王都編
第10話 王都への道中
王都までの道のりは長く、さすがに徒歩では数ヶ月くらいかかりそうな距離なので、急ぐ旅路ではないにせよ、ぼくは世間勉強のつもりで、共用馬車での移動を選んだ。
いわゆる乗り合いというやつで、次の街まで一緒に行動する馬車になる。
先に料金を支払って乗り込めば、中には六人。ざっと全員を見たあと、椅子の代わりになっている木箱の一つに腰を下ろした。
誰もが個人で乗っているわけではない。実際に三人は知り合いらしく、大声というほどではないにせよ、会話をしていた。
朝早く出て、夕方には共用キャンプへ到着する予定の馬車だ。雰囲気なんて気にしない――のだが、さすがのぼくも耐えきれず、頭を掻いてから小さく吐息を落とした。
隠れた位置からクッションを取り出し、尻の下へ入れる。それから同じものをもう一つ、対面に腰を下ろしている老婆に見せた。
「使うか?」
「あら、いいのかい? ありがとうねえ」
見た感じ、八十の前後くらいの年齢だな……。
「ばあさんは帰り道か?」
「ええそうよ。毎年この時期になると、故郷の小さな神様を
「拝む? 礼拝とは違うのか?」
「同じだけど、教会の神様とは違う方だからね、やり方も私の故郷じゃあ、ちょっと違うんだよ」
「へえ……どんなふうにやるんだ? ぼくが教会でやる祈りは、膝をついて両手を組む感じでやってるけど」
「うちはねえ、まずお供え物をしてね、これはちょっとした食べ物とお酒になるの。そしたら両手を二度ほど叩いて、合わせて、ゆっくり礼をして拝むんだよ」
「このあたりじゃ珍しいやり方か?」
「どうだろうねえ、うちではそれが当たり前だったからねえ……」
「……そのお供えってのは、つまり、神様に献上する?」
「奉納って言うんだよ。よそでは、お祭りや踊りみたいなものも、奉げることがあるの」
「なるほどね」
おい、これぼくにもできそうか?
『やってみないとわかりませんが、何をやるんですか』
これやれば、蛇さんに酒を渡すことができるんじゃねえか?
『……やる価値はありそうですね』
おう、今度試してみるか。
というか、そうではなく。
ぼくが沈黙に耐えられなかったのは、もちろんこの老婆が原因だが……。
世間話がしたいわけではなくて。
「現役は」
話術で引き出すのは今のぼくにない技術だと思って、
「五十までか、ばあさん」
「あらら」
「つかず離れず、絶妙な警戒に似た探りだよ。結果、すべての雰囲気が丸くなって収まってる――けど、ぼくに注目しただろ。それがどうにも
八十に見えるとはいえ、この馬車の中では一番強いだろう。冒険者三人組もいるが、そいつらなんか、ばあさんにはヒヨっ子に見えてる。
だが逆に、年齢の衰えも知っているから、余計なことはしない。
落ち着いた大人ってのは、厄介な手合いだ。
「今は教官で若い連中の育成か?」
「いいや、それも昔の話だよ。今の私じゃあ口で言うだけだからねえ」
「――それを飲み込めねえのは、教わる側の錬度だろ」
「ほう、そうかい?」
「口で説明されたのを、そのままできるのは化け物だけだ。言われたことと現実に差があって当たり前で、そこをどう埋めて、どう自分のものにするかは、それまでに積み重ねてきた基礎が左右する。――それが、人に教わる場合の前提条件だ」
「よほど厳しい人に教わってるみたいだねえ」
「そうでもないけどなあ……」
基礎は徹底され、小太刀を抜けるようになったら、
……そういえば。
ウド美、元気にしてるかなあ。だいぶ付き合ってもらったからなあ。
『あなたが燃やしました』
え? ぼくが?
『トレントなら普通の
そうだっけ?
……うん、まあ、相手も魔物だもんな。
「それに今は、シードがあるからねえ」
「悪い流れだよな、シードがあるからってのは」
「そう思うかい? お嬢さんは――」
「ぼくもシードは使えるよ。今のところ、真面目に使おうって相手もいないけどな」
「便利なのに使わないのかい」
「そりゃ集団戦闘……それこそ、軍隊や魔物の群れが相手なら、便利だな。状況によって使い分けができるのは利点だ――それこそ、大戦で英雄がそうであったように、な」
「シードのない戦闘技術は必要かい?」
「比重はかなり高いな。強い力を持って何か勘違いをしてるみたいだが」
「……それを勘違いと言えるんだねえ」
「むしろ、言えない現状がどうかしてるぜ。何しろぼくらはシードを使ってる。だが、便利だから気づけない。戦術的には何のアドバンテージにもならない……ってな」
「槍の間合いと同じだろう?」
「さすがばあさん、よくわかってる」
長物と呼ばれる、槍を含めた長い得物は、その間合いの広さから脅威とされている。たとえ手に持って突っ込むだけでも、錬度に差がなければ、槍が勝てるだろう。
それはシードも同じだ。
自分じゃない誰かが、距離を取って戦ってくれている。自分は安全地帯にいると勘違いするならまだしも、その状況で、自分も戦っているんだと、そんな思い込みをしてしまうわけだ。
槍という長い得物の内側は、とても無防備だと知らずに。
「――ばあさんは、接近戦が主体だろ。ショートソード……か、あるいはナイフ」
「わかるかい」
ようやく。
ようやく、うっすらと目を開くようにして、笑みのまま片目でぼくを見た。
怖いねえ。
『まったくです』
本当に、年齢をきちんと重ねた相手ってのは、厄介だ。
「お嬢さんは
……マジかよ、情報の差がありすぎる。なんだ? ぼくの手を見たのか……?
