第6話 師匠の教え

 ジュドーの家は村はずれにあった。

 木立の中に一軒だけ家がぽつんと立っている。ピートがドアを叩けば、ぬうっと体の大きな男が現れた。威圧感を与える大男であったが、ピートは慣れているのか臆することもなく事情を説明し、一晩の宿をもぎとった。

「……薪を取ってくる。中に入っていろ」

 ジュドーの父親ジョゼフは、そう言って一行を中へ招き入れた。歩く姿ものしのしと迫力がある。見かけこそとっつきにくそうに見えたが、ジョゼフは確かに親切だと言えた。いきなり押しかけた客人を嫌な顔一つせず、こうして泊めてくれたのだから。愛想良く笑うということもしなかったので、単純に表情筋が動かなかっただけかもしれないが。

「はああ……ライラちゃん、きゃんわいいいいい……」

 テーブルに突っ伏し身悶えているのは、言わずもがななピートである。

 ベンジャミンとライラの両名は、騎士のエドワードをその場に残し、台所へと消えている。一泊の恩義にと夕食の準備を買って出てくれたのだ。

 そこはありがたかったが、ピートののろけはひたすらうっとうしい。ジュドーの不機嫌さに拍車がかかる。

「どんな料理かなぁ。ライラちゃんの手料理だったら俺、消し炭でも完食する」

 テーブルにつっぷしているピートがそう口にする。

「ああ、そうかよ。腹くださねーよーに注意しろ」

「大丈夫、大丈夫、愛のパワーで乗り切るから」

「言ってろ、ったく……」

 不機嫌そうなジュドーの横顔をピートはちらりと見、

「なぁ、ジュドー」

「何だよ?」

「お前、ライラちゃんの事が嫌いなのか?」

 ぐっと言葉に詰まる。

「まぁ、もともとお前は愛想が良い方じゃないけどな。それにしたって、態度悪すぎる。始終むっつりしてるし、何が食べたいかって、ライラちゃんがわざわざ聞いてくれた時だって、ろくすっぽ返事もしない。一体どうしたよ? 彼女の何が気に入らないんだ?」

「……分からない」

「分からない?」

「うるせーな、そのまんまだよ。俺だって訳分かんねーんだ。でも近寄られるとどうしても……」

 思わず口を閉じる。彼女が消えてしまいそうで怖いだなんて言えやしない。雪のように跡形もなく……人間がそんな風になるはずもないのに、近づかれるとひやりとした恐怖を感じる。酷い喪失感を覚えてどうしようもない。

「どうしても?」

 ピートが先を促した。陽気で人なつっこい、そばかすだらけのピートの顔がぐっと自分に近づき、ついジュドーの眉間に皺が寄る。

「……何でもねーよ。ちょっと虫の居所が悪いだけだ」

「ふうん? ま、そういう事もあるだろーけど、ライラちゃんに当たるのはよせよな? 俺、今回マジなんだから。彼女に嫌われたくない」

「お前、毎回そう言ってねーか?」

「いや、ほんと、今回は大真面目に惚れた。絶対ものにしたい!」

「へーえ? 頑張ってくれ」

 そう言いつつも、やっぱり不愉快に感じてしまう自分がいる。ライラという少女に好意を示されれば遠ざけてしまうのに、彼女が他の男に言い寄られている姿は酷く不快でたまらない。一体この感情は何なのか。訳が分からない。

「どこに行くんだ?」

 立ち上がったピートに声を掛ければ、

「にしし、台所。ライラちゃんの様子を見に行ってくる」

 そんな答えが返ってくる。すかさず立ち上がって後を追った。

「お前まで来なくて良いのに」

 ピートがそう文句を口にする。

「うーるせ。お前を野放しにすると何を仕出かすか分かったもんじゃない」

「……なんだかんだ言って、お前もライラちゃんが気になるんだろ?」

 ピートの揶揄に、違う、と言いかけ止めた。違わない、誰かがそう言った気がしたのだ。本当にどうかしている。台所から聞こえてきたのは軽快な包丁の音。

「凄いね、手慣れてる」

 この声はベンジャミンだ。

「ライラ、料理担当だったからなぁ」

 ライラの声が聞こえるなり、ピートがかぶりつく。人の頭を押さえるな!

