第25話 覚醒

 そこは、どこかの部屋の内部。

 一度も目にした事がないはずなのに、奇妙な懐かしさを感じる。

 窓の外は寒々とした雪景色だったが、部屋の中は温かだ。暖炉には赤々とした火が燃え、厚手の絨毯が敷き詰められており、天蓋つきのベッドにシャンデリア、洒落た造りの家具が並び、貴族の部屋を思わせる豪華さである。

 そこへ、突如として乱入してきた闖入者達。杖を手にした魔法士メイジと武装した数名の兵士達が押し入り、年老いた魔法士メイジにならうようにして、付き従ってきた兵士達もまた、同じように自分に向かって跪いていた。

 ――お探ししておりました、竜騎士様!

 跪いた魔法士メイジから発せられた幻聴までが耳に届く。

 年老いた魔法士メイジは小柄だったが、意志の強さを秘めた瞳が一回りも二回りのかの人物を大きく見せていた。年輪の刻み込まれた顔は、知的で頑健である。相当な荒波をかいくぐってきたに違いない。

 耳に届く訳の分からない会話の数々。戸惑う自分に向かってホルン・ラーダと名乗った魔法士メイジが、竜の柄頭をした剣を必死の目差しで差し出した。

 ――あなた様にこれをお渡しできる日を、今か今かと待ち望んでおりました! さあ、お手にお取りくだされ! 竜騎士様! あなた様が望むなら、真実を全て、全てこの剣が教えてくれるはずです! 我ら人間をどうか、どうかお救いくだされ!

 眼前に差し出された幻覚の剣と、現実の大神官が差し出している剣とが重なった。まったく同一の物、同一の性質……。

 そう、誰が何と言おうと、これは同じ物だ。

 そう理解したジュドーは、その剣から身を遠ざけるように手をかざし、必死でそれを拒絶した。これは災厄の箱だ……災厄の箱と同じなんだ。決して開けてはならない。

「よせ……やめろ……」

「ジュドー君?」

 怯えきったジュドーの声に、違和感を覚えたベンジャミンが、一歩足を踏み出した途端、それは起こった。

「そのくそ剣を俺に近づけんじゃねぇーーーーーー!」

 ジュドーの絶叫と同時だった。

 聖剣が激しい反応を見せ、まるで紅蓮の炎に包まれたかのように赤く輝いたのだ。皆の驚くまいことか。まさにその瞬間、誰もが悟っていた。今ここに、確かに、伝説上の竜騎士が降臨したのだと……。

 静寂が落ちる。誰も身じろぎすらしない。

 ジュドーはその場にがっくりと膝をついた。何もかもお終いだとでも言うように。

「ちくしょう……なんでだよ……」

「ジュドー君?」

 ベンジャミンが呼びかけるも、ジュドーは俯いたまま反応しない。

「同じだ、あの時と……あいつらが押しつけたんだ。あいつらが……要りもしない聖剣を……この俺に……」

「ジュドー?」

 ジュドーの傍らにライラが膝を突き、その顔を覗き込んだ。

「もしかして、アシュレイなのか? 記憶が戻ったのかぁ?」

 ジュドーが顔を上げれば、幾筋もの涙が頬を伝っている。その瞳にはありありと苦痛の色が浮かんでいた。

「……シア」

 ライラの顔が喜びに輝いた。アシュレイであった頃のジュドーは、グレイシアである自分をシアと呼んでいたのだ。懐かしい呼び名を耳にして心が震える。

「アシュレイ……会いたかった……」

 こつんとライラがジュドーと額を合わせるも、肩を押され、遠ざけられる。自分には近づくなとでも言うように。

「……シア、俺は、俺はあの時、お前の言う事をきちんと聞いて、戦が終わるのを城で待っていたんだ。そりゃ、腹も立てたけどな。いつまでも子供扱いしやがってって、そう思ったよ。けど、出て行こうなんて気はこれっぽっちもなかった。お前が泣くだろうって、そう思ったから。なのに……」

「俺の部屋に、あいつ等が駆け込んできたんだ。『お探ししておりました、竜騎士様!』ってな……。戦にかり出されて手薄だった城の警備の穴をぬって、人間達が入り込んだんだ。けど、まったく訳がわからなかった。武装したたくさんの兵士達がこの俺に跪いて、助けを乞うんだからな。『このままでは我ら人間は全滅してしまいます。どうかお慈悲を!』って。おかしな話だよな? 和平交渉を、がんとして受け付けなかった連中が、今更何を言っているのかと思ったよ。戦争を仕掛けてきたのも、和平の申し入れをはねつけたのもお前達だろって」

「それがことごとく否定された。我らは戦争など望んではいなかったと。それどころか、降服すら受け入れてもらえない悲惨な状態だと。女も子供も一方的に虐殺されているんだと……。もちろん信じられなかったよ。それが、それが……ちくしょう、手にしなけりゃ良かったんだ。あいつらが差し出した聖剣なんか! それが、それが俺に真実をすべて教えやがった!」