「知ってるのか、小太刀。刀よりも珍しいだろ」
「長く生きていれば見かけることもあるものだよ。この中じゃお嬢さんが一番見込みがあるねえ」
「――ばあさんの教え子は、きっと大戦を生き残っただろうな」
「そうでもないよ」
こりゃたぶん、師匠を知ってやがるな……? けど、ぼくがそいつをここで確定させるわけにもいかない。
「ここで手合わせしたいくらいだ」
「なにを言ってるんだい、そんな体力はもうないよ」
「そうか?」
「ふふ……馬が驚いて、動かなくなるよ」
それもそうか。
「ばあさんは王都か?」
「王都の近くだねえ」
「じゃ、道中は退屈しそうにないな。――で、ばあさんから見てぼくはどうだ」
「そうだねえ……」
考える
「右利きだろう? だから左で扱う時の力加減が利かない。つまりそれは踏み込みにも差が出る。腕力で振っていないから余計にねえ」
「それな、途中で気づいて修正入れてるつもりなんだけど、左でやると崩れるんだよな」
「崩れる?」
「右でやれば、触るまで動かない」
「……お嬢さんのシードは、そういうのかい」
「否定はしねえよ」
さすがに、ここまで接近戦を主体とした鍛え方をしてれば、そういう考えも出てくるだろう。
「とはいえ、大前提は、シードなんか使わずに、当たり前のようシードを使う連中を相手にするって訓練を積み重ねてきた。まあ、残念ながら相手は魔物ばっかだけどな」
「あらそうなの? そうは見えなかったけどねえ」
そりゃ師匠が相手の時もあったからな。
「シードを使う相手への対処はどうだい」
「基本の回避と流しを徹底してる」
「――よう」
冒険者の男がこっちを向いた。
「はい、どうかしたかい?」
「避けるってのは理想だろ? だからシードを使うんじゃないのか」
「一般的な回答だな」
「シードが出せないような場所じゃ、戦闘をしないのかい?」
「そりゃ……避けるようにはしてる」
だろうよ。で、それが当たり前なんだ。間違ってはいない。
いないが。
「んん……なんだろうな」
「俺、変なこと言ったか? そういう状況にならないのも技術じゃないのか?」
「間違っちゃいないんだが……それだと完全に後手なんだよな」
「後手?」
「そうだねえ、いつ死ぬかが問題かもしれないねえ」
「……ばあさん、容赦ねえな」
「どういうことだ?」
「厳しい物言いに聞こえるかもしれないが、お前らはシードが使えない状況じゃ死ぬだけだ」
「そりゃ……けど、逃げればいいだろ」
「逃げる? それができる状況じゃないだろ。さっき言ったよな、シードが出せないような場所ではやらないって。つまり、出せて戦闘をしている前提なわけだ。たとえば、守るべき依頼人がそこにいたり、けが人が出てたり、そもそも逃げ場なんかない」
どうすると問えば、男は黙って視線を落とした。
「けがをしないことは大前提だが、そうであっても生き残ることは考えてるぜ」
「……後手っていうのは?」
「状況の話だよ」
「想定の差だねえ……お嬢さん、馬車に乗ってからすれ違った魔物の群れは、だいたいどのくらいだったかねえ」
「小規模の群れなら四つだな。もうちょい遠くなら、それなりにいたが、どれもこれもこっちを標的にするような魔物じゃなかった」
「これが差だよ、お兄さん」
「わかってるから対処できる。たぶんお前さんたちは、魔物の襲撃だと騒ぎになってから、対応するんだろうな。悪くはないと思うぜ? たぶん、世間的にはそれが当たり前だ」
「……」
「一番の問題はねえ、痛みを知らないってことだよ」
「痛み?」
「あー……ばあさん、こいつらはパーティだ。ぼくみたいに一人でやってるわけじゃない」
「それでも必要なことだよ」
「確かに、俺らはシードに頼っていて、けがはあまりしないが……どういうことだ?」
「回避技能が上がらないから、戦闘の時に本人を狙えばすぐ片付くって話だ」
痛みを知らないと、その痛みから逃げることも、痛みを負わない方法も、本気で取り込むことはできない。
「戦闘中、腕を骨折したとしよう。ぼくは三回くらい経験がある。折れた腕で得物を振るのは、60秒以内に一度だけ。いくら戦闘中でアドレナリンが作用していても、60秒を過ぎると腕が重くなる。これがさらに20秒続くと、腕先の神経が全部死んだみたいに、それこそ
