第3話 六人の英雄
今日は良い天気だと、カモのネギ亭を出たぼくは伸びを一つ。
さあ、まずは服を買おう。大丈夫、金はある。
『師匠のへそくりを奪ってきましたからね』
人聞きが悪いな。あれは落ちてたから拾っただけだ、そういうことにしてるんだ。
とりあえず服のある店へ入る――あれ、なんか驚かれてるな。
ああ、ぼくの服装か。やっぱり見た目の印象は大事だな。ええと……平均して銀貨十八枚、となると服一つで金貨一枚くらい。良い生地を使ってるし、中央通りに看板を掲げてるんだから、高い店なのは理解した。
こういう状況の解決策は、簡単だ。
支払いカウンターまで一直線に行くと、ぼくは金貨を十枚ほど重ねて置く。
「選ばせてもらうが、構わないか?」
「は、はい、どうぞ」
金を支払うなら客だ、そう悪い扱いは受けない。高級飲食店などでドレスコードがある場合は、その限りじゃないが。
このあたりも師匠の教えである。
さて、服はどうする? お前それなりにこだわりがあるんだろ。
『そうですね、スカートは短めにして、長いソックスで足を隠しましょう』
隠すならズボンでよくね?
『いいから』
へいへい。んーっと、このあたりか? サイズはだいたい見てわかると思うんだけど、試着室もあるし、なんとかなるか。
色は?
『赤で』
だろうよ。じゃあ赤色っぽいのを適当に選ぶか。
『しっかり選ぶように。あ、そっちの長袖のシャツも』
こいつに任せておくが、思ったより時間がかからなかった。いろいろ見て楽しむような目的ではないし、こういう用事はとっとと済ませたいぼくにとっては、ありがたい。
服なんて動きやすければなんでもいいだろ。
「おうい、これ、試着してもいいかー?」
「はい、どうぞ」
カーテンで仕切られて試着室では、一通り視線を投げてチェックしてから、手早く着替えをする。
『適当ですねえ……』
いいだろ、着れてるんだから。だいたい、ぼくの服はお前じゃねえか。
『そうですけど』
んー、こんなもんか? いや改めて脱いだ服見ると、汚れてんなあ。途中で水浴びとかはしてたけど、師匠のところからここまで、かなり距離があるから当然か。
『うん、かわいいかわいい』
さようで。
着心地は悪くないから、あとは馴染ませるだけでいい。ぼくも問題なしっと。
「これ着たままもらってく。金は足りてるか?」
「え、あ、はい、ちょっと多い――」
「残りはやるよ」
どうせまた来る。服が破れたり汚れたり、そうじゃなくても街を出る時に新調したっていいわけだ。
金があることの印象付けにもなるからな。役に立つとも思ってないけど、金には今のところ困っていない。
『二年前にこっそり奪いましたからね』
あれは被害者として、当然の請求だろ。
中央通りを歩く。ほとんど地形は覚えているが、確認だ。昨夜は寝床作りを優先して、こっちに来たのは本当にさっきだから。
特に用事もないので、気楽なものだったけれど、大通りが重なる場所にある噴水が目に入ってきた。
こんなものも、あったのだろうか。
噴水なので深くはないが、流れている水を見ていると落ち着くし、ベンチもいくつか設置してある。ただ、そんなことよりも。
噴水の外周にあるオブジェ。
六ヶ所に設置されているのは、――英雄の像だ。
おおよそ十年前に終わった大戦の英雄。
六人のパーティは、きっと誰もが知っているほど有名だ。
王国の王騎士。
教会の聖騎士。
冒険者の筆頭。
それぞれ二人ずつ、というのが一般的な認識だろう。
大戦は最初、国同士の争いから、そこに魔物を含めての戦争となり、簡単に言えば引き際が見えなくなった。混乱に混乱が重ねられ、魔物がいる以上、双方が手を引いても争い自体が残ってしまうため、引けなかったのだ。
だが、大戦は終わった。
六人の英雄と、教会の仲裁によって。
「――失礼」
ん……。
あーいかん、意識しないと周辺の察知がおろそかになるの、どうにかしないとな。
振り返ると、ああこれは貴族だなと思えるような服装の男性がいた。式典か何かでもあったんだろうか。
とりあえず合わせるか。
「ああ申し訳ありません、通行の邪魔になっていたでしょうか」
「いや」
無理に笑顔は浮かべずに答えたが、彼は軽く目を細めてから、それを誤魔化すよう笑みを浮かべた。
