第2話 追憶の中の憎悪
――陛下、
部下の報告を思い出し、シャルル国王の顔が曇る。
ここ最近、
雄牛のように巨大な
雪に覆われた庭園に目を向ける。
国王は眉をひそめた。
この光景もどこか釈然としない。もう春だというのに、気候もどこかおかしい。いつもであれば新緑が芽吹き、春の花を目にしている時期だというのに、冬の終わりが全く見えない。どこもかしこも雪景色だ。一体どうしたというのだろう?
――我らが守護神、竜王バルデル様の加護が弱まり、
――二千年も前に、竜騎士様に倒されたはずの闇姫グレイシアが復活したらしいぞ。くわばら、くわばら。
そんな人々の噂話を脳裏に蘇らせ、国王は馬鹿馬鹿しいというように頭をふった。くだらん、そう思ったのだ。
シャルル国王は現実主義者だった。
伝承は単なるお伽話として片付け、世界を救ったとされる竜騎士の存在や、人類を滅ぼしかけた闇王グリードの娘の存在など、露ほどにも信じておらず、それどころか、守護神としてこの国でもあがめられている竜王バルデルの存在でさえ、眉唾ものと思っていた。
神などいるものか……口に出せば不敬だと罵られるであろう言葉を、国王は胸の内で呟く。
次いで、シャルル国王はぶるりと体を震わせた。
暖炉には赤々と火が燃えているが、やはり冷えるようだ。温かな飲み物を持ってこさせようと卓上の鈴に手を伸ばし、ふとその動きを止める。
漆黒の人影が立っていたのだ。
それはフードを目深にかぶった黒衣の男で、蝋燭に照らし出された顔は息をのむほど美しかったが、ひやりとする何かがあった。毒花、そんな言葉が思い浮かんでしまう。
黒衣の男が赤い唇をつり上げ、隠微に笑った。
「初めまして、国王陛下。ご機嫌麗しゅう」
丁寧な挨拶だったが、慇懃無礼といった感じである。
「誰だ? お前は。一体どこから入り込んだ?」
「そこの入り口からですよ。ああ、ノックはしませんでしたがね?」
男の言葉にシャルル国王はかっとなった。見張りの衛兵は一体何をやっているのか。
「衛兵! 何をしている! このくせ者を即刻引っ捕らえろ!」
たるんでいる! そう一喝するべくドアを開け放ち、息をのんだ。そこは血の海だったのだ。見張りの衛兵が事切れているのは明らかである。
国王は急ぎ傍に立て掛けてあった剣を手に取るも、抜刀するより早く、男の剣が喉元に突きつけられる。剣を手にしたままシャルル国王が呻く。
「……何が望みだ? 言ってみろ」
男が笑った。女と見紛うばかりの美貌の持ち主であったその男の笑みは、酷く邪悪なようにも、無邪気なようにも見え、シャルル国王は心がざわつくのを感じた。男でも女でも酷く引きつけられる類いのものだったのだ。
「探し出してもらいたい者がいるのです」
「探し出してもらいたい者?」
オウム返しのように国王が繰り返す。
男が頷いた。
「ええ、あなた方もよくご存じの……竜王バルデルの息子の竜騎士ですよ。あれの生まれ変わりが今現在、
意外な要求に、シャルル国王は目を白黒させ、
「竜騎士? あの……二千年もの昔、闇姫グレイシアの力を退け、人類を滅亡の危機から救ったという英雄のことか?」
恐る恐るそう問うた。
「ええ、そうです。時間があまりありません。故に、
シャルル国王が呆れたように言う。
「は、これは、まいった。そんな荒唐無稽な要求を、どう実行しろと言うのかね? 竜騎士などという者が実在したかどうかも怪しいのに、その生まれ変わりとは……。馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
国王の嘲笑に、男の眼差しに怒気がこもった。
「……荒唐無稽? 実在したかも怪しい? 成る程……人間というものは、たかだか二千年という月日で、かくも過去の事実を忘れ去るということですか? 実に無能で愚かで、くだらない生き物です。闇王グリード様が、この大地から一掃しようとなさったのも頷けますね」
突如、全ての窓ガラスが一斉に割れた。まるで男の怒りを反映したかのように。外の冷気がどうっと入り込む。
「ひいっ?」
国王は驚き目を剥くも、室内の温度が急激に下がり、それどころではない。国王の歯がガチガチと鳴った。凍死しかねない寒さである。
男の底冷えのする声が告げた。
「……竜騎士の存在を信じようと信じまいと、必死で探すように命じます。いいですね? かの存在のみが、唯一あなた方に残された最後の希望となるでしょうから……」
「最後の希望?」
「いまや、闇王様はかつての勢いを取り戻され、グレイシア様は、そのお力によって、すでに復活を果たされております。我々
「
国王の目が驚きに見開かれ、ふと、男の額にある黒印に目がいった。
伝承では
男が可笑しそうに笑った。
「再び月が満ちるまでの間に、竜騎士を探し出しなさい。それだけが我ら
「ま、待て!」
身を翻した男を国王が呼び止めた。
「な、何故、そんな情報をこのわしにもたらす? お前達にとっては都合の悪い情報ではないか。一体そちらにどんな益があるというのだ?」
「……そんな事はあなたが考える必要はありませんよ。探し出せなければ人類滅亡という結果になるだけですから。必死で探し出せばそれでいいんです」
「さ、探せと言っても、その、一体どうやって? いや、そ、それよりも、竜騎士とやらを探し出してどうするのだ? ま、まさか我々に、その者を探し出して……こ、殺せとか言うのではあるまいな?」
国王の言葉途中で、男は可笑しそうに笑い出した。
「く、はははははははは。殺せ? あなた方人間に竜騎士を始末できる力量などあるものですか。あなたがたは、命じられたとおりに竜騎士を探し出せばいいのです。してもしかたのない心配など、するだけ無駄ですよ。いいですね?」
男の目が危険な輝きを帯びる。
「……ただ、そう、気に入らないだけです。ええ、気に入りませんとも。このまま戦が始まり、戦のどさくさに紛れて、私以外の者の手にかかって竜騎士が死を迎えるなど……断じて許しません!」
男の瞳が怒りに染まる。同時に建物が揺れ、壁に亀裂が走る。まるで見えない手に揺さぶられているかのように。
「ええ、そうですとも。あれは……あれだけは! 私がこの手で八つ裂きにしてやります! この私が! 他の誰かに先を越されるなど……我慢できるものですか!」
それは憎悪。紛れもない憎悪だった。
シャルル国王は心臓をわしづかみにされたような恐怖を覚えた。
男の姿が闇に溶け込んでも、シャルル国王の動悸は収まらない。恐ろしかった。あの男が放った憎悪が、自分に向けられたものではなかったことに心から感謝してしまうほどに。
ふっと力が抜けたようにへたり込む。
衛兵……シャルル国王はそう言いかけるも、全員が血の海に沈んでいることに気が付き、感じていた恐ろしさがさらに増した。生きていることが奇跡のように思えた。室内の冷気と相まって、震えが止まらない。
――再び月が満ちるまでの間に、竜騎士を探し出しなさい。
そんな言葉が至上命令のようにシャルル国王の脳内で響き渡った。
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