「料理担当?」

 不思議そうなベンジャミンの声。

「ライラの家は貧乏だからな。ライラ、料理掃除洗濯一通り出来るぞ」

「んな! ライラは子爵令嬢だろ?」

「貧乏子爵だぁ。中身すっかすか。名前だけかろうじて残ってるって感じかぁ? 貴族だって言ってもな、生活は庶民より酷いぞ。財政難だからライラ、畑仕事もする。あ、ベンジャミン、ジャガイモの皮剥いて欲しい。スープにするから」

「あ、ああ……分かった」

 そうっと覗くと、ジャガイモの皮を剥いているベンジャミンと、包丁を操っているライラの後ろ姿が見える。ベンジャミンの手つきもよどみない。樽に腰掛け、するするとジャガイモの皮を剥いている。どちらも料理は手慣れているようだ。

「ベンジャミンはお金持ちだろ? 大商人の息子だって聞いてる。使用人なんてたっくさん雇えそうなのに、何で全部自分でやるんだ?」

 ライラがそう問うと、

「師匠の教えだから」

 ベンジャミンが手を止めることなく答える。

「あー、大聖者の?」

「その大聖者って……まあ、いいか。そう、ザドク師匠がね、清貧を常としているから僕もその真似をしたの。必要最小限の物しか持たず、自分の事は全部自分でやる。尊敬してるから少しでも近づきたくてさ」

「あー、人間はそうらしいなぁ。尊敬する人物を真似る。ライラんとこじゃ、主の真似なんかしようものなら、無礼者って、けちょんけちょんにされるけどな。横に並ぼうとしちゃ駄目なんだ。平伏一辺倒だよ。ま、並ぼうとしても無理なんだけどな。力の差はどうしたって縮まらないから」

 ベンジャミンがふっと笑った。

「……ライラ、君、面白いよね」

「ん?」

「時々人間って言葉を使う。君自身、人間じゃないみたいだ」

「え? あー……ライラ、可笑しいか? 人間に見えない?」

 何だか急に狼狽えて、その仕草もまた可愛らしい。

 ベンジャミンは吹き出しそうになってしまう。

「うん、そうだね。精霊みたいに綺麗だから、人間に見えないかも」

 ベンジャミンが明るく笑うも、ライラは焦ったようだ。

「そ、それは困るぞ! ど、どうすればいい? ベンジャミン、どうすれば人間らしく見える? ライラ、その通りにする!」

「は? いや、その……そのまんまでいいかと」

「でもでも人間に見えないって……」

「たとえばだよ。君が人間に見えないくらい綺麗だってこと」

 ライラは幾分ほっとしたようだ。

「綺麗……ほんとーか?」

「そりゃー……自覚なし?」

「う、ん……皆そう言ってくれるけどなぁ……」

 ライラが自信なさげにおずおずと近づいて、

「ジュドーも綺麗って思ってくれるかな?」

 そんな事を言い出して、ジュドーはその場に突っ伏しそうになる。何で俺の話になるんだ?

「ジュドー君? そりゃーもちろん。そう思ってくれてるんじゃない?」

 ベンジャミンが気軽にそう言って笑えば、

「でも、迷惑そう」

「そんなことないって。君を嫌う人間なんかいやしないよ。考えすぎだって」

 ライラはぱっと明るく笑い、

「そ、か。分かった。ありがとうなー、ベンジャミン、お前も良い奴だなー」

 そう答えて料理に戻るも、ジュドーはピートに首を絞められていた。

 ――ほらほらほらぁ! 見ろお! お前の態度の悪さばれてるじゃん! ライラちゃんにこれ以上気を遣わせんな! 態度を改めろ!

 ――いててててて! 分かった、分かったから、放せってーの!

 流石に決まりが悪かった。彼女が何かしたというわけでもないのに、これはないだろうと自分でも思う。自分でも思うが……。

「美味しい?」

 ライラにそう聞かれて、やっぱり固まってしまう。話しかけられること自体が駄目らしい。視線を避けるように下を向いてしまう。それでも、無理矢理口を動かした。

「美味い」

 そう答えるのが精一杯だったが、嬉しそうに綻んだライラの顔はあまりにも眩しくて、見惚れてしまう。

 そうだ……嫌いなわけじゃない。ドキドキと波打つ自分の心臓を意識し、ジュドーはそう自覚する。好きか嫌いかと問われれば、おそらく好きだと答えるだろう。ただ、そう、恐ろしいだけで……。彼女が雪のように消えてしまう気がして……。いなくなってしまうような気がして……。

 一体この強迫観念はどこからやってくるのか。

「ライラちゃん料理、上手だねー」

 ピートの明るい声にはっと我に返る。

「そうか? お代わり沢山あるから、いっぱい食べるんだぞ?」

「はいはーい!」

「……少しは遠慮しろ。俺の家の食材だ」

 ジュドーがぼそりと文句を言えば、

「残したらもったいねーだろーがよ?」

 ピートがそう言い返す。

「全部食わなくったって、明日の分にまわせばいい」

「やだね! ライラちゃんの手料理なんてそうそう食えないもんな!」

 空になった椀を差し出し、ライラがそれに野菜スープを継ぎ足せば、ピートはもうでれでれだ。そばかすだらけの人懐っこい顔が今にも蕩けそうである。

「で、お前さん方、ここへ何しにやってきたんだ?」

 ジュドーの父親ジョゼフがそう切り出した。小山のような大男で、ここでは一番存在感がある。酒をたしなむ手は止まらない。

「竜騎士を迎えに来たんですよ」

 ベンジャミンがそう答える。


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