「熱心に英雄像を見ていたから、少し気になってね。旅行者かな?」
「ええ、似たようなものです。田舎からこちらへ出てきたばかりなので」
「なるほど。確かに、こういう誰もが通る場所に英雄像を設置するのは、大きな街か王都くらいなものだからね」
「言葉通り、彼らは英雄ですから」
「――うん、そうだね。私もかつては、英雄に憧れ、王騎士になろうとしていたこともあったけれど、そう簡単なことではなかったよ」
「そうなのですか?」
「君は違うのかな? 学生でシードを扱う者の多くは、大なり小なり、英雄のことを知っていると思うけれど」
「わたしは……むしろ、憧れは抱けません」
抱けるはずはないだろう。
視線を外し、英雄像を見れば、それは明らかだ。
「それはどうして?」
「彼らは大戦を終わらせたわけではありません。ただ、――都合が良かっただけです」
「それは……」
「都合よく祭り上げられ、こうして彫像にされ、見世物にされるのならば、わたしは望んでそうあろうとは思えません」
「……面白い考えを持っているね」
「気を悪くされたら、申し訳ありません。ただの個人的見解です」
「いや、素直に面白いよ。どうだろう、時間があるようなら、少し話さないか。私の家は近くでね」
「このような話に興味が?」
「君の考えをもう少し知りたいんだ」
「それほど多く語れることはありませんが、それでよろしいのなら」
「うん、ありがとう。じゃあこっちだ」
やれやれ、これはどういう展開になるんだろうな。
ま、いいか。どうせ暇だし。
「歩きながらだからまったく関係のない話だけど、ここへ来たのは?」
「学校に入ろうかと思いまして」
「――そうか、これは失礼。それほど幼い子には見えなかったから」
前を歩く男は、ちらりとぼくを見て、また先導を始める。たぶん今は服装を見たんだろうけど……おい。
『うん?』
この男が、カモのネギ亭から出たぼくを見ていた可能性はあるか?
『ありますね、大いに』
だよな。日ごろからそこまで気を張ってないから、師匠みたいに長距離の監視とか、当たり前に気づけない。そりゃ戦闘を前提として行動してるならともかく、日常的にやるからなあ、あのクソ野郎。
慣れらしいけど。
そう遠くない距離だったが、中央通りから離れて静かな場所の一等地。
案内されたのは庭つきの屋敷だった。
「ここだよ、どうぞ。すまない、私は礼服を着替えたいから、庭のテラスで待っていてくれるかな」
「はい、わかりました――が、あちらは礼拝堂ですか?」
「そうだよ、小さなものだけれどね」
「よろしければ祈らせていただけますか」
「構わないよ」
ぼくにはやや若い侍女が一人ついた。ぺこりと頭を下げて案内を頼み、礼拝堂の中へ。
――ぼくは教会が嫌いだ。
こいつはぼく以上に教会が嫌いだろう。
この大陸での信仰は、蛇神様に向けられる。無信心であっても、白い蛇にだけは絶対に手を出さない。ぼくでも、毒のある蛇以外は食べようとしない。
教会もまた、蛇神様を
ぼくは、毎日のよう礼拝をするほどではないにせよ、信仰心はある。
こうして目を瞑り、両手を組んで、蛇のかたちをした彫像に祈りを奉げることを、当たり前のよう受け入れることができる。
『…………』
こういう時、こいつも黙って祈る。
そうだ、ぼくたちの怒りは、信仰対象に向けられたものじゃない。
その信仰をいいように利用している連中に向いているだけだ。
祈りの時間はいつも一人だ。
ぼくの中にいるこいつとの区別なく、ただ一人で集中できる。
神経を研ぐとでも言えばいいのか、頭の中がすっきりして――まあ、集中し過ぎると、殺意みたいなものをばらまくらしいが。
十五分ほどで祈りを済ませて立ち上がる。気分爽快とはこのことだ。
『まったくです』
お前が同意すんなよ。
庭に戻って、侍女の案内でテラス席へ。ほどなくして彼はやってきた。
軽装というには、しっかりしてるけれど、礼服よりは動きやすそうだ。
「待たせたね」
「いえ」
わざわざぼくの背後に回ってから席につく。もちろん反応はしない。ぼくは侍女の手際を見ているだけだ。
「うん、少し考えたんだけれど、君はもしかして、英雄が嫌いなのかな?」
「そんなことはありませんよ。同情はしていますが」
「同情?」
「はい」
「それは先ほど言った、いいように使われてしまったから、かな?」
