第3話 時は動き出す

 夢を見た。

 白い女の夢だ。いつもの夢……。

 ふわりふわりと風にたなびく長い髪は雪を思わせる純白で、赤い唇がそれに映えて美しい。いつもの事だが顔がよく分からない。

 よく分からないが、それでも華奢なその肢体、儚げなその姿は最上の美を映し出している。誰よりも美しい、そう思ってしまう。いや、そうだと知っている。知っているはずなのに思い出せない。

 雪のように美しく、夜の闇のように恐ろしく、飢えた獣のように残酷だと、誰が彼女をそう言ったのか……。

 嘘だと、自分の口が言う。いや、本当だと誰かが囁く。

 自分が知っている筈の彼女の姿と、人々が噂する彼女の姿があまりにも違いすぎて、困惑する。どちらが本当だ? そう問えば、どちらも本当だと誰かの声が囁き返す。

 真実は一つではない、と。そいつは可笑しな事を言う。真実とは一つだからこそ真実というのではないかと、そう問えば、見方によって変わるのだと、囁いた。

 そう、真実は一つだ。けれど、真実の姿を紛う方無く見通せるのは神のみだ。今のお前には無理だろう。だから言っておこう、どちらも真実だと。

 お前は自分の目で見たものを疑うのか? 温かく力強い声がそう言った。この声の主は一体誰であったか、これも知っているような気がしてしまう。

 人が口にした事が真実だと何故そう言い切れる? 信じれば良い、己が見たものを。だからこそ、今のお前がある。お前が望んだのだ。もう一度会いたい、そう願った……だからこそ……。

「おーい、ジュドー、寝てんのかー?」

 聞き慣れた声に目を開ければ、そこに親友の顔があった。陽気で人なつっこい、そばかすだらけの顔が自分を見下ろしている。

 ジュドーは草地に寝転がったまま、ぼんやりとその顔を見返した。

 夢を見ていたような気がする。いつも見る夢を。どことなく不快で、それでいて懐かしい……。最後は、何だったろう? いつものことだが、夢を見たおぼろげな感触はあっても、詳しい内容を思い出そうとすると忘れてしまう。

「……お袋さんが亡くなった時の夢でもみていたのか?」

 ピートがそんな事を言い出して、

「なんでそうなる?」

 憮然と言い返せば、

「泣いたあとがあるもんよ」

「……欠伸のあとだよ」

 さっと目元を拭って誤魔化した。

 そう、夢を見るたびに胸を突かれるような感触があって、こうして涙を流すことも珍しくない。だから、見たい夢ではない。見たい夢ではないはずなのに、見たいと願ってしまう自分もいる。本当にどうかしていると思うけれど、こればかりはどうにもならない。自分の心なのにこうして持て余す。

 夢に見るのはいつも同じ、おぼろげな影でしかない。なのに、同じ女性だと分かる。目にすれば恋い焦がれるような感覚があって、手を伸ばして抱きしめたいと切望してしまうけれど、そうなった事は一度も無い。

 自分が近づくことを恐れてしまうから。

 二つの思いが衝突し、苦しくてたまらない。愛おしい、けれど、触れればきっと彼女は消えてしまう、そう感じてしまうからこそ近づけない。ただ、こうして見ているだけ。

「お偉いさんがやってきてるぜ?」

「お偉いさん?」

 ピートの言葉に眉をひそめてしまう。

「王城からの使いだってさ。ほら、竜騎士伝説っていうの? 二千年前に闇姫を倒して、世界に平和をもたらした英雄伝説がこの村に残ってるじゃん。んで、ここの村長の息子が、俺はその竜騎士の血を引いているとか何とか言って、普段からえばりくさってたよな? それ、真に受けて城から使いが来たらしいぜ? 竜騎士の生まれ変わりを探しに来たんだってよ」

「へーえ?」

 随分と暇な連中だ、ジュドーはそう思う。

 まぁ、確かにここはその竜騎士が作った村だとか言われている。

 そしてその伝説のおかげで、迷惑な話だが、ここで生まれた男達は全員、剣の稽古をさせられる。竜騎士の子孫として恥じない行いを、ということらしいが、眉唾物の伝説におどらされてどうするよ、それがジュドーの正直な思いだった。

