第7話 待ち時間の有効活用
時間としては、前回と同じくらいだったので、仕込みをしている最中だろう。
だったら入り口くらい閉めてもいいのに、鍵をかけていないのは、やはりぼくのような来客を想定しているからか。
ぼくはカモのネギ亭の扉を開く。
「ごめんなさい、まだ――あ」
おい、嫌そうな顔が出てるぞ。
「座って」
ため息を落とすなよ。
「疲れてるみたいだな?」
「――ええまったく、誰かさんのせいだろうけどね」
それはお前の立場のせいだろう。
椅子に座ると、奥でシードが具現する反応があった。また仕込みをさせるのか。念のため、こっちへの攻撃に反応できるよう準備だけはしておく。
店内だから余計なことはしないと思いたいが。
「なにか食べる?」
「いや、いらねえよ。いつもの」
「はいはい、ホットミルクね」
塩漬けで干しておいたけど、だいぶ肉を食ってきたからな。さすがに一人で一頭は多すぎる。だが半分だけ狩るなんてこともできないし。
もうちょい保存食の作り方を覚えておくかー。荷物袋はそれなりに入るし。
『持っているのはわたしです。お忘れなく』
おかげで楽なんだよな、手ぶらで済む。けどぼくが持ってる時だってあるんだから、胸を張って言うことじゃねえだろ。
「はいどうぞ」
「おう。じゃあこれ、やるよ」
「……なにこれ」
「裏帳簿」
べつに約束していたわけではないが、代金くらいにはなるだろう。ぼくよりも、あの貴族を上手く使うあては、こいつら――ああ、もう一つあったか。
「いらんなら、ほかのやつに渡す」
「や、それはちょっと判断がつかないから、内容見せて」
「好きにしろ」
カウンターの中にある椅子に腰を下ろし、帳簿を持って眼鏡をかける。
「学校の件、聞いてるわよ」
「具体的には?」
「シードを壊して、ある貴族の息子が種なしになった」
「ほかには」
「その貴族の家で教会の人間が殺害されたのは、公表されてないわね」
「それで?」
「犯人は捕まっていない――と、そこまで」
「そうじゃない、んなことは終わった問題だ。それで、お前らはこの後に何が起きると想定してるんだ?」
「教会は黙っていないでしょうね」
「何故だ? それが、教会の人間を殺されたからって理由なら、お前の理解度が低いことも証明されるぜ」
「――殺されたのよ?」
「だから何だ? 誰がどうやって殺したのかもわからないのに、表向きは犯人の捜索を続けるだろうが、見つかるはずもない」
「でも、種なしにした人物との関連を疑うのは当然でしょう?」
「そうだな、都合の良い理由にはなる。なるが、ぼくを疑うのは筋違いだ」
疑うというより、むしろ。
「あいつらは予防線を張るくらいで、ぼくを尋問しようとはしないさ」
「どうして?」
「自分の頭で考えろ。どっちにしても、犯人は見つからないさ」
現実を追うタイプなんだろうけど、その情報から先を見ようとしないなー。単純に、熟考の時間が足りてないような気もするけど。
「今日はそれを届けに来ただけだ、ご馳走さん」
「置いていくの?」
「ぼくには不要なものだ」
「次は食事の出せる時間に来て。ちゃんとご馳走するから」
「そういうタイミングになったらな」
飯の味がどうのと言えるような舌は持ち合わせていないし、望んで来る理由はないな。人付き合いとか、特異なタイプでもないし。
店を出て、伸びを一つ。
さてと、どうしたものか。この街の冒険者ギルドに顔を見せて錬度を確認……するのも、まだちょっと早いな。時間じゃなく、タイミングの方が。
今のところ大陸全土において、冒険者の地位はそこそこ低いので、ぼくの中でも優先度が高くないというか……。
大戦が終わってから、大勢の負傷者を出してしまった冒険者は、制度こそ残しつつも、弱体化してしまった。以前は教会、王国、ギルドの三つは並んでいたのだが、今のギルドにそこまでの実力も権力もない。
うまく教会が
それでも制度はあるし、依頼も入っていて潰れていないのだから、余裕ができた頃に様子見をしよう――そう思って、噴水のところへ来て。
「こんにちは」
今度は、逆になった。
「おや、こんにちはアラディール子爵様。
どうやら、ぼくを待ち構えていたようだ。カモのネギ亭に入るところを見つけたのか、あるいは
今日は、仕事帰りじゃなさそうだ。血の匂いがしない。
「どうなさいましたか?」
「まだお時間があるようだから、またお茶でもいかがかな」
「はい、ぜひ」
どうやら、こいつの方が考えは深いようだ。
……いや、浅い深いじゃなく、順当な発想と呼ぶべきか。