こういう会話は、本来なら控えるべきだ。英雄は、誰もが尊敬する存在だから英雄なのであって、その人物をけなすことは、見も知らぬ誰もを敵に回すことになる。
けれど。
この男は、それに怒るほどのガキじゃない。
「失礼ながら質問を一つ」
「構わないよ」
「あなたは英雄について、どのくらい詳しいのでしょうか」
「うん。これは失念していたよ。私はグリッチェ・アラディール子爵だ」
「失礼しました。わたしはチヒロと申します、アラディール子爵様」
「身分の呼称は必要ないよ、ここはうちだからね。質問に答えましょう――私は、それほど詳しくはないよ」
「そうなのですか?」
「身勝手に憧れていただけだからね。もちろん、逢ったこともない」
まあ、ぼくより知ってるなら、英雄に逢ったことのある人だろうけど。
「どうして、逢えないんでしょうか」
「何故って……それは、表に出てこないからだろう」
「では、所在が明かされている英雄は、いますか?」
「……いや、私は聞いたことがないな」
ちょっと踏み込むか。
紅茶には手を付けず、両手を組んで――演技は苦手だ、ほどほどに笑っておこう。
「六人のうち二人は殺された、と言えばどう考えますか」
「――まさか! 大戦を駆け抜けた英雄だ、そう簡単に死にはしない」
「彼らだとて人間ですよ」
ぼくはそこで立ち上がった。
「答え合わせは次回また、ということでいかがでしょうか」
「――、はは、それは私のような男のセリフだと思っていたけれどね。いいよ、楽しみにしておこう。時間を取らせてすまなかったね」
「いえ、ご馳走様でした」
男なら下心、女ならその場を切り抜ける言い訳。
ぼくの場合はどっちでも、だ。
※
敷地から出るまでを見送って、彼は飲み干されたカップに視線を投げた。
他人から出されたものを、疑いなく口にすることを、彼は好まない。状況的にそれが必要であっても、最低限の所作として、最初の一口は小さく、内容物の確認をしてから飲む。
「お戯れですか、若様」
「最初はね。けれど今となっては、誘った自分を褒めたいくらいだ」
「……?」
「彼女、かなりの血の匂いがしたよ。私みたいに人間だけじゃなく、魔物も相当数を殺してるはずだ」
「そう……は、見えませんでした」
「確証はない、そういう感覚があっただけだ。それに加えて、面白い
「英雄のお話ですか」
「改めて考えると、おかしな話だよね? 私たちは英雄を知っているのに、その姿をあまりにも見かけない。争いが嫌で、政治が嫌で、隠居していると教わってはいるけれど、公の場に一切姿を見せないのは、何かあるんじゃないかと、考えさせられた」
「私には何かしらの思考実験に聞こえました」
「そういう側面もあったとは思うよ」
どれもこれも、確証なんてない話だ。
「彼女は恐ろしいよ」
「……若様?」
「英雄は死んだ。彫像として作られるくらいに、存在はあれど、実体は薄れてしまい、もういないも同然だ。彼女は二人殺されたと言ったけれど、まあその真偽はさておき、顔を見たことがないくらいに、私たちはもう彫像での英雄しか知らないんだ」
「本人を見たことはないのですから、当然かと」
「さあミメア、ここで問題だ。誰ならそんなことができるだろう?」
「それは――」
大戦の英雄、前線でこれ以上なく活躍した六人を、まるで
――だとして、だ。あくまでも仮定として、それができるのは誰だろう。
国王? いや、国を動かす人間には難しいだろう。そもそも彼らのシードは優秀だったはずで、強さがなければ戦場で生き残ることもできないはず。
そう考えると、確かにおかしい。
あれだけの実力がありながら、どうして、噂の一つでさえも――。
「――っ」
「君は、その名を口に出してはいけないよ」
あった。
存在していた。
そういう組織が当たり前のよう、この大陸にはある。
「監視はしなくていいよ。けれど、耳を澄ませておいて欲しい。きっと何かある」
「……わかりました」
この大陸に住んでいる者の九割は、それを思い浮かべない。彼女もまた同様だ。
会話で誘導してもらってようやく、その存在に気づけただけ。
言えるはずがない。
教会ならば
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