 床を拳で叩けばひび割れる。

「まざまざと見せられたよ。本当は今、どんな戦が行われているのか、過去に起こった事実を、まるで体験したかのように体感させられた。こんな、こんな状況でどうしてあいつらを見捨てられる? 出て行くしかなかった。出て行くしかなかったんだよ! シア! けど……それでもあの時はまだ望みはあると思ってた。俺が出ていけば、こんな戦はきっと終わらせられるって。俺とあいつらは友達なんだからって……けど、ああ、そうさ。闇王の命令に従っているあいつらは、俺の言うことなんか聞きゃしない。まるで本当に血に飢えた獣のように襲いかかってくるあいつ等を、俺には斬り殺すことしが出来なかった……」

「そうやって徐々に戦況が好転して行くに従って、人間達は本当に喜んだ。ああ、喜んだよ! 救世主だ、救世主だって……。救世主なものか! 俺は、俺は、仲間を斬り殺していたんだぞ! 人間にとっては恐ろしい怪物でも、俺にとっては友達だった。友達だったんだ! それでも、それでも最後の望みをお前にかけてた! 戦場に出ているはずのお前に会えば、きっと、きっと戦争を止められるって。説得して、和平が結べれば、もうこんな戦は終わりになるって……」

「それが……は、はは、どうしてあんな事になったんだろうな? 未来が見えたんだ……シアと剣を打ち合わせたあの時、あの瞬間、人間の屍の上に君臨しているシアが見えた。氷の女王……そんな風に讃えられて、一片の慈悲もなく笑うお前は、お前じゃなくて……違うって、心が叫んだ。お前じゃないって……けどこの道の先は、どうあがいてもそこに真っ直ぐ続いていて……止めたかっただけなんだ。止めたかっただけ。死んで欲しかったわけじゃない! なのに……ちくしょう、嘘だろ? なんで、どうしてだよ!」

「結婚の約束までして、嬉しいって笑っていたお前が、どうして俺の腕の中で息絶えてんだよ? いらねぇ、いらねぇよ。剣の腕も、弓引く力も、誰がいるもんか! 誰のために、何のために強くなったと思ってるんだ? 全部、全部、お前のためだ! シア! お前を守ってやりたくて、一人前の男だと認めて欲しくて……お前に相応しい男になろうとして…………」

 目の前のライラの肩を掴み、揺さぶった。

「お前を……お前を、殺すためなんかじゃねぇ!」

 ライラの肩に顔を埋め、声を殺して泣いた。

「……普通の人間でいたかった。そうすれば、そうすれば今度こそお前を殺さずに済む。力強い腕も速く走れる足も、ただただ疎ましいだけだったから、ほら、見ろよ……手足がこんなに小さいままだ。その上、剣も握れない戦士なんて、役立たずもいいとこだろ? なのに……なのに、どうしてだよ、ベンジャミン。どうして俺をこんな場所まで引っ張り出した? こんな俺に、今更何を望むっていうんだよ?」

 ベンジャミンが進み出ようとするも、ライラがそれを止めた。

 ジュドーの体を抱きしめ、訥々と語りかける。

「あんなー、ジュドー、今必要なのは、戦う力じゃなくて、戦をさせないための力、聖竜脈を正常化させる力なんだぁー。聖竜脈がこの大地を守ってる限り、あいつらと戦争になることはないぞ? 聖竜脈の力が働いている緑の大地グリーンランドでは、パパの手下はみんなみんな力をそがれて、弱体化するからなぁ。戦を起こしても勝てないんだぁ。ライラ以外に、聖竜脈を無力化させることの出来る奴なんていないから、そこも心配しなくていいぞ、ジュドー。ライラ、それもう出来ないし、出来てもやらない」

 ライラがそう答えて笑い、ジュドーの顔を覗き込む。

「だからな、ジュドー、もう一度剣を手にとって欲しい。聖竜脈を活性化させるには、聖剣は絶対に必要だからな。膨大な竜気を剣から引き出して、それを聖竜石に流し込む。そうすれば、動きの鈍った聖竜脈が息を吹き返す。パパの手下を、この緑の大地グリーンランドから追い払える。それが出来るのはジュドーだけ。お願いだぁー、ジュドー。もう一度、剣を手にとって欲しい。ライラ、ここにいるから。今度こそ、今度こそ一緒にいる。絶対絶対離れないって、約束するから」

 ジュドーが目にしたライラの微笑みは、今まで見たどんなものよりも美しく気品にあふれ、暖かだった。ジュドーは視線を聖剣へと移す。

 すると、聖剣を手にした大神官が、うやうやしく跪き、剣を持った両手を差し出した。

「どうぞ手にお取り下さい。あなた様の剣でございます」

 聖剣が眼前に掲げられる。ジュドーはそれを見つめ、やがて呼びかけた。

「……来い、フレアード」

 聖剣フレアード。それが竜王バルデルが剣に与えた名だ。

 すると、聖剣がするりと鞘から抜け、空を飛び、ジュドーの手の中におさまった。そう、手に取る必要などなかったのである。竜騎士が必要とするならば、聖剣はいついかなる時もそれに応じるのだから……。

 紅蓮に輝く剣を手に、ゆっくりとジュドーが立ち上がれば、一人、また一人と神官達が跪き、頭を垂れる。再臨した現人神を前に、畏敬の念をもって。


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