「――痛みは?」
「120秒、戦闘を継続して生き残れていたら、ようやく痛みを実感できる。腕が使えないだけでも動きが
本当にあの時は死ぬかと思った。
「戦闘中だぜ? 動かなきゃ死ぬ。だが150秒を経過した頃にはもう、痛みが心臓の鼓動と同じ頻度で、まるでリンクしてるように来る。――いいか、兄さん」
「あ、ああ、なんだ?」
「ぼくはこれを体験してる。つまり、四度目がやってきても切り抜けられるだろう。じゃあ兄さんは?」
「……」
「ふふふ、お嬢さん、感想はどう?」
「あ? ――折ったのが足じゃなくてよかったと、心底思った」
笑うなよ、ばあさん。
足やられてたら、たぶん死んでる――ああいや、こいつがいるから、無理にでも躰を動かして、生きてはいるか。
足がどうなってたのかは、考えたくないが。
『痛みを度外視して、無理やり動かすのも、可能ですが、やりたくはありませんね』
戻った時のぼくが痛みで死にそうになるだろうし……ぼくだってやりたくはない。
「避けるってのは、けど、難しいよな?」
「偉そうなことが言えるほど、ぼくだって習熟してはいないさ。ただ、基本だと思ってる。だから終わりなんてない――が、いろんな相手と手合わせしつつ、自分で方法を模索して、半年から一年くらい徹底してやると、熟練者の世界がちょっと見える」
「熟練者?」
「強い相手と対峙した時、動けなかった経験はないか?」
「――ある」
「威圧されたと思ってるんじゃないかねえ」
「……違うのか?」
「ふふふ、私よりお嬢さんに聞いた方が良いよ」
そこもぼくに振るのか。ばあさんとしても、若い人の意見が聞きたいのかもな。
「見える世界が違うんだよ。たとえば――兄さん、今からばあさんが攻撃をする」
「ん?」
「やれやれ……」
次の瞬間、足元に置いてあった杖の先端が、男の胸元に突き付けられていた。
「――うおっ」
「驚くなよ、ちゃんと先に言っただろ。足先ではね上げて、反対側を押して兄さんの方に投げる。それを逆の手で掴みつつ、勢いを殺さないように押し込む――ま、喉を狙わなかったのは、遊びのためだな」
「お、おおう……」
「老人を使うんじゃないよ、お嬢さん」
いや、ぼくを使おうとしてたのはそっちが先だろ。
「見えてたのか」
「それだよ、兄さん。――見えるわけがねえだろ」
「おい?」
「実際に見えたのは、足で跳ね上げたところだ。そこからの流れは把握してたが、目で追ってたわけじゃない。大半の攻撃はそうだぜ? 初動は見えるし、だいたいわかるけど、そっから先は流れだ。で、次に見えるのは終わりのかたち。今の場合だと、突き付けられてからだ」
「今の攻撃……失礼、攻撃とあえて言うが、速いだろう?」
「いいや、当たり前の攻撃だよ。兄さんたちがシードで受けてる速度だ」
「……これを、避けるだって?」
「避けようとしなかっただろ。殴るって行動もそうだけど、見てから動くんじゃ遅い――ってのを、証明したかったんだよ。速ければ速いほど、途中で変えるのは難しい。初動は見えた、その段階で回避のために動かなきゃな」
ぎりぎりまで引き付けるのは、訓練しなきゃできない。それは見える、見えないよりも、その攻撃の気配を捉えているかどうかだ。
常時警戒範囲、と呼ばれるものがある。
不意打ちや遠距離攻撃への対策でもあるが、この警戒は必須であり、そして人によって範囲が違う。広すぎれば、ぴりぴりした空気を振りまくだけの迷惑な人間であり、狭すぎると遠距離攻撃の察知が遅れて致命傷になる。
ちょうど良い範囲。
ぼくの場合、両手を広げて手首と肘の間くらいの距離が最低限だ。その範囲なら、矢が飛来しても避けれるし、掴める。
ちなみにばあさんはこの範囲が、せいぜい肘くらいまで。その範囲で問題がない――そう証明されているからこそ、ぼくは認めているのだ。
――まったく。
本当に、退屈しなさそうだな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます