第23話 ライラの膝枕

 何故泣いたのかまるで分からず、慌てて手で流れ出る涙を拭うが、拭いても拭いてもあふれてくる涙は止まらず、結局、顔を背ける羽目になった。

 自分に背を向けたまま、一向に振り返ろうとしないジュドーに向かって、ライラが遠慮がちに言う。

「あ、あんなー、ジュドー。眠れないんだろ? ライラ、よく眠れる魔曲知ってる。奏でても良いか?」

「魔曲?」

「魔力で創り出した音を使って、曲を奏でるんだけどなぁ、組み合わせによっていろんな効果が得られるんだぁ。今回の奴は、興奮して暴れ出した竜なんかを大人しくさせる時に使う魔法なんだけどなぁー。精神安定の効果があるから、場合によっては、こう、すやすや寝る奴もいて、結構便利だぁ」

「俺は竜かよ?」

 吹き出すような声が返ってくる。

「ジュドーなら、似たようなもんだぁ。ほら……」

 ライラが手にした杖を掲げると、その突端に存在する二つのリングが、ゆっくりと回転し始めた。そのリングの中央部分が、まるで光の粒子が集まるが如く、きらきらと輝き、高く澄んだ、優しい音色が流れ始める。それは確かに奇妙な安らぎを感じるもので、疲れと今までの睡眠不足も手伝ってか、ジュドーはうつらうつらと船をこぎ始め、ライラに寄りかかるような形で寝入ってしまった。

 翌朝、目を覚ましたジュドーは、自分の状況がつかめず、固まる羽目となる。

 なにせ、天井をふり仰いでいる自分のすぐ目の前に、寝入っているライラの顔があったのだ。要するにジュドーは、ソファに腰掛けたまま寝入っているライラの膝に頭を乗せ、仰向けに寝転がっていたのである。膝枕、と言う奴であった。

 ――んだぁ? この状況は……一体どうなってやがる?

 寝入っているライラを起こさないように、そろりと起きたはずが、しっかりジュドーの動きで目を覚ましたライラが、大きな欠伸を漏らした。

「ジュドー、おはよー。よく、眠れたかー?」

「眠れたかって、いや、何がどうなって……。そもそも何でお前、ここにいるんだ?」

 ライラがきょとんとなった。

「何でって……ジュドー、覚えてないのかぁ? ライラ、夕べ一緒にお茶飲んだ。そんで魔曲、奏でた」

「いや、覚えてる。そこまでは覚えてる。で、その後どうなった?」

「ジュドー、寝た」

「いや、寝たのは分かる。だから、何でお前がいまだにここにいるんだ?」

「ジュドー、ライラに寄りかかって寝た。そんで、ごろんと転がって、ライラの膝の上に頭が乗っかった。ライラ起こすの嫌だったから、そのままずーっとここにいた。けど、そのうち座ったままライラも寝たんだな。ちょっと体がこわばってる……」

 血の気が引いた。

 こんな状況を誰かに知られたら、一体どんな風に言われるかわかったものではない。特にピートの奴に知られたら、それこそ大騒ぎだろう。慌てふためいて、口止めをしようとしたまさにその瞬間、悪夢が現実になった。

 浮かれまくったベンジャミンと、まったくいつも通りのエドワードと、それから眠たげな目をしたピートが、何の前触れもなく扉を開けて入ってきたのである。

「おっはよー、ジュドー君。寝坊はいけないなー。ほーら、こんな気持ちの良い朝には……って、あれ?」

 ライラの姿に目を止め、ベンジャミンが小首を傾げる。

 ライラが欠伸を漏らし、大きく腕を伸ばした。

「ベンジャミン、おはよーな。それから、エドワードとピートもおはよー……」

 ベンジャミンはジュドーとライラの姿を交互に眺め、

「何々? 二人そろって朝食の場に来ないと思ったら、二人で何してたの?」

「んー……ライラ、寝坊した」

「寝坊? 早起きしたんだろ? ジュドー君の部屋にいるじゃない」

「ライラ、ここで寝たから……」

 爆弾発言を軽々口にし、ライラがまたもや大きく欠伸を漏らす。

 まったく悪意のない行為であっても、時として悪意以上に始末の悪い場合もある。この状況がまさにそれであった。

 そこへ、ひょっこり顔を出したエリザベスが、歓喜の声を上げる。

「やった! やりましたわ! とうとうライラを襲いましたのね! 流石は竜騎士! 鬼畜並みに手が早い! 既成事実を作りましたわ!」

「ちょ、待てえぇえええええ! 誤解だ、誤解!」

 ジュドーが声を荒げるも、エリザベスを止める手立てはない。みんなに話してきかせますわあああああ! と叫びながらみるみるうちに小さくなっていく。

 唖然とその背を見送れば、

「ジュドー君? あの、きみ、結構手が早い?」

 ベンジャミンにまでそう言われてしまう。

「ち、違う違う違う違う違う! 何にもしてない! 何にもなかった!」

 ジュドーが慌てて否定し、のほほんとしたライラの声が割り込んだ。

「ベンジャミンは深読みしすぎだぁー。ジュドーの言う通り何にもなかったぞー?」

 困った奴だなぁー、というように朗らかに笑うライラを見て、ベンジャミンもまた決まり悪げに笑った。

「あ、そっかー、そうだよねー。あはは、可笑しいと思ったんだよ。ジュドー君、ごめんなー」

「そうだー。ただ、ジュドーがライラの膝枕で寝ただけだぁー」

 それがトドメだった。不自然なほど、にこにこと愛想のいい笑みを浮かべたピートが、ジュドーの首に腕を回し、ぎゅうぎゅう締めつけ始めたのだ。

「ジュドーくう~ん。ほーんと、君、羨ましいことばっかりしやがって。いっぺん、どたまかち割ってやろーかぁ? ああん?」

「いていていてーっての!」

 ピートの容赦の無い攻撃に、ジュドーが抗議した。

 その後、まあまあとベンジャミンになだめすかされ、しぶしぶジュドーを解放したピートだったが、「今度こんなことがあったら、月のない夜は覚悟したほうがいいかもなー、あっはっはっ」などと全然笑っていない目で告げられ、げっそりした風体でジュドーが「あー、分かった、分かった。覚えとくよ」と答えたのであった。


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