第6話 蛇神様
陽が沈む前にやっておくべきことは、火を熾すことと食料の手配――それと、躰を洗うことだ。
水場への行き来はしやすい場所だが、キャンプ地は水場から離れている。これは増水の危険性よりもむしろ、発見を難しくするためだ。
生活に水が必要だから、基本的に人を探す場合は川の流れを追う。そこに生活の痕跡を発見してたどるのがセオリーだ。それを避けるためである。
服も一緒に洗って、着替えは古いものを持ってきた。二日くらいは水浴びなどしなくても構わないが、さすがに街中で過ごすには清潔さを出しておく必要もあるし、なにより。
人を殺したあとは、さすがのぼくも血の匂いを落とす。ついでに食料となる魔物も狩っておいたので、匂いが残ることもないだろう。
正直に言って、ぼくは殺すつもりはなかった。教会との繋がりがあった時点で、今後の流れが確定したようなものだし、あとはカモのネギ亭に渡す裏帳簿の資料を手に入れればそれで良し――だったのだが。
『結果は良かったじゃないですか』
そうなんだけどな。
ぼくの躰を使ったのも、それを許したのもぼくだけど、さすがに短気すぎだろ。
『あんなやつを生かしておく必要はありません』
それに関しては同感だ。
可能性が低いなんて言いながら、実験動物と同じ扱いをやるつもりだっただろうしな。
洗った服を持って、戻る。魔物の気配があちこちにあるが、あまり近づいてこない。こっちに来てから何匹か狩ってるし、危険だと思っているのだろう。
血抜きはしておいたし、あとは簡単にさばくだけの夕食。肉は食べなれているので、多少臭くても大丈夫。それに、貴族の屋敷から盗んできた三本の酒があるので、ちょっと味見が楽しみだ。あまり多く飲めないけど。
――なんて思っていたのに。
どういうわけか、先客がいた。
ぼくがぴたりと足を止めたのは、視界に少女を捉えてからで、つまり、相手からも見える位置。
油断? 慢心? いや――。
『わたしもです』
お前もか、なんだこいつ。姿をこうしてちゃんと見るまで、一切の気配を感じなかったぞ。
しゃがんだまま、木のそばに置いてある、例の酒をじっと見ている。和装、帯、やや淡い色合いで統一されていて綺麗で、髪も長い。
そして、ぼくに気づいた少女がこっちを見た。
白い肌、いや、白すぎると表現してもいい。だからだ、その赤色の瞳と、唇が妙に目立つ。
『……
なんの冗談だそりゃ。
……いや、確かに、肌も白いし、蛇を想像させられるのは納得もできるけど。
「よう」
声をかけてみたら、少女は一つ頷き、また酒を見た。
なんだろう、ちょっと無視しようか。
まず洗った服を枝にかけて干しておき、火の様子を見ながら、1メートルほどはある獣型の魔物をさばく。こういう時のナイフは用意してあるし、ぼくにとっては何年も前からやってる慣れた作業だ。
で、どれも串焼き。火の回りに石を使って足を作り、その上に金網を乗せて焼く。
少女はそんな作業をちらちら見ていたが――。
……はあ、しょうがねえか。
「お前、名前は?」
一テンポだけ間をおいて、少女は首を横に振った。
「しゃべれないのか」
頷きが一つ。
「よし、じゃあ蛇――さん」
マジだ、こいつ。
ぼくが呼び捨てにすることを、本能的に嫌ったぞ、おい。
「酒、飲むか?」
めっちゃ首を縦に振った。
『あげましょう』
お前がそう言うってことは、やっぱりこいつは蛇神様なんだろうな。仮にそうじゃないとしても、それに近しい何かだ。
畏怖も、
一緒に持ってきたグラスに酒を注ぐと、蛇さんは目をキラキラさせてそれを見て、これ以上なく嬉しそうに両手でグラスを受け取ると、そのまま笑顔で飲んだ。
……一気飲みかよ。
嬉しそうに飲みやがるぜ。
両手でカラのグラスを差し出されたので、注いでやる。まだ肉も焼けてないし、いいんだけど。
三杯目に口をつけてようやく、ぼくの存在に改めて気づいたのか、グラスの中身に視線を落として、両手で差し出された。
ああうん、一人で飲んでたことに気づいたわけか。
とりあえず受け取って、一口。
「あー、ちょっと度数が高いな、これ。美味いけど、ぼくはあんまり飲めない。気にせずに飲んでいいぞ、ほれ」
にこにこと笑顔でまあ、よく飲むなあ。
『――馬鹿』
あ?
『あなた今、蛇神様と盃を交わしたんですよ? 大丈夫?』
んなこと言われても知らんし。特に変化はねえよ。
そのまま一本を空けて、二本目は自分でやれと手渡して、その途中で肉が焼けた。食べそうだったので、肉も渡す。
無言のままだが、嬉しそうに食べているのでこっちも気分が良い。
つーか肉を丸のみするな。ちゃんと噛め。お前は蛇か――いや、蛇なのかもしれないな……。
美味そうだし、いいか。
食事を終えれば、一息つける。陽が沈むにしたがって、火の明かりが周囲を照らすのがよく見える。ただ、かなり森の中なので発見は難しい――竜や大きな鳥なら、よく見えるかもしれないが。
蛇さんは最後の一本を、かなりゆっくりと飲んでいたが、木に背中を預けて足を放り投げ、頭の後ろに手をまわしたぼくを見て、首を傾げる。
『――え? あ、はい、そうです』
あ? ついに頭がおかしくなったか?
