にかり出されて手薄だった城の警備の穴をぬって、人間達が入り込んだんだ。けど、まったく訳がわからなかった。武装したたくさんの兵士達がこの俺に跪いて、助けを乞うんだからな。『このままでは我ら人間は全滅してしまいます。どうかお慈悲を!』って。おかしな話だよな? 和平交渉を、がんとして受け付けなかった連中が、今更何を言っているのかと思ったよ。戦争を仕掛けてきたのも、和平の申し入れをはねつけたのもお前達だろって」
「それがことごとく否定された。我らは戦争など望んではいなかったと。それどころか、降服すら受け入れてもらえない悲惨な状態だと。女も子供も一方的に虐殺されているんだと……。もちろん信じられなかったよ。それが、それが……ちくしょう、手にしなけりゃ良かったんだ。あいつらが差し出した聖剣なんか! それが、それが俺に真実をすべて教えやがった!」
床を拳で叩けばひび割れる。
「まざまざと見せられたよ。本当は今、どんな戦が行われているのか、過去に起こった事実を、まるで体験したかのように体感させられた。こんな、こんな状況でどうしてあいつらを見捨てられる? 出て行くしかなかった。出て行くしかなかったんだよ! シア! けど……それでもあの時はまだ望みはあると思ってた。俺が出ていけば、こんな戦はきっと終わらせられるって。俺とあいつらは友達なんだからって……けど、ああ、そうさ。闇王の命令に従っているあいつらは、俺の言うことなんか聞きゃしない。まるで本当に血に飢えた獣のように襲いかかってくるあいつ等を、俺には斬り殺すことしが出来なかった……」
「そうやって徐々に戦況が好転して行くに従って、人間達は本当に喜んだ。ああ、喜んだよ! 救世主だ、救世主だって……。救世主なものか! 俺は、俺は、仲間を斬り殺していたんだぞ! 人間にとっては恐ろしい怪物でも、俺にとっては友達だった。友達だったんだ! それでも、それでも最後の望みをお前にかけてた! 戦場に出ているはずのお前に会えば、きっと、きっと戦争を止められるって。説得して、和平が結べれば、もうこんな戦は終わりになるって……」
「それが……は、はは、どうしてあんな事になったんだろうな? 未来が見えたんだ……シアと剣を打ち合わせたあの時、あの瞬間、人間の屍の上に君臨しているシアが見えた。氷の女王……そんな風に讃えられて、一片の慈悲もなく笑うお前は、お前じゃなくて……違うって、心が叫んだ。お前じゃないって……けどこの道の先は、どうあがいてもそこに真っ直ぐ続いていて……止めたかっただけなんだ。止めたかっただけ。死んで欲しかったわけじゃない! なのに……ちくしょう、嘘だろ? なんで、どうしてだよ!」
「結婚の約束までして、嬉しいって笑っていたお前が、どうして俺の腕の中で息絶えてんだよ? いらねぇ、いらねぇよ。剣の腕も、弓引く力も、誰がいるもんか! 誰のために、何のために強くなったと思ってるんだ? 全部、全部、お前のためだ! シア! お前を守ってやりたくて、一人前の男だと認めて欲しくて……お前に相応しい男になろうとして…………」
目の前のライラの肩を掴み、揺さぶった。
「お前を……お前を、殺すためなんかじゃねぇ!」
ライラの肩に顔を埋め、声を殺して泣いた。
「……普通の人間でいたかった。そうすれば、そうすれば今度こそお前を殺さずに済む。力強い腕も速く走れる足も、ただただ疎ましいだけだったから、ほら、見ろよ……手足がこんなに小さいままだ。その上、剣も握れない戦士なんて、役立たずもいいとこだろ? なのに……なのに、どうしてだよ、ベンジャミン。どうして俺をこんな場所まで引っ張り出した? こんな俺に、今更何を望むっていうんだよ?」
ベンジャミンが進み出ようとするも、ライラがそれを止めた。
ジュドーの体を抱きしめ、訥々と語りかける。
「あんなー、ジュドー、今必要なのは、戦う力じゃなくて、戦をさせないための力、聖竜脈を正常化させる力なんだぁー。聖竜脈がこの大地を守ってる限り、あいつらと戦争になることはないぞ? 聖竜脈の力が働いている
ライラがそう答えて笑い、ジュドーの顔を覗き込む。
「だからな、ジュドー、もう一度剣を手にとって欲しい。聖竜脈を活性化させるには、聖剣は絶対に必要だからな。膨大な竜気を剣から引き出して、それを聖竜石に流し込む。そうすれば、動きの鈍った聖竜脈が息を吹き返す。パパの手下を、この
ジュドーが目にしたライラの微笑みは、今まで見たどんなものよりも美しく気品にあふれ、暖かだった。ジュドーは視線を聖剣へと移す。
すると、聖剣を手にした大神官が、うやうやしく跪き、剣を持った両手を差し出した。
「どうぞ手にお取り下さい。あなた様の剣でございます」
聖剣が眼前に掲げられる。ジュドーはそれを見つめ、やがて呼びかけた。
「……来い、フレアード」
聖剣フレアード。それが竜王バルデルが剣に与えた名だ。
すると、聖剣がするりと鞘から抜け、空を飛び、ジュドーの手の中におさまった。そう、手に取る必要などなかったのである。竜騎士が必要とするならば、聖剣はいついかなる時もそれに応じるのだから……。
紅蓮に輝く剣を手に、ゆっくりとジュドーが立ち上がれば、一人、また一人と神官達が跪き、頭を垂れる。再臨した現人神を前に、畏敬の念をもって。
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