屋敷に案内され、以前と同じテラス席。侍女も同じだが、彼の着替えは必要なかったようだ。
「学校では災難だったようだね、チヒロさん」
「ええ。けれど、よくあることだと思っていましたから」
「ははは、本当の災難は、あの伯爵家かもしれないけれど」
「不幸な事故があったようですね」
こいつは内情をある程度、知っている。そう隠す必要もない。
面白半分で首を突っ込むなら、そもそもぼくを待ってはいない。
「私としては、犯人と鉢合わせになった王騎士がいたことに驚いたけれど――手出しはできない、そう考えてのことだったのかな」
「どうでしょう。現実を知れば、立ち入れない領域だと知ることもできますが、いかんせんその現実を、知ることができるかどうかは、わたしが決めることではありませんので」
「確かに」
彼は少し笑って、紅茶を一口飲む。
「痛い目を見ないと、自分が何をしていたのか、きちんと理解していない人も多い。特に学生はまだ若いから」
ああ、あの貴族の息子か。
「自業自得です。本来なら、息子の後始末は親がするべきでしょうけれど」
「おや、彼は責任を取っていないのかな?」
「ええ――まだ、取っていないようです。ただどこからか、裏帳簿が紛失したようなことを耳にしましたが」
「そのようだね。本人は隠しているようだけれど」
「さて、どこに行ったのやら」
「私の手元に届いても困ったでしょうね」
「そうですか?」
「カモのネギ亭とは、お互いに不干渉の約束をしているんだ。あちらは組織、こちらは個人。繋がりを作っておかないと不便だからね。仕事の際には、内容を伝えてはいるんだ」
バッティングした時に困るから、か。
「わたしは客でも所属しているわけでもありませんが」
「だろうね」
ぼくも紅茶を飲む。
「以前の話だけれど、私も深く考えてみたよ」
「暇が潰せたのなら幸いです」
「とてもね。だからこそ、シードを壊すなんてことはありえない。教会からのお誘いはまだのようだ」
「それがわかったから誘ったのでは?」
「そうだね。――あくまでも、想像だけれど」
うん、そう言っておくのが正解だろうな。
ぼくが教会の人間を殺したことよりも、シードを壊して種なしにできる、その事実の方が優先度が高い。
何故ならば、ありえないからだ。
それができるのならば、教会は研究が飛躍的に進むだろうと考える。
わざわざ、からの種を持つ人間を誘って、種を埋め込む必要がなくなるからだ。失敗するかもしれない、なんて、あの貴族の息子を誘ったように、ああいうことが必要なくなる。
――そうでなくとも。
ぼくは充分に、研究対象となるだろう。
「どうでしょう、あなたは踏み込みますか?」
「――難しいね。知りたいと思うことと、知っていると明かすことは、また別物だからね。そして、世の中には知ってしまうと引き返せないものもある。残念ながら、その判断は、知ってからでないと決めることができない」
この男、慎重だな。
『暗殺稼業で個人勢なら、このくらいでないと生き残れないでしょう」
そんなもんか。
「それに、私はシードが使えませんから」
「現実には、それが大きな差となる状況が稀でしょう」
「そうだね。戦闘の多くは一撃で終わりだ。対多数か、あるいは訓練でもない限り、五分も続く戦闘はない」
「それなら逃走を選択した方が現実的ですね。泥沼の戦闘は死ぬ時だけで充分です」
「――恐ろしい人だ」
普通の思考だろ、なに笑顔を引きつらせているんだ。
状況がすぐ終わらない戦争だからこそ、運が良くないと生き残れない。
「予定通り、かな?」
「まさか、綱渡りです。それに、予定していない状況は常に訪れます」
「それに対応できるよう準備をすることが第一か。その通りだ、私の愚問だったようだね」
「いえ」
「――お迎えが来たようだ」
うん、余計なおまけもついてるみたいだけどな。
「ん? 王騎士? ……ああ、なるほど、屋敷で遭遇した人か。どうやら、あなたの目的は聞けないようだね」
「気になりますか」
「聞くのがとても怖いよ」
「それはまたいずれ」
教会の人間は一人、舐められたもんだな。しかも付き添いが王騎士とか、人手不足か? せめて聖騎士くらいつけろよ。
――ま、ガキを相手に、それは大げさか。
ぼくに話を聞きたいと持ちかけ、アラディール子爵がそれをぼくに
ま、子爵に被害が及ぶようなことはないだろう。そうしたい。
向かう先は、おそらく、――教会だ。
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