「見に行かないか?」

 ピートが興味津々そんな事を言い出して、

「興味ない」

「そう言わずに。竜騎士を探しに来たって女の子がめちゃくちゃ可愛いらしい」

「ふーん」

 それがお目当てか、こいつらしいとそう思う。へらへらと愛想がいいこいつは、女の尻をおいかけまわしてばかりいる。気の良い奴だが、その部分は頭が痛い。

「ほらほら、立った、立った。そういや、クーノはどうした?」

 ピートがそわそわと周囲を見回した。

「森」

「森?」

「腹減ったってよ」

「腹減ったねぇ、相変わらずだな」

 ジュドーが首を傾げると、

「竜の言葉が分かるんだろ? すげーよ、お前」

 そう言ってピートが屈託なく笑う。

 俺は思わず笑い返していた。竜の言葉が分かると言うと、馬鹿にする奴が多いが、こいつは違う。親父と同じように俺の言うことを信じてくれる。そう、気の良い奴なのは確かなのだ。ちょっと女にだらしないだけで。

「クーノ、呼び戻せねぇ?」

 ピートがそんな事を言い出して、

「呼べば来るけど……何でだ?」

「竜使いなんて絶対目立つからよ、女の子の注目が……」

「俺は竜使いじゃねーよ。あんなのと一緒にすんな」

 ついむくれてしまう。

 大きな街で一度、竜使いと称するものを目にしたことがあるが、あれは酷かった。調教具とかいう物を使って、思い通りに竜を動かすらしいが、あれは体罰と変わらない。痛みを与えて、思い通りに動かしているのである。竜の泣き言から自分はそれを知り、怒って暴れ回った記憶がある。

 拘束具をねじ切って竜を逃がしてしまったので、弁償という話になり、あの時はあわくって逃げだした。竜はもの凄く高価だとあの時知ったのだ。

 かんかんに怒った貴族の男が口にした金額は、とても払える金額じゃなかった。一生かかっても無理である。逃げだしたので、あの後どうなったのかは知らない。この村とは離れた街で良かったとつくづく思う。

「あ、ほらほら、凄い人だかりだろ?」

 確かに村長宅には大勢の人が群がっていた。立派な馬車が屋敷の前に止まっているので、お城からやってきたお偉いさんが中にいるのだと一目で分かる。その前を素通りしようとすれば、ピートに襟首をひっつかまれた。

「待てって、ジュドー。可愛い女の子がいるらしいんだよ、一目だけでも」

「お前だけ行ってくりゃーいいじゃんか」

「そこは親友だろ? 付き合えよ」

 ピートをじろりと睨み付け、襟首からいい加減手を離せ、そう言ってピートの手をばしんと叩いた。俺の憮然とした顔を見て、

「あ、わりぃ、つい」

 ピートがにひひと笑った。そう、俺はこう言った扱いが嫌いだった。身長が伸びず、どう見ても子供に見えるおかげで、どこへ行っても子供扱いされる。この悪ガキどもと言って、首根っこをひっ捕まえられるのはいっつも俺だ。

 ピートは既に年相応の外見になっているので、今では子供扱いされることはない。俺も同じ十六才だって言うのに、十二、三才くらいにしか見えないってどうよ?

 ピートの懇願に折れ、渋々窓から中を覗く手伝いをしてやれば、

「うーん?」

 芳しくない反応が返ってくる。

「好みじゃなかったか?」

「いや、可愛いよ? 可愛いけど、なんか、聞いた話と大分違うなって」

「うん?」

「超絶可愛いって。今まで見たこともないくらい綺麗な子だって、そう聞いたんだ。女神様とか精霊とか? 興奮気味に、そんな風に話していたから、つい期待しすぎたみたいだ。うん、普通に可愛いかな。恋人にしたら嬉しいレベルだよ」

「へえ? お近づきになりたいってか? 城からの使いじゃ無理だろ?」

「そんなことねーって。ほら、竜騎士を探しに来たっていうんなら、俺にもその権利あるだろ? なにせ、ここは竜騎士様が作った村なんだからさ。誰がその血を引いてるのかなんて、わからないっての。村長の息子のあれは自称竜騎士だよ。誰が子孫かなんて、本当のところはわかってないんだからさ。だから、ほら、この村の男達は全員、剣の稽古をさせられるんだろ?」

「……嫌なこと思い出させるな」

「そーいや、お前は剣が持てないんだったな。よかったじゃん。あの阿呆らしい剣の稽古に参加しなくていいんだから」

「……本気で言ってるか?」

 俺がじろりと睨み付ければ、

「おうよ。俺なんか何度サボっても抜け出しても鬼教官に引き戻されるんだから。お前が断然うらやましい! 俺もお前みたいに剣を持って吐く体質になってみたいぞ!」

「落っことすぞ?」

「冗談だよ、冗談、マジにとるなって、おーい」

 窓のある場所に顔が届くよう、肩に担ぎ上げてやっているだけに、ピートが謝った。こいつは一体どこまで本気なんだか……ため息が漏れる。

 剣を持つと吐く……実際あれはしんどい。元傭兵のルイスに自分の体質を分かってもらうまで、一体何度情けない風体をさらしたか。拒絶反応を起こしたかのように、どうしても剣を受け付けない。

 剣を手に持っただけで冷や汗が出る。無理矢理剣を振り回そうものなら、血の幻覚が見え、どうしても吐いてしまう。胃に何も入っていなければ胃液を出す。どうしてなのか自分でも分からないのだからどうしようもない。

 結局、剣の稽古を担当していたルイスも諦めてくれた。

 何が原因かわからないが、仕方が無いな、と。

「あ、出てくるぞ」

 ピートの背を追えば、確かに村長の息子と城からの使いらしい女性が外へと出てくるところであった。魔法士メイジ? 俺は目を細めた。城からの使いだという女はどう見ても魔法士メイジだ。杖を手にしているから間違いないだろう。

 緩くウェーブした金髪の女は、清楚な衣装に身を包んでいたが、化粧が濃いせいか、何ともケバケバしく感じてしまう。華やかと言えば聞こえは良いが、化粧気のない顔が普通のこの村では、やはり派手だと感じてしまう。

「皆、聞け! 俺は王城へ行くぞ!」

 村長の息子のブライアンがそう言い切った。自信過剰の筋肉男が、いつものように偉そうにふんぞり返る。へー、ご苦労なこった、俺が感じたのはそれくらいだった。まぁ、頑張れよという思いも付け加えておく。

「わたくしが竜騎士の素質ありと判断いたしましたの」

 先程のケバケバしい女がそう言って笑う。

「……僕は認めてないから」

 憮然とそう言い切ったのもまた魔法士メイジだった。

 杖を持った青いローブ姿の青年は、ケバケバしい女より幾分年上に見える。長い榛色の髪を三つ編みにしていて、丸い眼鏡を掛けた顔は知的で人当たりが良さそうだ。

「まぁ、ベンジャミン! このわたくしの判断に不満があると?」

 ケバケバしい女が大げさに驚けば、

「竜騎士の判定はライラがやるはずでしょう? 何で君がやってるの? ありえないよ」

 ベンジャミンと呼ばれた魔法士メイジが声を荒げる。

「まぁ! あんな下賤な女に何ができまして? このわたくしこそが竜騎士様に相応しいわ」

「相応しい、相応しくないはこのさい置いておくとして! 竜騎士だと判断出来るのはライラだけだって、ザドク師匠がそうおっしゃったんだ! 君はあくまでおまけなの、おまけ! お師匠様の神託で選ばれたのは君じゃなくて、ライラなんだってば!」

「聖女であるこのわたくしに何て口の利き方を!」

「その権限使って、むりくりついてきただけでしょう! 怒るよ、本当に!」

 何やら修羅場だ。そうっとその場を離れようとすれば、

「よーう、ジュドー。こんなところまでお前、何しに来たんだよ?」

 筋肉男のブライアンが俺を見てにやにや笑う。


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