『え、なに、聞こえませんでした? 二人なのかって聞かれ――うん?』
……あ。
「蛇さんか。多少は話せるっつーか、意思の疎通ができるなら、一つ聞いてみたいんだが」
頷きがあったので、ぼくは問う。
「ぼくたちは、安定してるのか?」
問えば、酒を持ったまま近づいてきて、両手を出された。
……なんだ?
『手を出して』
おう、わかった。
右手を両手で握られる。
『――うん、安定してるそうです』
「なるほど?」
どうやら、ぼくが直接聞き取れるわけじゃなさそうだ。
「可能なら仕組みを教えてもらってくれ。説明は後回しでもいいぞ」
『わかりました』
しかし、なんでぼくには聞こえないんだろう。あれか、信仰心の差か? 今はあまり気にしてないけど、何かありそうだ。
酒飲み休憩を挟んで、それなりに会話は続いていたが、やがてそれも終わる。
手が離れ、頷きが一つあった。
「もういいのか? お疲れさん。三本目、飲み干していいぞ」
とりあえず
それにしても、三本飲んでおいて、まったく酔った気配がないのは、さすが
飲み干した蛇さんは立ち上がり、着物についた埃を手で落とすと、ぼくに向かってぺこりと頭を下げた。
「もう行くのか? ありがとな。また逢えた時に、酒があれば飲もう。片づけは任せろ」
もう一度頭を下げてから、蛇さんはひらひらと手を振って、暗くなった森の中に向かって歩いて行った。
……あ、途中で気配が消えたな。
やれやれと肩の力を抜くように吐息を落としたら、ぼくの中のやつはもっと疲労した感じでため息。
気持ちはわからんでもない。
で、どうする?
『先に話をします』
おう、落ち着いてな。
『整理はついている……はずなので、まずはシードの話から』
ちゃんと聞くから安心しろ、酒もないしな。
『そもそもは、
「――魔術?」
あ、思わず口にしちまった。
『そういうものだと思ってください。わたしも詳しくは聞いていません。ただその仕組みは、
魂魄? 肉体と精神に宿るって言われてるアレか?
『そうです。簡単に、魂を複製して具現するものらしく、かなり高度な構成……構造? をしていると』
つまり、ぼくらみたいに、当たり前に使ってること自体がおかしいのか。そのあたり、簡略化した仕組みにしたのは教会だろうな。
『結論から言えば、複写された魂そのものが、わたしになっているそうです』
――なるほど?
じゃあ、普通の連中はどうなんだ? ぼくらがやった種壊しとか、成立してるだろ。
『複写されたとはいえ、それは当人の魂です。繋がりはありますし、蛇神様がおっしゃるには、複製と本体、その区別をつけるのはいったい何になるのか、そこが非常に重要なのだと』
区別、ねえ。
それ必要なのか?
『同じ存在が二つもいることは、世界が許さないそうです』
即答があるってことは、お前もそれを訊いたわけか。
……本来の名前があるってことは、使い方も変わってるのか?
『おそらくですが、わたしたちの使い方が近いと思います。蛇神様の認識としては、攻撃や防御よりも、単なる見張りや偵察だそうで……』
マジかよ、すげーな蛇さん。結構な攻撃力の底上げになるし、あくまでも自分じゃないようなものだから、頑丈な盾くらいの扱いでも充分だろうに。
ん?
つまり、ぼくは常時シードを使ってて、それにお前がいるってことか?
『そうです』
なるほどね。――じゃあ、お前はちゃんとここにいるんだな。
『――はい』
そうか。
あるいは、ぼくの想像の産物だったり、二つ目の人格とか、可能性だけはあったんだが……それもなし、か。
――で、改めて聞くが安定してるんだな?
『はい、大丈夫です。シードが使えなくなる状況以外で、わたしが消えることはありません』
そうか。
お互いに、秘密はない。
これは大前提であり、もちろん隠し事をしようと思えばできるだろうが、ぼくたちはそれをしないと、約束している。
あくまでも、約束だ。
守るべきものだけれど、重要なことは隠せることもある。
それに、蛇さん信じるかどうかも別の話だろう――けれど、まあ。
「お前が勝手に消えないなら、ちょっと安心だな」
『そうですねえ、あなたの迷惑にならないことには安心しました』
気遣いをするような間柄じゃないだろうに。
んじゃ、少し休む。
『はい、おやすみなさい。警戒は任せてください』
おう。
一時間くらいで目覚めて、また寝るようにして夜を過ごすが、警戒をこいつに任せられるのは楽だ。有事には勝手に動いてくれるしな。
……あれ。
もしかしてぼく、これからずっと、酒を常備しとかないといけないのか?
『その方が良さそうですね』
安酒より、高い酒だろうし、こりゃまた面倒になったもんだぜ。
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